未だにそんなものが残っていたののも奇跡的ですが、海軍の司令部は通常、軍艦に設置されるのに、なんで地下壕かと思いきや、どうやら終戦間近で司令部として使える軍艦がなかったからのよう……
そのため『陸に上がった海軍』と揶揄されていたとか。
しかし、陸に上がっても、戦艦大和の出撃や特攻隊の出撃指令など、多くの作戦が立案され、帝国海軍の最期となる悲惨な作戦命令が下されたとのこと。
連合艦隊司令部は昭和19年9月に、日吉に置かれ、地下壕は約2.4km、司令長官室、作戦室、電信室などがあり、まさに帝国海軍の中枢部。
当時、通信兵をしていた大島氏によると沖縄方面の特攻隊の連絡、南から来る空襲の予報、それに特攻機からの最期の通信も傍受していたとのこと。
戦艦大和の最期も、司令部宛なのかは不明ですが、連合艦隊司令部は無線で受信していたことも明らかになりました。
慶応大学は安全上の理由で、これまで公開して来ませんでしたが、横浜市は『埋蔵文化財包蔵地』に指定し、地下壕近辺の工事の際は、届け出を義務付けるとしています。
日本にはまだまだ、埋もれた戦争史跡がありそうです。