追悼式では、大和が建造された広島県呉市や……
鹿児島県枕崎市でも。大和は枕崎から200km沖合で沈没しました。
世界最強の戦艦、帝国海軍の象徴でもありましたが、時代はすでに航空決戦に移り、46cm主砲が艦隊決戦で使われることは、ついに一度もありませんでした。
沖縄に向かった乗組員3332人のうち、3056人が死亡、この死者数も残念ながら世界最悪です。
奇跡的に生き延びた戦艦大和の乗組員も僅かとなり、大和・元乗組員の広一志氏は『感謝するだけですね』と述べています。
水上特攻と言われた菊水作戦の詳細から、坊ノ岬沖海戦で大和が沈没するまでの経緯は、未だ日米ともに記録に相違があり、詳細は明らかになっていません。
ニュースでも、元乗組員が米軍機350機を見たと話しているところもあり、大和の攻撃に向かった米軍機の布陣と攻撃方法は、さらに調査する必要がありそう。
しかし、戦艦大和が撃沈されたことにより、事実上、帝国海軍が壊滅したことは確かで、それから敗戦を決めるまでに4ヶ月以上掛かったことについての責任の所在は史実を確定させるために追求されるべきです。