兵法の神様と言われる孫武が、なぜか産経抄に登場、美女二人を斬ると中途半端な記事を載せています。
孫子の作者・孫武については、長い間、偽書とされ、孫武の存在自体が疑われていた時期もありました。
しかし、後に孫臏兵法が発見され、孫武が実在したことはほぼ確定されましたが、現存する孫子自体に錯簡と思われる箇所があり、内容も後世の加筆があるのは、ほぼ間違いないとも言われています。
孫武が呉王・闔閭の寵姫を斬ったとする逸話もその一つ。
しかし、記事にあるようにあるように命令違反したから、いきなり斬ったわけではなく、孫武は闔閭の寵姫二人を隊長にして、命令を下し、従わないと一度は自分の説明不足であったと罪を認め、もう一度、命令を下し、それでも従わなかったので軍令違反として二人を斬ったのです。
孫子にある『卒を見るは嬰児のごとし』、兵は赤ん坊のように思えとあり、さらに、いつまでも甘やかしてはいけないとも述べており、このエピソードもそれに沿ったものと言えます。
さらに、呉王が寵姫の助命を嘆願したのに斬ったのは、『将、軍中にあらば君命も聞かず』、将軍が軍権を握った場合は君主の命令を聞かないこともあると孫子にありますから、これを体現化したエピソードとも言えます。
しかし、孫武の器量を試すために敢えて、役立たずの後宮の女どもの練兵を命じたブラック君主に、孫武は自分が処刑されるかも知れないのを承知で、寵姫を斬っちゃったんですから、大したもの。
闔閭は余り評判の良くない君主でしたが、器量はそれなりと孫武が踏んでいたとしたら、孫武もなかなかのブラックぶりです。
結局、闔閭は孫武を重用し、柏挙の戦いで大勝利を収め、呉は中原の大勢力となります。
言わば、ブラック社長とブラック社員がコンビを組んで大成功したようなもの。
しかし、その後、孫武の消息は中国史から消えます。闔閭が死去して跡を継いだ夫差と不仲になり、殺されたとも、隠居して『孫子』を執筆したとも言われていますが、未だ定かではありません。
孫武とともに、闔閭を支えた伍子胥が夫差により自決させられたことは史書にあることから、孫武はそれ以前に、少なくとも消えていたことは確かでしょう。
昔から孫子読みの孫子知らずって言葉があり、孫子を読むのは容易いが、実行するのは極めて難しいって意味。
闔閭の息子・夫差は、『臥薪嘗胆』の計に越王・句践に敗れ、自害することになります。
記事によれば中国・人民解放軍は一夜漬けで『孫子』を勉強しだしたとか。しかし、旧日本軍の陸軍大学でも『孫子』を勉強させられたとしていますが、肝心の一行目を読み飛ばしていたよう。
人民解放軍の幹部も、孫子の一行目を読み飛ばさないことを祈ります。