従来、真田丸は大阪城の弱点を補完するも出丸とされてきましたが、最新の研究では周囲1200mに及ぶ堅固な要塞であったことが判明したのだとか。
この規模になれば、出丸と言うよりは出城サイズでしょう。
連射できない火縄銃の欠点を補完するために、2階建ての塀に銃眼を付けたり、殺傷力の強い大型火縄銃を使用していたことも。
真田幸村が、真田丸を作ったのは大阪方の権力闘争に嫌気がさして、自由に采配が出来る陣地が欲しかったとの説もありますが、大阪城側と連携して十字砲火を浴びせる設計になっていたというから、幸村孤立説は余り当てにならなくなって来たよう。
真田丸は、鉄砲を主力兵器とした日本初の城だったのかも知れませんね。
西洋では攻城砲が発達して、城の価値がなくなり、野戦陣地が主になりますが、日本は攻城砲が発達する前に、戦国時代が終わってしまったので、今でもたくさんの城や城跡が残っているわけです。
もっとも、西南戦争では熊本城が少数で西郷軍を足止めしたから、日本の城は近代戦でもある程度の防御能力を持っていたとも言えます。