1971年、昭和46年に戦後初の欧州訪問に向かわれた昭和天皇が、給油のためアンカレッジに着陸したときに、ニクソン大統領と会見しましたが、裏では日米両政府の『暗闘』があったとのこと。
日本政府は『米側の接遇は何ら期待しておらず、むしろ辞退したい』と駐米大使に指示です。
福田元首相(当時・外相)に至ってはは『欧州訪問に立ち寄られるのに過ぎぬことを忘れたかのごとき非常識、迷惑千万』とまで言い切っています。
当時、ニクソン大統領の日本頭越し中国接近や、繊維問題で日米関係は悪化中。これを機会に対日関係を改善させたいアメリカと、天皇の政治関与を防ぎたい日本政府の思惑が衝突した格好。
結局、昭和天皇の『多忙の日程を都合し、アンカレッジまで出迎えの労をとることを申し出た厚意、深く多となし、喜んでお会いする』との『ご聖断』により、昭和天皇・ニクソン大統領の会見が実現することに。
日本政府の『(昭和天皇に)絶対に政治色を帯びさせてはならない』とは裏腹に、昭和天皇とニクソン大統領は25分に渡って会談。
戦後、昭和天皇の珍しい政治関与が、またひとつ明らかになりました。
戦後の昭和天皇の政治関与については、すでに東京大空襲を立案・指揮したルメイ将軍に大勲章を親授することを拒否されたことは良く知られています。