秋葉原の犯人はそんなに壊れていたのか? | パイプと煙と愚痴と

パイプと煙と愚痴と

単なるオヤジの愚痴です。

昨日の惨劇は、今日になってもマスコミをにぎわしている。

こんなとき、毎度、教科書代わりにしているのが、『FBI心理分析官 凶悪犯罪捜査マニュアル』だ。

通り魔のような事件は『126 特定の動機のない殺人』に分類されるようだ。

特徴としては『特定の動機のない殺人での被害者は無作為に選ばれ、犯人と直接関係はない。性別や年齢は問わず、生活や生活様式も実に様々である』(上記、凶悪犯罪捜査マニュアルより引用)とある。

致死性の高い凶器を、白昼公共の場で行われるので目撃者が多いのも特徴とあるから、この分類で良いだろう。

しかし、当てはまらないところもある。

08060903

マスコミは『劇場型犯罪』とか書き立てているが、頻繁に情報発信をしているのは、内向的、孤独を好み、奇矯な行動を示している場合が多いとされる犯人像とは微妙に違和感を覚える。

また、犯人が自殺を図るか、警官に射殺されたがっているのも、このタイプの犯人像らしいが、秋葉原の犯人は、警官の拳銃による威嚇だけで、『降伏』してしまっている。

つまり『人を殺したかった』が、『自殺する気はなかった』ってことになる。

結論として、『大量殺人事件』に及んだわけであるから、どこかしら『(精神的に)壊れていた』のは確かだろうが、『完全に壊れていた』わけではないということになる。

『ちょっと壊れた』だけで、『大量殺人』を実行したとなると、オヤジを含めて誰でもそんな可能性がないとは言えないことになる。

『犯人』というより『社会全体』『壊れてきた』とすれば、さらに恐ろしい。