犯罪史上にその名を残す極悪人ではあるが、なぜか被害者の遺族にまで愛された悪人がいる。
たとえば、ジル・ド・レ男爵などがその例だろう。
一般には青髭男爵のモデルと言った方がわかりやすいかも知れない。
彼は、かの聖女ジャンヌ・ダルクの片腕として、イギリス軍を次々と撃破した事で勇名をはせた。戦場を全身朱にまみれて悪鬼のごとく突き進む彼の勇姿は、敵兵を震え上がらせたと言う。その戦功により、わずか25歳にして仏国元帥の称号を得るにまで昇り詰める。しかし、彼の人生の仕事はここで全て終わってしまった。
愛すべきジャンヌ・ダルクはイギリスの捕虜になり、夜毎、薄汚い牢番達に聖処女の体を弄ばれ、嬲られ、陵辱の限りを尽くされたあげく、火刑となる。
同時に戦争は終結し、持て余す若さと情熱のやり場をなくしてしまった。それに彼が持つ国王をも凌ぐと言われた巨万の富が彼を押しつぶした。
限りない放蕩と遊興の果てに、辿り着いたのは美少年を相手にした男色であった。男色と言っても15世紀のことである。それだけで首が刎ねられる時代である。それでもこっそり楽しむだけならば、彼の持つ権力を持ってすれば封じるのはたやすかったろう。
しかし、彼は少年を犯しながら、戦場の血なまぐさい記憶をも取り戻していったのである。いつしか、単なる男色は残虐なプレイ――彼はそう思っていたのだろう――となり、一説には数百人の少年を犯した上、嬲り殺したと言う。
だが、ついに悪事は露見することになり、彼は法廷の場に引き出されることになる。
一時は、否認したものの拷問にかけられるに至って、彼は全てを告白する。
当時の拷問の恐ろしさを最も知っていたのは彼自身であるからだ。
彼はついに悪事は包み隠させず、微に入り細に入り告白し、群衆に許しを乞うたという。
それは余りに恐ろしく、傍聴人だけでなく裁判官でさえ卒倒したほどといわれている。
しかし、彼の心からの謝罪は、被害者の遺族の心を打ち、ともに涙したという。
ついには、被害者の遺族を含めて多くの群衆が、彼のために祈り、涙し、処刑場にともに歩み、彼はついに断頭台の露と消える。
――ここまでくれば、犯罪者の美学を全うしたと言っても良いだろう。