鎌倉山、現在19:00、気温は31.5度です。
午後、祖父母の墓参りから無事帰還、ビールの一気飲みで気絶昼寝して起きても、まだ30度超ですよ。
こりゃ、年寄りは家にいても、死ぬよなって、テレビを見ながら思いましたよ。
クーラーがないので、こんなときは、少しは涼しい本をと思って、目に付いたのがこれです。
水木しげる『あの世の事典』です。
世界の現在、過去の主な宗教の『あの世の事情』を図解入りで解説したもので、オヤジとしては名著の部類に入ると思ってます。
ちょっと、お盆がらみで取り上げると、チベット仏教の『死者の書』(これは英語版のタイトル、チベット語ではバルド・ソドル、日本では救度中陰密法)ですかね。
チベット仏教は、もっとも原始仏教に近いと言われる経典を多数有しているだけに、本来の仏教に一番近いとも言えます。
チベット仏教のバルド・ソドル経典によれば、生前の善行、修行を極めたものは、死と同時に、仏になることが可能であるとされています。
死ねば『仏』ではありません。
真に善行、修行を積んだ人間には死の瞬間に『仏』になるチャンスがありますが、修行を積んだ人間でも、これは困難であるとされています。
単に、死ねば『仏』とする『日本仏教』は完璧な誤りです。
善行、修行が足りなくても、死後の導き(別に坊主である必要はない)により、より良い、より高い世界に生まれ変わる(輪廻)ことができるとしています。
この死んでから、転生するまでの期間が一般的(死者の生前の行いにより変わる)に49日間とされています。
善行、修行が足りない一般人にとっては、必ずしも仏も極楽も目指す必要はなく、より良い、より高い世界に生まれ変われれば、それで良しとしています。
つまり、日本仏教で一般的な墓参りは、原始仏教では全く意味のないことでした。
なぜなら、49日後には、ほとんどの死者は六道のいずれかの世界に転生してしまっているからです。
転生してしまってからの、墓も冥福も供養も全く意味がありません。
全て、坊主たちの生活費のためでしかありません。
『千の風になって』がヒットしているそうですが、あの詞の『私のお墓の前で泣かないでください』は、仏教的世界観ですね。
読者の皆さんも、いずれは全て往生するのですから、往生する前に、あの世の勉強をされては?
(勉強不足が『往生際が悪い』の語源です)
- 水木 しげる
- 水木しげるのあの世の事典
