無意味な死で歴史に名前を残した人 | パイプと煙と愚痴と

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昨日、日記を書いただけで歴史に名前を残した朝日文左衛門の記事を書いたが、まだまだ世の中には、思わぬところで歴史にその名を刻んでしまった人たちがいる。

もっとも、これから紹介するロバート・ウイリアムズは、朝日文左衛門ほど幸運ではなかった。
ロバート・ウイリアムズと言っても、ほとんどの人はピンと来ないだろう。
なぜなら、彼の唯一の功績は、帆船のマストから、足を滑られせて転落、事故死したことだけなのだ。

当時なら、航海中の一水兵の事故死なら、海に廃棄処分にされて終わりなのが普通であるが、時代が時代であった。
彼が乗っていた船は、ペリー提督率いるアメリカ東インド艦隊の戦艦ミシシッピ号であった。

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単なる一水兵の事故死であるが、ペリー提督はこの機を政治的に利用した。
埋葬地を開国間もない日本に強行に要求したのだ。もちろん、植民地の足がかりにするつもりだったのだろう。
そこら辺は、さすがに幕府もわかっていたから、難色を示したが、ペリー提督も強行であった。
すったもんだの末、海の見える高台の寺院に埋葬を許可せざるを得なくなった。
これが、『横浜外人墓地』の始まりである。

葬儀は一水兵のものとしては、盛大なものであったらしい。
埋葬場所は、もともと仏教寺院でもあったから、キリスト教式の葬儀と同時に仏僧による読経も行われたそうだ。

こうして、若干24歳にして何らの業績を残すことなく敢えない最後を遂げたロバート・ウイリアムズは、『横浜外人墓地』埋葬第一号として、少なくとも日本史の片隅にその名前を止めることになった。

蛇足ながら、現在、ロバート・ウイリアムズの墓は『横浜外人墓地』にはない。

葬儀の三ヵ月後、彼の遺体は伊豆下田の玉泉寺に改葬されることとなったのだ。これは日米和親条約、付加条項第五條により、アメリカ人の埋葬地が伊豆下田柿崎玉泉寺と定められたためである。

そして、皮肉な幸運の女神は、またしても彼の死後に微笑んだ。遠く異郷の地に一人葬られた彼の孤独はそれほど長くは続かなかったからだ。じきに同じく事故で死亡したアメリカ人4名が埋葬されたからである。
遠く異郷の地で没した彼の傍らに、同郷の人達が眠ることになるとは、地下のロバート・ウイリアムズはどう思っているのだろう。

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生出 恵哉
横浜山手外人墓地 (1984年)