それは今度、2人で話そう | 人間でいたい

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愛と平和


先ほどトイレにて、タンポンが2つも入れっぱなしだったことに気がついて愕然とした。そんな...人生で、初めてだ。どうして気が付かなったのだろう。腹痛に耐えながらマカダミアナッツのチョコレートを口へ放り込んでいる場合ではなかった。怖すぎる。実際、痛いところが多すぎてもうどこが痛いかなんて分かっていないのかもしれない。痛みどめすら。

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今日は職場を抜け出して、
道端の花を眺めるなどしていた。夕方ごろ。
ネガティブに自分を褒めると、
今まで、悪いところばかりに目を向けていた節があるが、実際はそんなことないのだ。
それらは実績を出せば、周囲から評価されれば、認められれば払拭されるとばかり思い込んでいたが、違う。終わらない。でもこれは、悲観ではない。つまり、全ては物の見かた、捉えかたの問題である。そんな当たり前のことを今さら、という感じだが、言わばそれだけのことである。じゃあ、楽観が正義か?と考えて悲しくなったりもするが、それも違う。楽観は目で見えやすいから、そちらへ引っ張られてしまいがちだけれど、大切を生みだしてきたのはいつだって悲観だ。忘れてはいけない。悔しくて失ってばかりと思うような日々も、大切を生み出せる糧になってゆく。分かるでしょう。だから、知らないほうがいいだなんて幸せだなんてそんなことはないのだ。悲しみや怒りを知って、それらを咀嚼しながら飲みこむまでの時間は苦しくて逃げ出したくなるけれど、その先にはきっと大切がある。大丈夫、できる。できるよ!と、心の中の小さな妖精たち(シルバニアみたいなの)が、わっーーと集まってきて、大丈夫!できる!ガンバレ!ガンバレ!ガンバレ!とワラワラ背中を押してくれたおかげで、会社へ戻ることができた。

世の楽観正義な風潮が、どうしてもしんどい時がある。楽しめないやつが劣っている、といった勢いの圧だ。楽しむことが義務か?楽になる選択が優秀か?そうなのであれば、私はきっと永遠に劣等生だ。それでいい。それでいいじゃないか。自分が生み出したものに目を向けるのだ。ただ、悲しみの先に全てがあるということだけでもない。それをやり過ぎるのは逃げだ。本当は、悲しみや怒りを理解した上で楽しく生きるができる人になりたい。でも、そうなる為にはきっと全然まだまだだとも感じる。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。丁寧にやればいい。正しいと思ったこと、間違いだらけでもやるをやればいい。悲しくなってもいい。怒っても。大丈夫。今日、最終日だった職場のスタッフから若いのに感情を分かってくれる人だ、と言ってもらえてすごく嬉しかった。しかしこれから、何につけても若かった、ということになるのかな。それは、嫌だなぁ。大丈夫だよ、と言える人間になりたい。若さなんかじゃなくて。ちゃんと分かりたい。だから、ちゃんと知らねば。考えなければ。立ち止まらなければ。分からせなければいけないから、ちゃんと大切にしたいすべてに。