8月16日、オランダ王室のクリスティーナ王女が72歳で逝去されました。数年前から患っていた骨肉腫が原因と報じられています。




クリスティーナ王女はベアトリクス前女王の末の妹であり、現在のオランダ国王であるウィレム=アレクサンダー国王の叔母にあたります。


クリスティーナ王女の遺体は、22日の密葬の為にノールドアインデ宮殿近くのFagel's Garden Pavillionで安置されていました。




棺の上や室内は向日葵で華やかに飾られています。
クリスティーナ王女が好きな花だったのでしょうか。


ウィレム=アレクサンダー国王、マキシマ王妃、三人の王女の名前が記されています。
(リースは複数あり、他のリースには他の親族の名前が記されていました)



8月22日にはオランダ ハーグで葬儀(密葬)が執り行われました。
葬儀にしては皆さんカラフルな装いです。クリスティーナ王女の意向なのでしょうか。


ベアトリクス前女王とイレーネ王女(次女)


マルフリート王女(三女)とマキシマ王妃。
2人とも衣装のプリントがリゾートの雰囲気です。




ウィレム=アレクサンダー国王は髭を伸ばしていて、普段と雰囲気が違いますね。






クリスティーナ王女の子供達ニコラス・ギレルモ、ユリアナ・ギレルモ、ベルナルド・ギレルモ。







国王夫妻の後ろを歩くのは手前からメイベル妃、クラウス=カシミール、エロイーゼ。
その後が手前からローレンティン妃、コンスタンティン王子、レオノーレ。

※クラウス=カシミール(15)、エロイーゼ(17)、レオノーレ(13)はコンスタンティン王子とローレンティン妃の子供達です。
コンスタンティン王子とローレンティン妃の意向でPrince、Princessの称号を持っていません。



コンスタンティン王子等の後ろは、イレーネ王女の次男ハイメ公子とヴィクトーリア妃(手前の2人)、パルマ公カルロスとアンネマリー妃(奥の2人)。

※イレーネ王女はパルマ公カルロス・ウゴと結婚した為、4人の子供達はオランダの王子・王女ではなく、パルマの公子・公女の称号を保持しています。その後イレーネ王女は離婚し、カルロス・ウゴが2010年に亡くなるとカルロス公子がパルマ公となりました。



クリスティーナ王女はオランダ王室のユリアナ王女(後のユリアナ女王)の四女として1947年2月18日に誕生しました。


1948年8月5日、イレーネ王女(左から2人目)の9歳の誕生日を記念して撮影された写真です。クリスティーナ王女は前列右端。



1964年、クリスティーナ王女17歳。



1967年、クリスティーナ王女20歳。



1967年9月19日、クリスティーナ王女は右から2人目。




1975年、クリスティーナ王女と婚約者のジョージ・ギレルモ氏。


1975年6月28日、ロイヤルウェディング。


3人の子供に恵まれますが、1996年に離婚しました。


2004年、ベアトリクス女王の次男 故ヨハン・フリーゾ王子とメイベル妃の結婚式に参列したクリスティーナ王女と姉のマルフリート王女。



2013年4月29日、新国王即位の前日、ベアトリクス女王主催のディナーに出席したクリスティーナ王女と姉のイレーネ王女。




2017年6月21日、イタリア ローマで甥のハイメ公子とヴィクトーリア妃と。



ユリアナ女王の娘、4姉妹の中で一番若かったクリスティーナ王女(72)が逝去されてしまいました。ベアトリクス女王はさぞ気落ちされていることでしょう。
葬儀での参列者のカラフルな衣装が印象的でした。詳細はわかりませんが、もしクリスティーナ王女が設けたドレスコードだったのなら、「悲しまないで」というメッセージのようですね。



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