体を、自分のものにしていく話。 シリーズ「私が僕になるまで」第5回
実業団に入って、同じ景色を持つ仲間ができた。
グラウンドの外でも連絡を取るようになって、ごはんを食べに行くようになって、少しずつ話せることが増えていった。
自分のことを話しても、変な顔をされない。「分かる」と言ってもらえる。そういう場所が、初めてできた。
そのコミュニティの中で、初めて聞く言葉があった。
「ナベシャツ、使ってる?」
知らなかった。聞き返すと、胸を平らに見せるためのタンクトップのようなものだと教えてくれた。
その言葉を聞いた瞬間、何かがほどけた。
胸のことが気になり続けて、何年も経っていた。気になれば気になるほど、なるべく見ないようにして、
着替えのたびに少しだけ気持ちが沈んでいた。
どうにかしたいとずっと思っていたのに、「どうにかする方法がある」とは、考えたことがなかった。
ちゃんと方法があった。
それだけで、何かが変わった気がした。
初めて、鏡をちゃんと見た
ナベシャツを買った。
届いた日、着替えて鏡の前に立った。
胸が、平らだった。
嬉しかった。それだけだった。正面から見て、横から見て、また正面に戻って。
久しぶりに、鏡の前でしばらく過ごした。大げさなことは何もなかった。
ただ、いろんな角度から自分を見て、「いいじゃん」と思った。
小学生のころ、洗面台の前で一秒だけ見てすぐ目をそらしていた。
その自分が、鏡の前でこんなに時間を使う日が来るとは思っていなかった。
知らなかった選択肢たち
仲間たちから、少しずつ情報を教えてもらうようになった。
医療的なサポートのこと。専門のクリニックで相談できること。体の変化に関わる治療や処置があること。
受けている人と受けていない人がいて、それぞれの理由があること。
体に関する手術のこと。ナベシャツとは違って、永続的に変わること。
踏み切った人の話、まだ迷っている人の話。
ひとつひとつが、中学の夜に「じゃあどうすればいいか分からなかった」あの問いへの答えだった。
あの夜、手詰まりのまま画面を閉じた自分に、教えてあげたかった。方法は、ある。選択肢は、ある。
全部をすぐに決める必要はなかった。ただ、「知っている」ことと「知らない」ことは、全然違った。
知ることと、できることの間に
情報を知ったからといって、すぐに動けるわけじゃなかった。
大きな壁があった。ソフトボールで就職している、ということだ。
体に関わる治療や手術には、回復期間が必要になる。体力や体つきへの影響が出る可能性もある。
競技を続けながら、どこまでできるのか。そもそも、できるのか。
仲間に聞いても、答えは人それぞれだった。競技を優先して後回しにしている人もいれば、
体を優先してソフトボールを離れた人もいた。どちらが正解かなんて、誰にも分からなかった。
ソフトボールをやめるか、という問いが、頭の中に浮かんだ。
小学生のころからずっと続けてきた。特待生で高校に入って、国体に出て、実業団に入った。
ソフトボールは、私の中で一番長く続いているものだった。グラウンドにいる間だけ、余計なことを考えなくてよかった。
その場所を手放すことが、どういうことなのか、うまく想像できなかった。
でも、このまま体のことを後回しにし続けることも、少しずつしんどくなってきていた。
ナベシャツをつけて練習に出た。体が、少し軽かった。グローブをはめて、グラウンドに立つ。その感覚は好きだった。
今も好きだった。だからこそ、答えが出なかった。
中学の夜の自分へ
あの夜、暗い部屋で画面を見ていた自分のことを、たまに思い出す。
「向きが違う」という感覚だけを持て余して、次に何をすればいいか分からなくて、履歴を消して布団に戻った夜。
あの頃の私には、選択肢が見えていなかった。
でも今は、見えている。
全部を選ぶ必要はない。全部を急ぐ必要もない。ただ、「自分の体を自分のものにしていく」という方向が、
ぼんやりと見えてきた。それだけで、朝が来るたびに少しだけ違う気がした。
鏡の前に立つのが、怖くなくなってきた。
動き出した、ということ
動き出す、というのは大きなことじゃなかった。
ナベシャツを一枚買うことだった。仲間に「どうやって相談先を探したの?」と聞くことだった。
まだ先のことだけど、選択肢として頭に入れておくことだった。
そういう小さなことが、積み重なっていった。
中学のあの夜から、何年もかかった。でも、動き出せた。
それだけで、十分だった。
次回「私が僕になるまで」第6回は、家族に話した日のことを書きます。
【書き手より】ナベシャツという選択肢を教えてくれた仲間がいなければ、動き出すのはもっと遅かったと思います。
「知っている人」がそばにいることの大きさを、あの頃に教えてもらいました。
同じように「方法が分からない」と感じている人に、この記事が届いたらうれしいです。