国体の夏と、初めて「仲間」に出会った場所。
シリーズ「私が僕になるまで」第4回
高校最後の夏、国体の選手に選ばれた。
選ばれることは、正直、想定していた。県内ではトップ選手という自負があった。
だから通知を受け取ったとき、驚きはなかった。それより、「また遠くまで行くことになる」という感覚の方が先に来た。
それだけ、あの頃の私はソフトボールの中にいた。
グラウンドにいる間だけ、余計なことを考えなくてよかった。だから、遠征も試合も、ただそこに向かっていた。
国体の会場で、はじめて他府県の選手たちと同じグラウンドに立った。
全国から選ばれた選手たちが、同じグラウンドに集まっていた。
同じグローブをはめて、同じ目的でここにいる。名前も知らない。学校も違う。
でも、ここにいる理由は同じだった。それだけで、不思議と少し楽だった。
試合が終わると、選手たちが入り混じって話すことがあった。
短い時間だった。でも、その中に、なんとなく気が合う子がいた。
同じチームではない。また会えるかどうかも分からない。それでも、その子と話しているとき、あの「薄い膜」がなかった。
なぜかは、その場では分からなかった。
ただ、帰りの電車の中で、ふと思った。あの子も、もしかしたら——と。
答えを確かめる方法はなかった。
でも、その「もしかしたら」が、何かをほどき始めた気がした。
実業団という、新しい場所
高校を卒業して、実業団のチームに入った。
環境がまた、まるごと変わった。学校ではなく、仕事としてソフトボールをする場所。
年齢もバラバラで、社会人としての先輩たちがいた。高校までとは空気が違った。
最初は緊張していた。
ここでもまた、本名で呼ばれる日々が始まった。「きっくん」を知っている人は、ここにも誰もいない。
新しい場所に入るたびに、ゼロから始まる感覚があった。自分のことを、どこまで見せていいか分からない。
いつもの「少し遠い」感覚を抱えたまま、練習に出た。
「あれ、この人もしかして」
チームに慣れてきた頃、気づいたことがあった。
同じチームの中に、なんとなく「似ている」と感じる人がいた。
外見ではなく、雰囲気というか、何かの感じ方が近いような気がした。うまく説明できなかった。
ただ、その人といるとき、いつもより少しだけ楽だった。
「あれ、この人もしかして」と思った。
でも、確かめる勇気はなかった。自分のことをまだ誰にも話していないのに、相手のことを聞くのはおかしい気がした。
だから、ただ一緒に練習して、笑って、それだけで過ごしていた。
初めて、声に出せた日
ある日の練習後、ふたりで残って片付けをしていたとき、その人がふと聞いてきた。
「好きな人、いるの?」
一瞬、止まった。いつもの、あの一瞬だ。返事を選ぼうとした。でも、その人の聞き方が、これまでと少し違った。探るような、試すような——そういう感じがあった。
「います」
声に出したのは、そのときが初めてだった。
大切な人の存在を、初めて外に出せた日。その人は特に驚いた様子もなく、「そっか」とだけ言った。
それから少し間があって、自分も同じ側にいるということを、静かに話してくれた。
私は、しばらく黙っていた。
驚いたわけじゃなかった。やっぱり、と思った。でも、それより先に、胸の中で何かが大きく動いた。
この人は、自分と同じ景色を見ていた。あの「少し遠い感じ」を、同じように抱えてきた人だった。
コミュニティが、広がっていった
その日から、少しずつ変わった。
同じチームの中にも、もうひとりいると分かった。
対戦する他チームの選手と話すうちに、同じ景色を持つ人だと分かる人が出てきた。また別の試合で、また別の人と。
気づけば、ソフトボールのコミュニティの中に、同じ景色を持つ人たちのつながりができていた。
ひとりじゃなかった。
ずっとそう思いたかったけれど、証明できなかったことが、少しずつ形になっていった。
グラウンドの外でも連絡を取るようになった。自分のことを話せる場所が、少しずつ増えていった。
「私だけがこう感じている」という感覚が、少しずつほどけていった。
グラウンドで笑い声が響く。
その笑い声が、ちゃんと近くから聞こえた。
小学生のころ、幼馴染のふたりと外を走り回っていたあの感じ。
「きっくん」と呼ばれていたあの頃の笑い声と、同じ距離でまた笑えた。
ずっと遠くから聞こえていたものが、ここではちゃんと近くにあった。
遠さの、意味が変わった日
あの頃からずっと、笑い声が少し遠くから聞こえていた。
楽しいのに、遠い。好きなのに、どこか膜がある。その感覚を、ずっと「自分だけのもの」だと思っていた。
名前もなかった。説明する言葉もなかった。ただ、「何かが足りない」という感覚だけが、静かにそこにあった。
実業団のグラウンドで、初めてその感覚がなかった。
遠さが、消えた日があった。
全部が解決したわけじゃない。自分の体のこと、書類上のこと、
まだ誰にも言えていないこと——抱えているものは、まだたくさんあった。でも、ひとつだけ分かったことがあった。
私は、ひとりじゃなかった。
それだけで、十分だった。その日は、それだけで十分だった。
次回「私が僕になるまで」第5回は、自分の体と、向き合い始めた頃のことを書きます。
【書き手より】「同じ景色を持つ人」に出会うということが、こんなにも大きなことだと、あの日初めて分かりました。
ひとりで抱えていたものが、急に軽くなる瞬間があります。そういう場所が、誰にでもあってほしいと思っています。