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シリーズ「私が僕になるまで」第2回


その言葉に出会った夜のこと。

前回の記事に、こう書いた。

家族が寝静まってから、そっとパソコンの前に座った。

画面を閉じて布団に戻りながら、履歴を消したことだけは、今も覚えている。

今回は、その夜の少し前のことから書こうと思う。


テレビに、はるな愛さんが出ていた。

何の番組だったか、正確には覚えていない。ただ、画面の前で固まったことだけは覚えている。

「トランスジェンダー」という言葉を、そのとき初めてちゃんと聞いた。

女性として生きている人が、生まれたときは男性だったという話だった。体と心の性別が違う、ということ。

笑顔で話すはるな愛さんを見ながら、私は何かを探すようにその言葉を追っていた。


でも、何かがずれていた。

はるな愛さんは、女性として生きている。生まれたときの性別とは逆の方向へ。

私は——と考えたとき、頭の中で何かが止まった。

私が感じているのは、この人とは、向きが違う。

その感覚だけは、はっきりあった。でも中学生の私には、その「向きが違う」という感覚を持て余すことしかできなかった。

言葉にする方法も、次に何をすればいいかも、何もわからなかった。ただ、テレビの前で黙って、その感覚を抱えたままでいた。


それまでの私は、自分のことをレズビアンだと思っていた。

好きになるのが女の子だったから。それが一番しっくりくる説明だと思っていた。

名前が合わない感覚も、更衣室が居心地悪い感覚も、全部そういうことなのかと、どこかで折り合いをつけていた。

でも、はるな愛さんを見た夜から、少しだけ何かがほどけ始めた。

女性に生まれて、女性が好き。だからレズビアン——そう結論づけていた自分がいた。

でも本当は、好きになる相手の話だけじゃなく、自分自身の話もそこに混ざっていた。うまく分けられなかった。

分けるための言葉を、持っていなかった。ずっと「女性が好きな私」という一文で、全部を説明しようとしていた。


 

 

検索できない言葉を探していた

あの頃、何かを調べようとするといつも詰まった。

何を入力すればいいのか、分からなかった。「体の性別と心の性別が違う」ということは分かった。

はるな愛さんの話を聞いたとき、「これは自分のことだ」という感覚は、すぐにあった。

向きは違っても、心と体がずれているという感覚は、同じだと思った。

ただ、じゃあどうすればいいのか、が全く分からなかった。

心と体を一致させるとはどういうことなのか。何をすれば、何が変わるのか。

中学生の私には、その先が何も見えなかった。「自分のことかもしれない」と思いながら、次の一手が何も浮かばなくて、

ただ画面を閉じるしかなかった。


ある夜、その言葉を見つけた

家族が寝た後、パソコンを開いた。

何を検索したかは、もう正確には覚えていない。ただ、その夜に初めて「FTM」という言葉を見た。

Female to Male。女性として生まれ、男性として生きる人のこと。

画面を見たまま、しばらく動けなかった。

大きな衝撃、という感じではなかった。泣いたわけでもなかった。

ただ、静かに、何かがはまった。パズルのピースが一枚、あるべき場所に収まったような——

でもそれは、パズルの全体像がまだ見えていない段階での話だった。


「レズビアン」ではなかった

FTMという言葉を知ったとき、最初に思ったのは「あ、そういうことか」ではなかった。

最初に思ったのは、「じゃあ私はレズビアンじゃなかったのか」だった。

好きになるのが女の子だということは、ずっと変わらなかった。それは本当のことだ。

でも、好きになる相手の性別の話と、自分が何者かという話は、別の話だった。

当時の私には、その区別がついていなかった。ひとつの言葉でまとめてしまっていた。

FTMという言葉を見て、初めてその二つが分かれた。

好きになる相手の話と、自分が何者かという話。長い間、ひとつだと思っていたものが、ゆっくりとほどけていく感じがした。


履歴を消した

ひと通り読んで、画面を閉じた。

履歴を消した。

なぜ消したのか、今でもうまく説明できない。誰かに見られたくなかったから、というのはある。

でも、それだけじゃなかった気もする。まだ自分の中で整理できていないものを、外に出してしまいたくなかった——

そういう感覚もあったと思う。

布団に入って、天井を見ていた。

眠れなかった、というわけでもなかった。ただ、何かがそこにある、という感覚が、静かに胸の中に残っていた。

「FTM」という言葉が、暗闇の中でしばらく浮かんでいた。


名前がついた夜

その夜、何かが解決したわけじゃない。

誰かに話せるようになったわけでもない。次の日の朝、普通に学校に行って、普通に過ごした。

「きっくん」と呼んでくれる人はもういなかったし、出席簿では相変わらず別の名前で呼ばれた。

何も変わっていなかった。

でも、ひとつだけ変わったことがあった。

あの「何かが足りない」という感覚に、輪郭ができた。

ずっと、形のない何かとして胸の中にあったものが、その夜初めて、少しだけ形を持った。

名前がついた、とまでは言えない。でも、「これには名前があるかもしれない」という予感が、生まれた。

それだけで、十分だった。その夜は、それだけで十分だった。


次回「私が僕になるまで」第3回は、高校に上がって景色が変わった頃のことを書きます。


【書き手より】
はるな愛さんの存在が、私の最初の「気づき」のきっかけになりました。テレビに映る誰かの姿が、誰かの人生の入口になることがある。そのことを、今でも思います。