
神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた

神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた
自分が思う普通は
本当に普通なのか
自分が思う基準は
本当に基準なのか
自分が思う平均は
本当に平均なのか
自分の世界だけの普通
自分の周りだけの基準
自分が思うだけの平均
自分が
把握している範囲の普通
自分が
見てきた環境での普通
果たして
それの普通は
自分にとって
正しいのか
間違っているのか
まあ
自分が選択して
自分が
思い
考え
動いているなら
その選択が
間違っていても
自分が選んで
行動しているのだから
問題ないだろ
ただ
それが絶対ではなく
自分の思いで
自分の考え方で
自分の経験で
普通も
基準も
平均も
感じ方が
変わってくるということを
忘れてはいけない
神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた
挫折をする
その経験はいいこと
それも自分の糧になる
挫折するから
気付ける
何て言うけど
ほんとに
それは挫折なのか
挫折の価値観を
自分にもってくるか
相手の価値観に
もってくるかで
挫折の意味も違ってくる
挫折と取るのか
合わなかった
違ってた
やり方が違った
自分はこの道じゃないと
気づいた
気づけたのではないか
そう
辞書で意味を調べると
目標を設定して
それが失敗したから挫折
と書いてある
じゃあ
自分の今までに
明確な目標を
立ててないものも
うまくいかなかったこととして
挫折という言葉で
片付けていないか
それは
挫折じゃないのでは…
日々の中で
選択して進んできたこと
そこが
上手くいかなかったからと
簡単に
挫折という言葉で
片付けてしまっていいのか
その道を進むことが
全てだとは限らない
その道を
進まなくちゃいけなくて
途中でやめることを
人は
挫折というかもしれないが
自分にとって
それは
本当に挫折なのか
その道は
進むべき道なのか
その道が
自分にとって
本当に
その道が
正しい道なのか
それもわからないのに
途中で方向転換しただけで
挫折という言葉で
括るのは
少し寂しい気がする
挫折という言葉で
片付けるか
もっと違う言葉で
片付けるかは
他人が決めることではない
本人が
挫折と思えば挫折
本人が
挫折じゃないと思えば
挫折じゃない
相手が
あそこで
あの道に行かなかったから
出来なかった
やれなかった
だから
挫折したんだよねっと
その決めつける言葉に
縛られることは良くない
自分の道は
自分で決めて
自分で
責任をとって
挫折にしようが
過程にしようが
必要な経験にしようが
方向転換にする機会とするか
全て自分次第なのである
挫折という言葉で
強くなれる人と
なれない人がいる
なれる人は
好きに挫折を使えばいいが
なれない人は
そこに振り回されないよう
自分で
納得して
経験をひとつずつ
選択していけばいい
挫折でなく
最善結果到来なのだから
神仏を大切に愛のある日々をSoul Automatic Writer くぼた