去年、屠殺場に行ってから、僕はずっと「食」についての本を読んだり、映画を見ている。
「ブタのいた教室」「フードインク」「いのちの食べかた」・・・
エリックシュローサ―「おいしいハンバーガーのこわい話」では近代の食肉加工の恐ろしさを目の当たりにした。
だけど、今回「脱牛肉文明への挑戦」を読んでさらに衝撃を受けた。今にはじまったことじゃないんだ、と。
アメリカの歴史は、牛肉の歴史だったのか。インディアンは牛を育てるために住む場所を失ったのか。先進国の人が牛肉を食べるためにどれだけの資源を食ってるか、そういう幅広い方面から、考えることが出来た。考えさせられた。
僕は、いろんな衝撃を受けて、衝撃を受けた分野が多すぎて、どういう文章を書いたら、この本の感想が書けるか考えたけど、分からなかった。だから、書かない。この本の感想は、書けない。
書こうと思ったら、伝えたい一部しか紹介できなくなりそうで、そうしたら、それは僕がこの本に抱いた感想ではなくなってしまう。
そうやって、すごい衝撃を受けていた時に、メールが来た。
「NHK見てますか?」
じゃあ、と見る。おじいちゃんが時代劇見ていたのだけれど、リモコンを取り上げて。
そしたら、オランダの大規模農業が紹介されていた。福岡市が、それを視察して真似しようとしていた。
メールをくれた友達は、それに違和感を感じたらしい。
僕は、今まで近代農業のシステムに違和感を感じていなかったと言ったらウソだけど、なんだか、ただ割り切っていたのかもしれない。
ただ、近代化ってのは産業革命後に爆発的に進んでいったと思うんだけれども、それ以前も効率化していく努力は、農家それぞれがしていたと思う。
どうしたら収穫がラクだろう、どうやったら作業を減らせるだろう、って。
そしたら、いまの超大規模の栽培もその延長なのかな。(まぁ、石油資源を使って季節をずらすっていうのはここで議論しない。あくまでも大規模栽培について。)
僕は、そうだと思う。
よりたくさん、より安く野菜を作ろうと思うのは当然である。ヨーロッパ人がより大量に牛肉を作るため、アメリカを開拓したのも、当然だと思う。
だけど、それは日本人の感覚、僕の感覚には合わないとも思う。
僕はおじいちゃんに聞いた。
「昔はどんな野菜を作って、何を売っていたの?」って。戦前と戦後について、感覚的だけど比較できるように聞いてみた。
【戦前】僕ん家では、米と麦は販売していた。栗は組合があって、組合に出荷していた。(組合は栗を輸出していたらしい。)鶏は10羽くらい放し飼いにしていて、卵屋さんが卵を買い取りに来たらしい。その廃鶏は食べる事も、売ることもあった。野菜は食べる分だけ作って、多く出来た場合は近所に配ったり、近くの商店に売ったりした。味噌と醤油は作って、砂糖は買った。年に3回くらい刺身を買った。魚はフナやコイは捕まえた。
【戦後】戦時中くらいから養豚を始めた。最初は5頭くらいだったから、うちでは食べなかったけど、しばらくしてからは、台所に豚の半身をぶら下げておいて、食べていった。残りの半身は、新宅(隣の家。分家。)にあげた。米、麦などの畑仕事がメインだったけど、祖父はどうしても豚がやりたくって、永雄さん(曾祖父)の反対を押し切って、夜中に世話をしていた。鶏も放し飼いではなく200羽くらいに増やした。
日本って、穀物以外は売る文化がなかったんだと思う。
お米がどれだけつくれるかが大切で、武士はどれだけ年貢がとれるか考えていた。
そして穀物以外の野菜は、足が速いということもあるかもしれないが、自家消費分だけを作った。
江戸時代からは、開拓する土地がもうなくなったから、「たくさんお米を作る=丁寧につくる」という発想になった。ヨーロッパ人は、効率化して広い面積を耕すという発想だったかもしれないが、日本人は頑張って限られた面積でたくさん収穫するっていう発想だ。
ちょっと、ぐじゃぐじゃ書いてしまったのでまとめると、
*自分の食べる野菜は自分で作っていた
*日本人は限られた土地で農業をしていた
この2点が、オランダの大規模農業に対する、アメリカの牛肉産業に対する違和感なのかなって思った。僕らの「がんばる」って言葉は、ラクしてたくさんの野菜を作ること(効率化)ではなく、限られた土地で多くの終了を得る事である。
100働いて、100生産していたのを、200働いて、150生産する。これが「がんばる」って言葉だと思う。
だけど西洋では、100働いて、100生産。150働いて、200生産。こういう働き方だ。
その価値観の違いが、もやもやの原因のすべてではないけれど、西洋の農業を理解するときに、考えないといけないことの一つだなぁって思った。だけど、価値観を理解したうえでも、その農法にはおかしいと感じる事もあるんだろうけど、あるけれど。