平成最後の夏~花Cherieロケ地訪問~③ | オレンジ色の架橋

オレンジ色の架橋

日々の生活で感じたこと、思ったこと。気ままに語っています。
お付き合いいただけたら嬉しいな。

AAA・西島隆弘さんとゆず、backnumberが好きです♪

 
 
Nissyのロケ地として訪れた場所ですが
本来の姿は、戦争の痛ましい記憶を風化させることなく後世に伝えていくための記念館です
 
太平洋戦争が勃発してからの年表
海軍士官が着ていた外套や帽子
出撃後にあげた新郎のいない結婚式の写真
親に宛てた遺書
戦死を知らせる電報
 
壁に並んだ写真に写る若者たちは皆
賢そうで凛々しい表情をしていました
真面目なエリートほど洗脳しやすかったそうです
生きていればその後の日本の中枢で活躍した人材だったでしょう
 
志願という名の強制任務
お国のためにという一言はもはや脅し文句としか思えません
 
笑顔の集合写真には理由があって
 
一人でいる時は死への恐怖に押しつぶされそうでも
仲間と一緒にいる時は笑顔でいられたんですよ…
 
生き残ってしまった教官が
涙ながらに語っていたのが印象的でした
 
ここで特攻隊員としての訓練を受けて送り出され
そして命を落とした60人の人生に思いを馳せる時
残された家族の心情を慮る時
何が正しくて何が悪いのかを判断することさえできなくしてしまう戦争という悲劇を
ただ、ただ、憎まずにはいられません
 
 
 
 
あくまでも個人的な意見なのですが
ロケ地だからと浮かれて訪れ
笑いながらここで写真を撮るのは
もしかしたら不謹慎なのではないか…
実はずっとそう思っていました
 
一度は取り壊しが決まっていたこの施設
期間限定のイベントとしての公開を経て
恒久化が決定し、全面リニューアルされました
 
新展示館には艦コレが登場したり、アニメのキャラクターのパネルもあります
売店では艦コレグッズも取り扱っていました
 
 
 
 
 
これに関して
新たな取り組みとして評価する人もいれば
違和感を感じる人もいるそうです
 
8/14の首都圏ネットワークの中で館長の金澤さんがおっしゃっていました
 
これからもこの施設を残していくためには
どんなきっかけでも良いから
まず知ってもらって、来ていただくことが必要…と
 
そっか!
だったら私が行ってもいいんだ!
それを聞いてその言葉に背中を押されて
私はここにやって来ることができました
 
ありがとうございます
 
きっかけは何でも良いのかもしれません
ここに足を運んで、そして何かを感じて帰っていく
感じたことを誰かに伝えても良いし
ふとした時に思い出すだけでも、むしろ十分
 
平和なこの国の過去に
一体何があったのかを正しく知ること
 
それが昭和、平成、そして来るべき次の年号と共に
新しい時代を生きていく私達がやるべき事なのではないか
 
平成最後の夏にそんなことを思いました
 
 
 
 
◎首都圏ネットワークの記事はこちらから読めます