幸せとは。
という問いに。
素直に
「答えはナイ!」
って言ったんだ。
そもそもどーして子供の幸せが何なのか知りたいの?って逆に質問した。
そしたら
「私、笑って写ってる写真の時は幸せだったのかなって思ったの。あんな生活してたけど笑うことが出来たのは、そーゆうことなのかなって。」
こないだ夜中、小さな頃の写真を1人で見てたことがあって。
写真を撮った場所の記憶は戻ったんだけど、その時の感情までは思い出せないんだって言ってた。
気になってたんだね。
だからオレ達が子供の頃の幸せは何だったか聞きたかったんだって分かった。
Jが
「無理して笑ってたとしても、作った顔だったとしても、お前は親父としかあんな顔して写ってねーじゃん。それが幸せかは分かんないけど、笑える瞬間があったことに変わりはナイだろ?」
「幸せだから笑うの?」
「不幸のどん底にいても笑えた瞬間はあったってこと。そこに幸せがあるのかは分かんない。幸せかどうかなんて顔で決まらないだろ?」
「そーなの?!」
「オレみたいに不幸な子供だと、悩みが何にもないことが幸せだと思うけど、(オレ)みたいに何にも考えてなかった子供は、幸せなんてことも考えたことはない。要するに幸せになりたいってことをわざわざ考えたりする必要はナイわわけ。納得した?」
「うーん💧」
「お前はどんな答が欲しいんだよ💧」
嫁は黙った。
欲しい答。
遡ると写真に写ってる時が幸せであってほしかったのか?と思って。
「単純に嬉しいから笑ってたんじゃん?それってその時は楽しかったってことだし、悩みもなかったんだよ。それは幸せだなってお前自身が思ったからじゃないのか?」
「本当にそう思う?!」
幸せだったと言ってもらいたかった。
それが嫁がほしかった答えだと思った。
幸せは自分で感じることだと思うけど。
自分で分からない時に、誰かに断定してほしいと思うこともあるのかもしれない。
感情までは戻らない記憶の中で。
本当に親父は嫁を愛し、心から寄り添っていてくれたのか。
だから嫁は笑顔で写真に写っていたのか。
知りたくても思い出せないから。
オレ達に言ってほしかった。
幸せだったってことを。
だからなのか。
嫁の顔はヤケに穏やかに見える今日の朝です。