祖父母は母を失った姉と私を山陰の小さな町に引き取って、大きな愛を掛けて呉れました。道路より高い場所に建つ広い平屋です。屋根の付いた大きい門は夜になると閂が掛けられ…姉は玄関脇の部屋が自室で、私は祖父母と一番奥の部屋で休みます。祖父は床の中で毎日漢詩を口にして、…お正月には家族四人百人一首で遊ぶのが恒例でした…。庭が広く茶の間と客室の前に長い廊下が有って、その前に和風…巨石の庭が有り真ん中の畳程の平らな石の上が私の遊び場でした。 和風庭を抜けると竹藪や色々な樹が有るお庭と木小屋。 南側の庭、私達が休む部屋の廊下前は金魚の池とツクバイの庭…大きい石も配置され、その後ろは山林風…、台所と食事室の前に百坪程の畑が有り(肥用の小父さん)が毎日畑をやりに来て居ました。東側には祖父の収集品を納める藏が有って、その脇に井戸…後ろに畑、台所の入口前に家見たいな大きな物置。…その向こう側に三部屋位の台所付離れ家と広い畑が有りました。不思議なのはあの広い畑で採れた作物や毎年大鍋一杯に煮ていた竹ノ子、あれらは誰が食べたのでしょうね。祖母がお料理を作って居るのも見た事がありません。台所をやる女性が毎日来て居て面倒を見て貰いました。