筆者は世紀末生まれなのだが、筆者が物心つく頃には既に島耕作シリーズという漫画の存在は知っていた。
流石に作者の名は知らなかったが、それでも中学高校ぐらいになると「弘兼憲史」という漢字四文字を見かけて「島耕作シリーズの作者かな」というような連想は出来るようになっていた。
2015年ごろ雑誌『SAPIO』を開いていると弘兼憲史氏が書いたコラムが載っており、「育児に熱心な男は出世しない」という内容が書かれていた。
また、このあたりの時期に、恐らく弘兼氏が書いていたものだと思うのだが、「イクメンなどを持てはやして出産や育児に満足していたら人類は哺乳類と一緒になってしまう。そんな思想では人類は進歩できない」といった文章をどこかの媒体で見かけた記憶がある。
弘兼氏以外の人が書いた文章だったかもしれないし、今となっては誰の文章だったのかすらあやふやなのだが、当時この文章を読んだ筆者は「いや、人類全体で少子化が進んだら人類はいずれ滅びることになる。科学技術がどれだけ発達したところで出産や育児を怠っていたら存続自体が危うくなってしまう。人類絶滅を回避したいなら、他の哺乳類と一緒のレベルになってでも出産や育児を推し進めるべき」と感じた記憶がある。
いずれにせよ、弘兼氏は雑誌や新聞などに多くの文章を載せていたし、今もそうである。
平成末期の或る日、新聞を開いていると、弘兼氏の文章が載っていた。「日本の電機メーカーが低迷し、中国などの海外企業が躍進している理由は、日本企業が兎であり居眠りをしていたからだ」というような内容だった。これを読んだ筆者は「この弘兼氏って元々電機メーカーにいた方だよな。文字数の関係もあるのだろうが、内部にいたからこそわかることも沢山あるはずなのに分析が浅すぎないか」と感じた。
当時の記憶を頼りに該当記事を検索したところ、「古巣の100年、島耕作が社長なら…弘兼憲史が思う未来」という記事が見つかった。
改めて記事を読むと、「豊かな国内市場に甘え、海外で骨身を削るような競争をしてこなかった」という一文も載ってはいるが、正直なところ「日本企業は規模の大きい日本市場だけで満足し、海外への意識が足りない」などといった言説(K-popを褒めたたえる記事などで顕著)はありふれており、これも「業界内部にいたからこそ出来るような鋭い分析」とは言い難いように思われる。
その後、「課長 島耕作」の単行本を何巻か流し読みしたことがあった。内容は一部しか覚えていないが、主人公が米国へ行った際の展開など、興味深いシーンは幾らかあったように思う。
島耕作シリーズと同じ漫画雑誌に『ナニワ金融道』という作品が連載されていた。
この漫画の作者である青木雄二氏は或るエッセイで具体的な作品名こそ伏せていたものの明らかに島耕作シリーズと思われる作品を批判していた記憶がある。
エックスで調べると、やはり青木氏は呉智英氏との対談で島耕作シリーズについて言及していたようだ。
井上靜さん: 島耕作はろくに仕事せず遊んでばかりなのに何故か業績が良くて出世している、と青木雄二が指摘したら、呉智英が、島耕作が道で倒れている老人を偶然みかけ介抱してやったら、それは次の取引先の会長だったので商談が上手くまとまったり、ご都合主義にしても「まるで少女漫画」と言ってました。 (熊ノ翁・昔の創作界隈)
弘兼氏は島耕作シリーズ以外にも複数の短編漫画を描いており、筆者は『サンシャイン・ロード』という読切を6年ほど前に読んだことがある。
その作品では、凄く努力していたボクサーが試合に敗れた展開があった。その際、或るキャラが「勝ったボクサーはもっと努力をしていたってことさ」というようなことを述べていた。
この台詞を読んだ筆者は「おっ、おう」と思った。そして「ストーリー自体は普通というか特に破綻していないし、悪い漫画という訳ではないけど、ただ、この漫画でないと見出しがたいような魅力(例えば『名探偵コナン』であればキャラやサスペンス要素やホラー要素など)とかは特に見えてこないかもしれない」と感じた。
たった今『サンシャイン・ロード』について検索すると、「弘兼憲史短編集(7) サンシャイン・ロード」という書籍が見つかった。この書籍の冒頭部で弘兼氏は以下の文章を載せている。
初期の、読みきり中心に描いていたころ、得意な分野をあえてつくらず、あらゆるものができるということを、編集者にアピールしたいと思っていました。詳しくない世界も無理して資料を読み込んで、ボクシングジムに取材に行ったり、 なんでもやれる弘兼、というかんじで頑張っていた時期なんで、作品を描くにあたって現場の取材をするということは、今の漫画を描く姿勢につながってるという気がします。
得意分野ばかりを描くひともいますが私はそういうタイプでなくて、こういうものを描いていこうと決まっていませんでした。
でも、こうして初期作品を見てみると、ヒューマニズムというテーマは根底にあって、それを描くには、モチーフ、主題、どういう舞台であろうと関係ないんだと思います。
この文章を読んで気になることがある。それは「資料を読み込んだり取材を行ったり」という箇所である。
弘兼氏といえば、「資料の読み込みや取材が不足している」と指摘されることが多い。
2024年ごろに発表された『黄昏流星群』の或る回でも「ウーバーイーツ的なサービスの配達員が個別の店舗に御用聞きに行くシーン」があり、ネット上で「弘兼氏はウーバーイーツ等の配達プラットフォームの仕組みを理解していないのか」という声があがっていた。
ビリヤードや、チェロや、茶室や、レコードの持ち方など、弘兼氏の絵は「下調べをあまりしていないんだろうな」と感じさせるものが散見される。
なお、島耕作シリーズには「主人公が手掛けた事業のうち、かなりのものが大失敗に終わっているのでは」という指摘がある。筆者は島耕作シリーズを断片的にしか読んでいないので、この指摘の妥当性を判断することは避けるが、弘兼氏が述べていた「一部の日本企業が低迷し、中国などの海外企業が躍進している理由」などを踏まえると不穏なものが感じられてくる。
島耕作の出身地・学歴・生年月日は弘兼氏の出身地・学歴・生年月日と一致しており、島耕作シリーズにおける主人公の言動は、弘兼氏自身が「自分が初芝電器産業(弘兼氏は松下電器産業の正社員だった)で、この立場にいたらこうする」と考える言動に近いと考えられる。
個人的には「彼が松下電器産業(パナソニック)を退職せず定年になるまで勤務し続けていた場合、松下電器産業(パナソニック)はどうなっていたのか」が少し気になっている。
因みに、ビリヤードや、チェロや、茶室や、レコードの絵などを見て筆者は「絵や映像が絡む作品においては誤魔化しが非常に効きづらい」ということを改めて実感した。
例えば、弘兼氏が漫画家ではなく、絵の描けない小説家だったとする。そして、「人気連載小説である島耕作シリーズの主人公がチェロを弾いているショート・ショートを書いてください」と編集者から依頼され、弘兼氏がショート・ショートを書いたとする。
もちろん文字量が長くなれば下調べの不足は読者に露見しやすくなるが、文字量が少なめであれば露見のリスクを下げることが出来る。
具体的にいえば、「島耕作が独りチェロを弾いているシーン」を描写したショート・ショートの場合、以下のような内容が考えられる。
或る日の夜、島耕作は駅近くの公民館に入った。
有名企業の課長である彼には秘密があった。それは、公民館の一室に置かれてあるチェロを自由気ままに演奏することだった。
彼はネクタイを緩め、静かに弓を動かした。
渋みのある音が床を這う。
上司から叱責を受けた苦い記憶も、取引先に頭を下げた辛い記憶も、その音に押し流されてゆく。
曲の終わり際、不意に拍手のようなものが聞こえた。
「さっきのあれは何だったのだろう?」と思い、彼は周囲を見渡したが、誰もいなかった。
翌日、彼は公民館を訪れた。
受付のほうにあるノートを開いていると、きのうの日付が書かれたページがあった。
そのページには「深夜、チェロ演奏あり。観客一名。涙を流して退館」という文章が記されていた。
彼は公民館を出た。そして、中古のチェロに関する情報を得るべく、楽器専門のリユースショップへ向かったのだった。
これはチェロの弾き方を殆ど知らない筆者が数分で書いた拙文だが、チェロに詳しい人がこれを読んで真っ先に「このショート・ショートを書いた人はチェロの弾き方が全然わかっていないんだな」と感じる可能性は低いと思う。
だが、「島耕作がチェロを弾いている絵」や「島耕作がチェロを弾いている短編アニメーション」を描こうとするならば、チェロの弾き方を一通りは把握しておかないと、チェリストたちから「この弾き方はおかしい」などといった指摘を受けることとなる。
漫画家やアニメーターは小説家などとは比べものにならないぐらい描く題材について下調べを行う必要があり、そのことは漫画やアニメの制作における難しさの一つなのではないだろうか。