半年ほど前、筆者はドラマ『とんぼ』を視聴した。

第1話から最終話まで視聴して凄く気になったことがある。

それは、主人公の言動がしばしばブーメランとなっていることである。

 

主人公の小川英二は渋滞にイライラして自分の周囲の自動車を毀損するなど、周囲の人々に迷惑をかけてばかりいるのに、蕎麦屋の高校生たちには「思いやり」や「世の中、他人がいるってこと忘れるんじゃねえぞ」と説いていた。

 

体格の良さそうな青年に対して「お前だよ、おめえ、ラグビー部」や「でっけえ図体ぶらさげやがってコノヤロー」と彼の姿を揶揄するようなことを言いながら、自分がランニング中に「けんこうてき~!」や「お父さん、オリンピック終わったよ」と若者らに自分の姿を揶揄されたときは、その中の一人の頬を叩き、蹴りを入れて「茶化して喜ぶおもちゃじゃねえんだよ、人間ってのはよ」と語っていた。

 

「トイレ掃除は掃除後のトイレを自分の舌で舐められるほど徹底的に行え」と説きながら、排便後に自分の尻をきちんと拭いていないようでパンツに大便がついていることを妹に指摘されるシーンもあった。

 

英二が自分の舎弟と電話しているとき、英二は舎弟が女(恋人)と一緒にいることを察し「ちゃんとゴム(コンドーム)つけるんだぞ」と伝えている。

ところが、英二は後に自分の恋人とゴムをつけずに性行していたようで、その恋人は妊娠に至っている。

妊娠を知った恋人は悲しんでいる様子ではなかったが、英二が交際を始める前の段階で強引に彼女の胸を揉んでいたことなどを考えると、英二が性行の際にゴムをつけないことを恋人と同意していたのかは疑わしく「うーん」と感じてしまった(まあコンドームをつけていても妊娠の可能性が完全にゼロとなる訳ではないのだが)。

 

なお、英二は出前に対しては全然、否定的な態度をとっていない一方で、スーパーマーケットの惣菜に対しては「パック入りのくそみたいなもん食えるかよ」とケチをつけている。

これに関して、筆者は「出前もスーパーマーケットのお惣菜も身内以外の他人が作った料理である。ラップなどで包装されて食卓に並ぶのか、パックで包装されて食卓に並ぶのかの違いでしかなくね?」と思った。

しかも、よくよく考えれば、そのパックにしてもパック入りの総菜はトレーの上にラップをかけて構成されている訳で、同じラップが使われているのに「スーパーマーケットの惣菜がダメで出前がOK」というのは不可解なように感じられる。

 

このように、英二は暴力的でブーメランや矛盾に満ちている人物な訳だが、興味深いことに、ドラマ『とんぼ』が地上波で放送されていたとき、少なくない数の視聴者が英二に好感を持っていたという。

この理由としては主に三つあると思う。

 

英二は舎弟の母親のために尽力したり、青森県から上京してきた交通整理の青年には一万円をプレゼントしたりと、英二は他人に優しい振る舞いも結構していた。

普段は粗暴でオラオラ系の人物がたまに善行をすると、そのギャップで普通よりも高く評価されるという現象は世間でしばしば見られ、この現象が英二においても起こっていたのではないだろうか。

 

また、英二を演じた長渕剛の容姿もプラスに働いた可能性がある。

屑な言動をしている人物が美女だったりイケメンだったりすると、「小悪魔系女子」や「小悪魔系男子」と呼ばれ、普通に考えれば欠点でしかない「性格の悪さ」が一つの魅力かのように扱われることも世間では珍しくない。

 

他の理由としては、世間には「或るストーリーに印象的なシーンがあったとき、そのシーンの前後を余り重視しない鑑賞者」が一定数いるということが挙げられるかもしれない。

 

例えば『ONE PIECE』という少年漫画には有名なシーンがある。

それは、主人公ルフィの兄エースが戦死するシーンであり、たとえば週刊少年ジャンプの編集長も務めた中野博之氏はエースが死ぬシーンを「世界の漫画史の中でもトップレベルの名シーン」と絶賛している。

筆者がこのあたりを読んだのは十年くらい前なので詳しい筋書を正確に覚えている訳ではないが、エースが「愛してくれてありがとう」とルフィに伝え絶命していったのは記憶に残っている。

 

一般論として、主人公の兄が戦死するという展開は感動シーンとなりやすく、「愛してくれてありがとう」という台詞も、これ単体で観れば感動的かもしれない。

だが、重要なことがあり、作中では、このシーンに至るまでの間、膨大な数のキャラがエース一人のために自分の命や時間を犠牲にしていたのだ。

エースの死を「ワンピースで読んだ中で一番ひどい出来事」と評する海外読者の声を引用する。

 

俺はエースのキャラ結構、好きだったんだよ。アラバスタで出てきて、1/3くらいでいなくなって、次に会うのはあの黒ひげの騒動の時だったから、そんなに描写はなかったんだけど、結構いいポテンシャルはあったんだよね。でも、そのポテンシャルが、死んだだけじゃなくて、死に方によって台無しにされた感じ。だって、色々あったのに、エースが「お前の母ちゃん、デカい」みたいなジョークにキレて、それで死んだって考えると、マジで真剣に受け止められないんだよね。マジでストレートに言うけど、あれはマジで「お前の母ちゃん、デカい」ジョークだったんだよ。赤犬が白ひげをバカにしただけで、エースは自分の人生に関わったみんなの努力を無駄にしたんだから。

ルージュはエースを生かすために自分の命を犠牲にして、20ヶ月もお腹の中でエースを育てた。ガープはロジャーの頼みでエースを引き取って、こんなことにならないように海賊の道から遠ざけようとした。白ひげはエースを自分のクルーに入れて、エースを助けるために何千人もの仲間が死ぬ中、世界最強の海軍に挑んだ。白ひげ自身もエースを助けるために死んだ。ルフィはインペルダウンっていう世界で一番セキュリティの高い刑務所を脱獄して、エースを助けるために何年も人生を捧げた。海軍本部にも突入して、エースを助けるためにさらに何年も人生を捧げた。それなのに、エースは赤犬が白ひげをバカにしたせいで死んだんだから。エース自身が、赤犬からルフィを「守る」っていう状況を作り出したんだよね。ルフィだって、物語の中で最も衝動的なキャラで自己防衛能力が低いのに、エースに赤犬を無視して先に進むよう頼んだんだから。

 

自分にとって大切な人である白ひげを馬鹿にされて感情的になってしまうのは気持ちとしては理解できるのだが、挑発にのってしまったがために、ルージュ、ルフィ、白ひげ、白ひげ海賊団の多くの団員たちの苦労や献身は水の泡となってしまった。

 

とどのつまり、エースが死ぬシーンは「挑発にのらなければ全然いきのこれたのに、見え透いた挑発にのってしまったせいで仲間たちの犠牲や苦労や努力や献身が無駄となってしまったシーン」であり、「名シーン」よりかは「迷シーン」に近いかもしれないと考えることも出来る。

 

人の価値観や思考プロセスには個人差がある。

或るストーリーに印象的なシーンがあったとき、そのシーンの前後を或る程度、重視する人であれば、エースが死ぬシーンを鑑賞して「これ、見え透いた挑発にのらなければエースは普通に生き残れたよね?多くの仲間の献身や犠牲を無駄にしたエースは無鉄砲すぎる」と呆れるだろう。

その一方で、或るストーリーに印象的なシーンがあったとき、そのシーンの前後や積み重ねを余り重視しない人であれば、エースが死ぬシーンを鑑賞して「エースが死んじゃって悲しい!『愛してくれてありがとう』とかマジ感動的で泣ける!」といった反応になるのかもしれない。

 

英二の言動に肯定的だった視聴者は、例えば英二が蕎麦屋の高校生たちに思いやりを説くシーンを鑑賞して、「普段まわりの迷惑となる行為ばかりしているお前が言うなよ」などと感じるのではなく、「言うべきことをはっきりと言う英二はカッコいい!」などと感じていたのではないか。

 

なお、この記事を書きながらドラマ『とんぼ』のストーリーを思いだしていると、或る夜中のシーンが頭に浮かんできた。

或る日の夜、英二と和服を着た恋人が小料理屋「松」を出て自動車に乗っていた。そのとき、英二は近くの路上で或る中年女性(恐らく母親)が一人の少年(恐らく母親の息子)を殴っていることに気づく。

英二は母親に殴られている少年を庇おうと、自動車を出て母親のところへ向かうのだが、なんと英二は母親の顔を殴ったのである。

そして母親を殴打した直後、英二は「やめろぅ、こんなところで殴るのはよぅ」と母親を叱るのであった。

人を殴った1~2秒後に「やめろぅ、こんなところで殴るのはよぅ」と語り出すのは最早「このひと記憶障害なの?」というレベルであり、或る印象的なシーンの前後をどれぐらい重視するのかという次元の話ではない気もする。

 

余談だが、筆者は或る予備校に通っていたことがある。

その予備校には増田という英語講師がいた。

クラスや年度などにもよるので一概には言えないが、私のいた教室には、明らかに不真面目な生徒は殆どなく、大抵の生徒は真面目だった。

そのため、授業中に講師が不真面目な生徒を叱るということは非常に稀だった。

 

だが、増田は些末なことでイライラして授業中に教壇を降りて、生徒に文句を言いに行くことがしばしばあった。

授業中に大きな声で私語をしている生徒や、授業中にPSPや3DSで遊んでいる生徒を叱るとかであれば理解できるし、そんな不真面目な生徒は筆者の周りにいなかったが、もしいた場合は、どんな講師であってもその生徒に注意なり激怒なりをしただろう。

 

しかし、増田はあくびをしながら板書をノートに書き写しているだけの男子生徒や、授業内容をノートではなく配布プリントにメモ書きしているだけの男子生徒にイライラして、それらの生徒の近くへ行き、「なあぁんねぇへぇ、もおぅ(何を言っているのかは聞き取れなかった)」や「ノートじゃなくて配布プリントに書いて楽しようとするなんて、やる気がないんだね」などと悪態をついていた。

問題行為を繰り返しているような生徒ではない普通の生徒に、しばしば悪態をついていた増田は、その予備校のなかで異様な存在だった。

 

そんな或る日、増田は傍から見て特に悪いことをしていない男子生徒にイライラし、いつものように男子生徒の席のそばへ向かった。

不毛さを感じつつ男子生徒と増田のほうに視線を移すと、増田は男子生徒をにらみながら「叱ってるんじゃないよ。怒ってるんだよ」と語っていた。

その2秒後、増田は「怒ってるんじゃないよ。呆れているんだよ」と語り始めた。

筆者が「このひと、2秒前と言ってること矛盾してない?」と耳を疑ったのは論を俟たない。

 

増田の授業内容は可もなく不可もなくだった記憶があるが、恐らく増田は深い思慮に基づいて悪態をついていたのではなく、何となくイライラしたから悪態をついていたのだろう。

この英語講師の例を参考にして考えると、英二は冷静さに乏しく、その場の瞬間的な気分に重きをおいて日々を生きているキャラクターなのかなと思えてくる。

世間には、その場の瞬間的なノリに重きをおいて生きているような人間が少なからず存在しており、そのような人間がドラマ『とんぼ』を視聴すると、「オラオラ系の人物がたまに見せる善行をするというギャップ」や「主演の長渕剛の容姿」も相まって「英二はカッコいい兄貴だ」などと感じられてしまうのかもしれない。

 

最後になるが、筆者はドラマ『とんぼ』を下らないドラマだとは考えていない。

主題歌『とんぼ』は「(凍りつく)ような」が「よな」と歌われているのが残念だが、メロディは本当に素晴らしく、この曲のメロディをテーマとしたBGMが流れると、それだけで情緒的な気分になるという方は多いのではないだろうか。

大滝秀治が登場するシーンに関しては、大滝秀治の自然体すぎる演技に感銘を受けた。

若干のツッコミポイントがあることは、そのドラマが駄作であることを必ずしも意味しないし、優れた役者の卓越した演技を鑑賞して感傷に浸ることが出来るドラマは貴重だと思う。

筆者は以前『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』という本を見かけたことがあるが、ジャニーズものでなくとも内容のあるTVドラマは今も昔も存在する。

ドラマの視聴においては、最新のドラマなのか否かよりも、『とんぼ』などのように見ごたえのあるドラマなのか否かが重要なのではないだろうか。