★底本

第一部 p75~80

 

★手塚による要約

超人を目ざす生の立場から、犯罪者を位置づける。それは、生の弱者、病者ではあるが、破滅に飛びこむ狂気、情熱はもっていた。

 

 

★解説

・ツァラトゥストラは本章で法官と青白い犯罪者の構図を比喩に用いて持論を展開している。ニーチェの犯罪観が窺える章となっている。

 

・ニーチェの感覚において、犯罪者が法官に対して頷く行為は、犯罪者が自分に疑いがかかっている罪を認めることを意味するらしい。本章に登場する青白い犯罪者は「自分自身の存在に苦しんでいる者」のことだが、ツァラトゥストラによると彼らは速やかな死以外に救い(救済)がないとのこと。

 

・法官(p75):司法の役人。裁判官。

 

・世間では、法官(裁判官や死刑執行人と言える刑務官)が「死刑判決を受けた犯罪者」を処刑する目的は被害者のための復讐だと捉えられることが多い。これは応報刑論の系譜に沿った考え方だが、ツァラトゥストラは「君たち、法官よ。君たちが犯罪者を殺すのは、同情からであるべきで、復讐からであるべきでない。そして殺すことによって、君たち自身、君たちの生の根拠を得るよう、心がけよ」と応報刑論を否定する。

 

・「死刑によって君たちが殺す者と和解するだけでは十分でない。そのときの君たちの悲哀をして、超人への愛たらしめよ」(p76)は「青白い犯罪者(君たちが殺す者)は自身のことを侮蔑しており、そのことを告白しているが、青白い犯罪者を死刑に処すことによって青ざめた犯罪者と和解するだけでは不十分だ。そうするだけではなく、更に、そのときの君たちの悲哀を超人への愛とせよ」という意味。

 

・p76の第三段落で「赤色の法衣」とあるが、法衣とは「法曹関係者や裁判所職員が法廷で着用する制服」を指す。日本や米国では黒色のものが多いが、ニーチェが生まれ育ったドイツ地域では赤色のものが多い。

 

・表象(p76):象徴。象徴的に表すこと。哲学・心理学では、直観的に心に思い浮かべられる外的対象像という意味。抽象的な事象を表す概念や理念とは異なり、知覚的かつ具象的な事象を表す名詞。

 

・犯罪者といっても殺人などの重罪もあれば、小さい額の罰金刑などのように軽微な犯罪もある。ツァラトゥストラが取り上げている犯罪者は重罪のほうである。

 

・「雌鶏(めんどり)のまわりに白墨(チョーク)で線を描けば雌鶏は呪縛されて動くことができない」というのはChicken hypnotismという現象を指している。Chicken hypnotismは17世紀の時点で既に発見されていた現象で、ドイツの学者アタナシウス・キルヒャーも報告している。

 

・ツァラトゥストラによれば、殺人などの重罪を犯し、死刑判決を受けることとなった犯罪者たちには「行為ののちの狂気」と「行為のまえの狂気」とがある。法官たちは彼ら犯罪者が殺人、強盗、(違法な手段による)復讐行為に走ったのは、「あいつを殺してやりたかったから」「物欲を満たしたかったから」「あいつが憎くて復讐したかったから」と捉えるし、彼らの大半もそれらを犯行動機として挙げる傾向にある。だが、ツァラトゥストラによると、彼らは自分自身の存在に苦しんでいるがゆえに(「自分自身の肉体からの悩み」や「生の意欲に関わる不満」を解消しようとして)犯罪に走ったのだという。

 

・匕首(あいくち):鍔 (つば) のない短刀。(p77やp78に登場)

 

・p77に「鉛のように重い」という直喩が登場しているが、このフレーズはゲルマン系の言語で見られる常套句。英語でもas heavy as leadというフレーズがある。英文学の知識に富んでいた夏目漱石も『こころ』で「空はまだ冷たい鉛のように重く見えた」と書いている。

 

・「かつては懐疑が悪であり」から「他をも悩ませようとしたのである」の段落はキリスト教の価値観が強く信じられていた時代のことを述べている。「本来のおのれ」は前章「5 肉体の軽蔑者」にて既出の用語。キリスト教で正統派とされた勢力が異端者や魔女を弾圧したのは有名な話である。

 

・「君らの善い人々」は世間で善良とされる人々であり、青白い人々はそれらの人々とは真逆の存在である。だが、ツァラトゥストラは「君らの善い人々が、あの青白い犯罪者のように、おのれの破滅のもととなりうるような狂気をもっていたならばよかろうのに」と嘆く。ただ長生きするため、しかもみじめな安逸のうちに生きようとするために徳をもっている「善い人々」よりも、ツァラトゥストラは狂気をベターと考えている。

 

・最後にツァラトゥストラは「わたしは奔流(ほんりゅう)のほとりに立つ欄干(らんかん)である。わたしをつかむことのできる者は、わたしをつかめ。だが、わたしは君らの松葉杖(まつばづえ)ではない」と結んでいる。

 

・奔流(ほんりゅう):勢いの激しい流れ

 

・欄干(らんかん):落下を防ぐための手すり

 

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