〇『雨の日ミサンガ』とは

石川理武氏による読み切り漫画。

集英社公式サイト「ジャンプ+」にて2020年10月23日に掲載され、SNSなどで高く評価された作品。

無料で読めますので、初めてこの漫画を知ったという方は是非、読んでみて下さい。

『鬼滅の刃』を担当している浅井友輔氏の編集ということもあり、読者の心を打つような作品となっています。

 

 

雨の日ミサンガ - 石川理武 | 少年ジャンプ+ (shonenjumpplus.com)

 

 

石川理武氏は『週刊少年ジャンプ2021年3・4合併号』に掲載された短編漫画『炎眼のサイクロプス』の原作も務めており、ジャンプ本誌に連載を持つ日も遠くはないのかもしれません。

 

 

 

〇(未読者向けの)あらすじ

主人公「弥太郎」は中学生。

弥太郎は普段、中学校のクラスメートから嫌がらせを受けている。

或る日、クラスメートの女子生徒から自分の持ち物を川へ投げ捨てられるという嫌がらせを受けた弥太郎は、川の中に入って自分のカバンの持ち物を拾っていた。

そんななか背後から「ヤタロウ」と自分の名を呼ぶ声を聴く。

振り向くと少年の姿をした幽霊が立っていた。

弥太郎はその幽霊が自分の少年時代の姿であることに気づく。

 

その幽霊に「ヤタロウ 久しぶり」「約束まもれなくて ごめん おれ 死んじゃった」「ヤタロウ おれ うごけない たすけて」と言われ困惑する弥太郎。

すると弥太郎の姉が川の上の方からやってきて、「弥太郎?何してるの?」と叫ぶ。

姉のそばには、犬を連れたおばさんがいて、犬が突如叫び出す。

そのおばさんは、「ごめんなさいね 普段 人には吠えないのに」と語っているが、これは「(弥太郎や姉のような)人ではないもの(幽霊)が犬の近くに接近してきている」ということ。

 

幽霊は姉のいる方向に指を指し、「ヤタロウ アレとって 大事なもの」と話す。

ちょうどそのとき姉が何かの存在に気づく。

弥太郎は姉に向かって「俺の幽霊がいるんだ 子供の・・・子供の頃の俺の顔した幽霊なんだよ」と叫んでいたが、そのさなか、姉が血の付いたミサンガを発見する。

そのミサンガは幼稚園生だったときの弥太郎に対して姉があげたものだった。

それを発見した姉は弥太郎の「俺の近くに子供の頃の俺の顔をした幽霊がいる」という発言を事実として認めることにした。

 

「ヤタロウ おれの死体をさがして」「このままじゃこどもがたくさん死ぬ」と訴える幽霊を連れて、弥太郎と姉は帰宅した。

この幽霊はミサンガという「大事な物」に取り憑いている様子。

姉と弥太郎はこの幽霊とミサンガにまつわる謎に関して考察を始めた。

 

幽霊は謎解明につながりそうな発言をしていくが、謎は深まるばかり。

しばらくして弥太郎は「自分で何とかするから」と言い残し、自室にこもっていってしまう。

悩み事を自分のなかに抱え込もうとしてばかりの弥太郎を見て姉は残念そうな表情を浮かべる。

 

翌朝、自室にて起床した弥太郎は雨の中、登校する。

中学校に到着した弥太郎をあざ笑うかのような冷笑的なクラスメートの姿。

クラスLINEから除外され、皆から軽視されている自分の状況を思い、「自分って既に幽霊じゃん」と感じる。

台風が接近しているなか教室から帰宅しようとする弥太郎。

そのとき、弥太郎の前に幽霊が現れる。

昨日の夜、姉がカバンのなかにミサンガを入れていたためだ。

下校途中、幽霊と対話した弥太郎は、犬を連れて歩いているおばさんとすれ違い、そのおばさんの台詞を聴いたことで、ミサンガと幽霊にまつわる謎の真相を悟る。

 

(・・・続きは公式サイトへ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇解説(ネタバレ注意

幽霊の正体は、弥太郎が幼かったときに知り合っていた猫だった。

猫が幼少期の弥太郎の姿をしていたのは、「鏡を見て自分自身の姿を知るという経験」をする前に命を失ってしまったため。

猫が命を失ったのは、弥太郎が子供だった頃の或る雨の日のことだった。

弥太郎はマンション暮らしのため自宅に猫を連れていき、保護することが出来なかった。

そのため、豪雨の中その猫と別れねばならなかったのだが、その猫は弥太郎と別れた直後に車に轢かれて亡くなってしまった。

霊的世界(黄泉の国のような場所か)と思われる空間で、猫に謝罪する弥太郎。

しかし猫は自分たちの子供(子猫たち)を救いに来てくれた弥太郎に感謝する。

そして「ヤタロウ お前はひとりじゃない 絶対死ぬな」と話しかける。

 

 

 

 

 

 

〇本作の素晴らしい点

★景情一致

景情一致とは作中での景色と作中の登場人物の心理を合わせる技法のこと。

台風が去り、雨天が晴天となる流れは主人公である弥太郎の状況の好転に対応している。

このような叙景性と叙情性の組み合わせがしみじみとした味わいを出している。

 

 

★キャラデザ

奇抜過ぎない外見。主人公の髪の毛がやや白い色だが、幽霊の姿から判断して恐らく地毛なのだろう。

 

 

★キャラクターの人数

読み切り漫画の場合、登場人物の数を多めにしてしまうと、一人一人のキャラクターの扱いが雑になってしまいがち。本作はキャラクターの数が妥当。

 

 

★ノスタルジー

自分の幼少期を懐古するという内容となっている。ノスタルジーは人類にとって普遍的な感情であり、古今東西の文学作品で取り上げられているものでもある。ノスタルジーを醸し出す作風は一般論として幅広い層の読者から支持を受けやすい。

 

 

★構成力

クラスLINEや犬を連れたおばさんやシノビレンジャー等のように作品前半部に登場した題材が後半部にも登場し、ストーリーを進展させていくという構成となっており、構成力の高さが窺える。幽霊の暗示的な台詞は伏線となっている。本作ではタイトルにもあるミサンガが特に重要な題材となっている。

 

 

★写実性の高い題材

スマホ画面や猫など写実性の高い絵が豊富に散見される。「バーカ!!」と落書きされた数学のテキストは実物の教科書or参考書を直に見て描いたと思われるほどデッサンに忠実。

 

 

★対象年齢

本作はスマホ画面やシノビレンジャーというヒーローもの(戦隊もの)などのように中年以下の年齢層の日本人であれば普通に伝わるような題材を多用しており、ストーリーを追いやすい。

 

 

★日本語への丁寧さ

石川理武氏は日本語を丁寧に扱っている。以下で例を挙げる。

 

・幽霊の台詞文で平仮名を多用

→幼児性を表現している。

 

・幽霊の一人称が「おれ」

→中学生時点での主人公の一人称は漢字表記の「俺」だが、子供のときの弥太郎の一人称は平仮名表記の「おれ」だった。つまり、幽霊の一人称が「おれ」であることから、猫は弥太郎の口調に影響を受けていた可能性がある。

 

・「ミサンガはアイツ(弥太郎)の鞄に入れとくね」と姉から聞いた幽霊が「ヤタロウのねーちゃんもやさしい」と言う

→「ヤタロウのねーちゃんってやさしい」ではない点に注意。つまり幽霊は弥太郎を優しいと評価している。

 

 

★意外性

幽霊の正体が人ではなく猫という意外さ。

 

 

★メッセージ性

本作は「周囲に救いを求めることの大切さ」を表現している。このようなメッセージ性をストーリーに含めるのは読切漫画のページ数の制約を考えると難易度が高い。しかし、石川理武氏はたったの39ページでこのメッセージ性を込めることに成功しており、石川理武氏の力量の高さを示している。

重要なのは、「助けを求めても、状況によって相手からの助けを受けられるか否かが左右される」ということである。

本作で姉は「困ってるって声に出さないと助けたくても助けられないのよ」と述べているが、これは姉に「弟(弥太郎)への家族愛」が存在しているからである。

たとえば、2019年1月に起こった野田小4女児虐待死事件の被害女児は学校のアンケートでSOSを発したが、市の教育委員会側の失態によって十分な助けを受けることが出来ず、最悪の結末を迎えてしまった。

その点、本作においては「今まで自分のことをあざ笑ってきた男子生徒」(LINEアカウント名はカズキ)が弥太郎の「俺一人じゃダメなんだ お願いだ こいつら(子猫たち)を助けてくれ・・・」というSOSを聴き、弥太郎を救うためにクラスLINEで助けを求めるという展開となっている。

この展開を読み、「出来すぎている」と感じた読者の方もいるかもしれない。

だが、筆者はそこまで御都合主義だとは感じなかった。

弥太郎が「俺一人じゃダメなんだ」と訴えるシーンでは、カズキのそばに弥太郎の姉が立っている。

カズキは姉のことを知らなかったので、姉を「西高の背の高い女子」としか認識していなかったが、いじめの加害者が第三者の目の前では、(第三者への意識といった影響で)普段通りのいじめ行為をそこまでしないというのは、よくある現象と言えるのではないか。

なお、カズキのクラスLINEへの働きかけによって、「冒頭のページで弥太郎の靴を掴みながら弥太郎という名前を古臭いと侮蔑していた女子生徒」が子猫を引き取るというシーンがある。

この女子生徒(LINEアカウント名は「まゅ」)の改心のきっかけは弥太郎の「子猫への思いやり」に気づいたことだと読み取れる。

 

 

★久保帯人作品からの影響

石川理武氏は久保帯人作品からの影響を公言している。詳細は短編漫画『炎眼のサイクロプス』の解説記事にて。

 

 

 

 

 

 

〇改善すると良いかもしれない点

★絵の見やすさ

本作の殆どのコマはかなり見やすいと感じたのだが、猫がトラックによって轢かれる直前のシーンのコマなど、ぱっと見では何が起こっているのか少し分かりにくいと感じられたコマもあった。

 

★目の上に眉毛

漫画的表現の範囲内といえるのかも知れないが、前髪の上に眉毛が描かれているキャラが多数見られた。久保帯人氏は基本的に前髪の下に眉毛を描いており、こういった「人体に忠実な描き方」のほうが望ましいのではないだろうか。

 

★「嫌がらせ被害」の程度のブレ

弥太郎は中学校での自分を「誰にも見えず誰にも聞こえない存在」と独白している。しかし、別のコマでは「自分の所有物を川へ投げ捨てられたり、数学のテキストに落書きされていたりと明らかな犯罪被害(器物破損など)」に遭っている。「クラスで誰からも相手にされていないこと」と、器物破損などの「いじめ被害」との間には、程度にかなりの差がある。この点が気になる読者も少なくないのではないかと感じた。

「クラスで誰からも相手にされていなかったのが、クラスLINE加入のあと、多くのクラスメートと仲良く会話し合うようになりました」というのと、「クラスLINE加入のあと、今まで名前を古臭いと馬鹿にしながらバッグの中身を川に投げ捨ててきたり教科書に落書きしてきたりしていたクラスメートと仲良く会話し合うようになりました」というのでは、人間関係の好転の度合いがあまりにも異なる。

ただ、前者であれ、後者であれ、ミサンガの「願いを叶える」という効果によるものと解釈すること自体は可能だと思われる。

事実、最終ページにおいて、「(嫌がらせが)止まった理由 猫じゃなかったのかも」という弥太郎の独白に続くようにして、猫が「ヤタロウがくれたミサンガ本当に願いがかなったよ」と語っている。

 

 

 

 

 

〇私見

時代設定を江戸時代に移せば雨月物語に載っていてもおかしくないストーリーであるようにも感じられた。

ユダヤ教・キリスト教が主流な欧米では、唯一神との緊張関係のもとで「人とそれ以外の生物」の間に明確な境界をおく価値観が根強い。

肉食を禁じる仏教思想は農耕だけでは生存が難しい地域に適しておらず、欧米では「獣や虫が来世で人になることもある輪廻転生」のような宗教的概念があまり見られなかった。

一方、日本では伝統的に「人とそれ以外の動物の差をそこまで意識しない風土」がある。

猫が人の姿になりすますという本作の発想は、この日本の風土に由来しているようにも思われる。

 

前述の「改善すると良いかもしれない点」というのは個人的な見解に過ぎず、低質な漫画作品しか制作出来ていない筆者の愚考の域を出ないが、この記事の読者のうち漫画制作に興味のある方々が優れた作品を描く上で参考になればと思い、掲載した。

 

ジャンプ+」に載る漫画は多くの場合、作者or作画担当の一人だけで描かれる。本作の作画もアシスタントなしで行われた可能性が高く、その条件下でこんなにも素晴らしい作品を完成させたのだろう石川理武氏に、筆者はかなりの将来性を感じた。