令和2年12月25日(金)
世の中が、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が止まらず前代未聞の事態に振り回されている中、
私の母校である五城目小学校の現在の校舎がひっそりとその役目を終えました。
26日からは冬休みで、昨日が児童の声が響く最終日でした。
国道285号線から小学校通りを進み突き当ると
立派な石垣。以前はここに秋田中央交通の機関車と客車が置かれていました。JR八郎潟駅と五城目の間、約4㎞を結んでいた鉄道路線。昭和44年に廃線ということで、僕はここでしか見たことはありません。
画像右には、かつて五小っ子たちが相撲をとった土俵がありました。
ここの坂は急に感じたもので、
自転車で登り切るにはジグザグに行ったものでした。
校舎が建つ高台への階段。現在は傾斜が緩くなっていますが、以前は急な階段でした。段両側のコンクリートの壁がその名残。
登っていくと
我が学び舎が見えてきます。
3階建ての立派な校舎。
向って左側、二階建て部分の前庭にはいろんな遊具があって、休み時間は大賑わいでした。
うんていを何段も飛ばして進むやつ
鉄棒で連続逆上がりをくるくると決めるやつ
一周するか!?というほど激しくブランコをこぐやつ
古タイヤ飛びを何気ない顔でキメるやつ
鉄の棒を涼しい顔しててっぺんまで登るやつ...
思い出されます。
階段上ったところの右側
ドリームランドは、以前プールでしたね。
浅いのと深い25mのプール。
あまり泳ぎが好きじゃなかった僕、何年の時だったかな?初めて足をつかずに25m泳ぎぎった時の喜びは今も覚えていますやっとこさたどり着いたのでした。
職員駐車場
息子娘たちがミニバスや野球のスポ少時代はここいらに車を止めて体育館やグラウンドに行ったな~。
五小グラウンド土手の上に立つ案内板
ここが、砂沢古窯という窯があった場所だということを知らせています。
グラウンドには
児童が転がして作ったであろう雪ダルマの大きな塊があちらこちらに残っていました。
52年間、五小っこたちを育んでくれた学び舎。
児童が登校するのはこのが最終日。
お疲れ様でした。
そして
ありがとうございました。
新たな校舎が出来た喜びと、寂しさが入り混じる日となりました。
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五城目町議会広報誌『みんなの町議会』の編集作業が終了しました。
各担当議員提出の原稿を
3日に分けて3度チェックし、委員たちで話し合って編集作業を進めてきました。
誤字はないか?文字の詰込み過ぎになっていないか?写真やホワイトスペース(余白)を活用!
読んでくださる人に伝わるか?
完成した『みんなの町議会No.145号』は、町の広報誌『広報ごじょうめ』と共に年末に各世帯に配布となります。(一部アパートを除く)
議会でどのようなことがおこなわれているのか?
議員は町当局にどんなことを提案、働きかけをしているのか?
ぜひ、手に取ってご覧になって下されば幸いです。
完成直前の議会広報誌。
よろしくお願いします。