昭和40年代&現代の五城目町空撮写真比較! |   ミズノ馬鹿一代

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五城目町のHPのトップ画面。

五城目町中心部の空撮画像。町並みと森山が美しいです。

(画像は五城目町HPより※町役場へ画像使用申請済み)

 

下の画像は先日お邪魔した五城目町馬場目地区に建つ

『五城目町地域活性化支援センター(=馬場目BASE)』の事務室に貼ってた白黒の古い写真。

五城目町中心部の空撮写真。

下(手前)に桜花見のメッカだった雀館公園が見えます。その左上では広大な範囲で工事中ブルドーザーのようです。広域五城目体育館と町民センターの工事だと思います。

広域五城目体育館が昭和50年(1975年)11月20日に完成ということは、この写真では土地造成中なので昭和40年代中盤から後半に写されたものと思われます。

造成地の上、馬場目川のすぐ近くの黒い建物群は当時の町役場。昭和34年までは中学校として使われた建物です。中学校移転と共に引っ越し昭和57年10月に現在の庁舎が完成するまでの23年間役場として頑張りました。町有施設のリサイクル、有効利用だったんですね~。場所は現在の雀館運動公園多目的広場(=野球場)です。(Q.んじゃその前は役場どこにあったの?A.はいっ、五城目郵便局近く、NTTの建物が建っている所にあったんですって!)

東西磯の目地区や雀舘は現在でこそ住宅地になっていますが、当時は一面の田畑。こんなに空き地があったのに当時の人口は約17,000人。現在9,865人(平成28年7月末現在)。世帯数4,143。世帯数はほぼ横ばいです。調べてみると、1世帯当たりの人口が昭和45年に4.5人だったのが現在は約2.4人。昔は3世代同居の大家族なんて当たり前だったと言うことですね。

五城目町中心部を東西に貫く中央線(=ウッドロード)は馬城橋~福禄寿酒造付近のみが現在と同じ個所。画像中央左には農協倉庫(=現在の五城館)、そのすぐ向かいは現在のバスターミナル(五城目駅)が見えます。この画像で見る限り鉄道の線路は既に無いようなので昭和44年7月に秋田中央交通線の電車(八郎潟一日市~五城目駅間3.8㎞)廃止後であることが分かります。その五城目駅右側に黒っぽく見えるのは通称新寺と呼ばれる如来寺。中央線を通すにあたり現在の国道285号線沿い五城目朝市駐車場向かいに移転しています。お寺を動かす!さぞかし大変な事業だったんだろうな~!

中央線(県道秋田八郎潟線)は昭和56年に旧保健所~馬城橋(846m)開通後、東に向かってまっすぐに延びていき、高崎~舘越~帝釈寺と整備されていき現在は町村のバイパス化工事が進められていますね。

 

画像右上は国道285号線。現消防庁舎が建っている辺りです。古い写真を見ると分かるように285(にーぱーごー)は以前、下山内上山内の中を通っていました。狭い国道でした。

小学校入り口交差点付近にはボウリング場がありました。小さい頃、親父に連れてってもらった記憶があります。中には人がいっぱいいてボウリングの大きな音がして、床の装置からボールが勢いよく転がり出てくる、食堂もある!凄いところだな~~~~~!五城目都会だなー!と思ったもんです。

しかしボウリングブームは長くは続かず、その後経営親会社の社屋として使われ、現在は廃墟となっています。時間の経過とともに朽ちてきており、小学校通学路&国道沿いとしては非常にうまくない状態。通学路脇なので問題あり。民間の財産に町が関与するのは難しいのかもしれませんが、そこをなんとか!働きかけて参ります。

画像、グリーンボウルの下は一年前まで現役だった旧消防庁舎。(昭和43年完成)

夏から進められてきた解体工事であっという間に姿を消していました。

 

先月29日

 

昨年10月下旬、現役最後の日。

馴染みの建物がまた一つ消えました。

これは昨年11月発行の『五城目町町制施行60周年記念誌あゆみ』の2~3ページをコピーしたもの。(※町役場へ画像使用申請済み)

 

昭和40年代後半。

さらにさかのぼって

大正6年発行の五城目町鳥瞰図。

拡大すると

画像をクリックすると大きくなるので分かりますが、現在とは商店街、企業など大幅に違います。時代の移り変わりが分かる資料です。

 

唯一無二のふるさと五城目。

大好きな町五城目。

これからも町のことを発信していきますよ~~~~~!