こちらの地方では、「ささげ」って言ったら「だるまささげ」ということが多い。 でも、ささげって言ってもいろいろあると思うので、ささげについて調べてみると、

 

 

 ささげはアフリカが原産のようで、中国を経て渡来したようです。 わが国では平安時代にはすでに「大角豆」の名前で記録が残されているようです。 ささげの形は小豆に似ていますが、植物分類学上は同じササゲ属なのに別種(あずき種、ささげ種)とされています。 小豆より全体的に角張っていて、へそが丸くて黒い輪郭を持つのが特徴です。 目に例えるとアイシャドーを決めてるのがささげです。

 

 細長いさやを牙に見立てて「細々牙(ささげ)」としたとか、さやが上を向いていて、ものをささげ持っているように見えるからとか、名前の由来は諸説あるようです。

 我が国ではおもに関東より南の温暖な地域で栽培されてるようで、ほとんどが赤い色の品種です。 1950年代は国内栽培が盛んだったようですが、近年では中国やタイなどからの輸入物が増えてるようです。

 

 

 煮ても皮が破れにくいささげは、関東では小豆の代わりに赤飯に利用されてるようです。 小豆は煮たときに皮が破れやすく、江戸時代は「腹切れする豆は切腹に通じる」とのことで、武士あいだでは不幸なことが起きるような嫌な予感や、縁起が悪いことから嫌われていたようです。

 

 こちらでは、赤飯には小豆を使っています。

 赤い色が邪気を払うとも言われて、赤飯やおはぎなど、晴れの日の料理に使われています。

 

 

 毎年のことですが、だるまささげを育てています。

 いつもならGW中に種まきするのですが、今年はちょっと遅れて5月7日(木)に種まきしました。

 現在の様子は以下↓の写真のとおりです。

 

 

 

 

 

 昨年はもっと遅れて5月12日に種まきをして、5月16日に発芽し、7月18日から収穫を開始しましたので、今年も7月中旬から確認できるかと思っていたのですが、今年の梅雨明けはいつになるか分からない状況で、雨の降る日が続いているので、はたして収穫ができるのだろうかと心配しています。

 なぜなら、このだるまささげの原産地はアフリカで、暑さには強いのですが、雨には弱いんですよ。 早く梅雨明けとなることを祈っています。

 

●備中だるまささげについて

 こちらの地区(岡山県備中地方)で栽培されてる品種で、横から見たときに豆の形がだるまに似ていることから、この名前がついたとも言われています。

 ささげには大粒種と小粒種があり、一般的にはささげと呼ぶ場合は、小粒のものをさすようです。 大粒のものを「だるま」と呼んで区別することもあるようです。

 

 梅雨の水を飲んでうまくなる。

と言われているのは、産卵を控えた6月~7月に身が太っておいしさが増す。

 産卵のために回遊してくる瀬戸内海は全国有数の漁場と知られる魚のハモです。

 小骨が多くて、細かく包丁を入れる骨切りが必須条件。

 さっとゆで、冷水で締める湯引きが定番です。

 白く花が咲いたように反り返った身には梅肉や酢味噌を添えると夏らしい清涼感のある一品になる。

 淡泊な味で、タマネギと煮込んで寄せ鍋風のだしがしみたハモ好きや、フライもいいと思う。

 

 関西では、夏の風物詩として親しまれ、京都の祇園祭でもハモ料理を食べる習慣があるようなので、8月以降になると関西の需要が落ち着き、価格が手頃になるようです。

 

 こちらのスーパーでは、骨切り済みの100gが400円~500円くらいで並んでるようです。

 

 

 只今絶賛梅雨時期の天候となりました。

 

 梅の雨と書いて梅雨(つゆ)と言うのだから、今が梅の旬じゃないかと思い梅仕事を始めました。

 

 3月頃に梅が生ってるのを確認していたので、昨日、梅を植えてる畑に行ってみると梅がない!

 

↓写真は3月下旬ごろの梅の様子。

 

 

 何が原因なのか不明。 残念!

 

 仕方ないので帰ろうとしていたところ、畑へ行く道の山裾に梅の木があるのを発見して、見てみると梅が熟れ出していたので、「これはいいや」と思いとって帰りました。

 

 

 そんな梅を使って梅干しでも作ろうかと思い、作り方が書いてある本を見てると、簡単に作れるようなんですが、「赤じそ」が必要とある。

 赤じそはいつも自然に生えてるのであるが、雨が降っていては取りに行っても使えなさそうなので梅干しを作るのを諦めた。

 

 

 もう一度、本を見てみると、「梅酢」の作り方があったので、これこれ!と梅酢を作ることにしました。

とっても簡単です。

 

 

 おいらは、簡単にパッパッとできる梅酢をより簡単につくりました。

 

<作り方>

1,採って帰った梅の青梅を1kg選び洗います。

2,水気をキッチンペーパーで拭き取る。

3,梅をジップロックの袋に入れ、180gの塩(おいらは自然塩を使っています)を入れ、ジップロックの口をシールし、中の梅と塩が混ざり合うように揉み込みます。

4,冷蔵庫に入れて、時々ゆすって混ぜます。

5,1週間くらいで塩が溶けて梅酢が上がってくるようです。

6,梅は漬けたままでも、取り出してもいいとのこと。

7,常温で1年以上保存できるようです。

 

 

 梅酢は野菜を漬けて漬物にしたり、酢飯、煮物の味付けに使えるし、梅は刻んでごはんや和え物に混ぜたり、そのまま漬物としても食べれるようなので、1週間後が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 皮に光沢があり、見た目はキュウリのようだが、イタリア語で「小さなカボチャ」を意味する名の通りカボチャの仲間のようです。

 

 体内の余分な塩分を排出するカリウムのほか、免疫力を高めるとされるビタミンCを豊富に含んでいるようです。

 

 癖のない味でどんな料理にも合う。

 フランスの煮込み料理「ラタトゥイユ」をはじめ、油との相性が良いことから、肉と一緒に炒めたり、春巻きの皮にチーズとともに包んであげたり、天ぷらにしてもおいしく食べられる。

 

 「へたの切り口が乾燥しておらず、きれいなものが新鮮」と言われていますので、スーパーなどで購入する際は確認した方が良さそうですね。

 

 ズッキーニの全国的な産地は宮崎県、長野県など。

 岡山県内では瀬戸内市牛窓町や浅口市鴨方町、小田郡矢掛町で栽培が盛んなようですが、スーパーなどでは見ることがなく、青空市や産直市で売られているのは見たことがあるが、買ったことはない。

 

 ズッキーニは初夏から秋が旬で、県内産は10月ごろまで出回るようです。

 

 今年は天候に恵まれて、例年より3割ほど多いようです。

 県内スーパーでは例年並みの1本が98円~138円で並んでいるようです。

 

 

 おいらもズッキーニのタネを蒔きましたが、昨年同様に苦戦中です。

 近くのドラッグストアへ買い物に行った時、店先に20%offのズッキーニのタネを見つけて買って帰り、ポットにタネを蒔いたところ、6粒中2粒から芽が出て、しばらく待っていましたが芽は出そうにないので、再度ドラッグストアでズッキーニのタネをもう1袋買って蒔くと、今度は芽が出たのは1つだけ。

 なんじゃこりゃ? タネの袋には発芽率80%以上とか書かれていますが、実際には25%でした。

 そんな3つのズッキーニも今では、ちっちゃな花のつぼみが出てきましたので、ひとつくらいはズッキーニが食べれるだろうと思っています。

 

 

 

 

 

 明治時代は鉄道建設を加速するために明治25年鐵道敷設

法を定めました。

 その法に陰陽連絡線として、東、中央、西の3路線が書かれ、さらに起終点が複数の記載があります。

 この法に沿って、中国鉄道(現・中鉄バス)は岡山から津山・勝山・根雨を経由して米子・境を結ぶ鉄道の敷設免許を取得し、明治31年に岡山駅~津山駅を開業させています。

 陰陽の連絡を目論んだ中国鉄道ですが、資金繰りがうまくいかず、津山以北の建設は断念しています。

 

 鉄道院は難工事区間を除き、伯耆大山~根雨に軽便鉄道の「根雨線」の工事をしました。

 この工事中に陰陽連絡線は重要であると、本格的な鉄道建設の計画が遡上に上がりました。

 これが現在の伯備線の原型です。 岡山側の起点案は吉備線経由、庭瀬駅、倉敷駅などがありましたが、大原孫三郎の陳情活動により倉敷駅からとなったといわれています。

 昭和3年10月に全通しています。

 

 

 清音駅は大正14年2月17日の伯備線開業と同時に営業を開始しています。

 

 清音駅からは井原鉄道が分岐しています。

 井原鉄道(株)の井原線は平成11年1月11日11時11分11秒に運転を開始しています。

 当初は吉備線延長国鉄井原線といい、総社から下原、岡田を通り、備中箭田(びっちゅうやた) (現在の真備支所付近)へ線路を敷設する計画でしたが、国鉄再建法で工事が凍結され、さらに真備町内では急速な住宅開発により用地買収が進んでいませんでした。

 工事凍結前から線路変更も議論されていましたが、第三セクター井原鉄道の計画では正式に現在の小田川沿いのルートが示されました。

 このような経緯から総社駅~清音駅間はJRの線路を借りて走る第二種鉄道事業となっています。

 

 以前は井原や矢掛方面を結ぶバスも駅前から出ていましたが、井原線開業後にはJRバス矢掛線は井笠バスに路線譲渡され、さらに平成20年9月30日運行をもって新倉敷駅北口~矢掛が廃止となりました。

 

 清音駅は金田一耕助が最初に登場した場所として有名になっています。

 横溝正史は金田一耕助を『本陣殺人事件』で登場させています。

 作品では金田一は昭和12(1937)年11月27日に清音駅に降り立っています。

 現在の駅舎は何度も改修されていますが、美袋駅と同様に築100年になります。

 空想を巡らせるなら、金田一が改札口から顔を出してもおかしくありません。

 横溝一家は昭和20年5月から同23年7月まであしかけ4年を真備町岡田で過ごし、多くのミステリー小説を残しています。

 

 帰ってみると宅配便が置き配で届いていた。

 

 何だろうと思って送り主を見てみると、岡山の地酒酒造会社からの酒だった。

 すっかり忘れていたようで、昨年にこの酒造会社に投資していたことに気づかされた。

 出資者特典で優待品みたいなものだろうと思う。

 

 

 箱を開いてみると、中には手紙と酒が1本あり、手紙には、

出資者特典とのことで、

 岡山県産の良質な山田錦を32%まで磨き上げ、100年を超える歴史と伝統を誇る「備中杜氏自醸清酒品評会」において、史上初となる3年連続第1位を受賞した白菊酒造杜氏の三宅祐治さんが醸した特別な大吟醸酒とのことでした。

 この大吟醸酒は、昨年の新酒鑑評会にて金賞を受賞した大吟醸を、昔ながらの槽(ふね)で丁寧に搾りその中でも特に酒質の優れた「中取り」の部分のみを別取りした特別酒だ槽です。

 

 十分に冷やして、吟醸香豊かで、山田錦ならではの上品なうまみと調和の取れた味わいを楽しみたいものです。

 

 ありがとうございました。

 

 

総社駅

 

 総社駅は大正14年2月17日の伯備線開業と同時に営業を開始しています。

 開業当時の駅名は西総社駅でした。

 昭和34年11月1日に総社駅に改称しています。

 この1ヶ月前の10月1日から総社駅が東総社駅に改称しています。

 これは昭和29年の総社市制による市域の拡大や伯備線に快速だいせんなどの優等列車が走り始めたことによると考えられます。

 

 総社駅には全国的にも珍しいものがあります。

 それは0番ホームです。

 大正14年2月に伯備線が開通しました。

 そこで駅舎側から、1、2とホームに番号がつけられました。

 その年の8月に、伯備線開通で廃止となった湛井~総社に代わって、吉備線が西総社駅へ乗り入れをしました。

 1番ホームよりも駅舎側にホームが作られたために0番ホームとなりました。

 平成11年1月の井原鉄道 井原線を開業前に新築された総社駅ではホーム番号を打ち換え0番を1番として、順に井原線を6番とする変更を行いました。

 数年後、JR西日本は伯備線上りを1番ホームとし、吉備線ホームを0番ホームとしました。

 このとき井原鉄道は追従して変更しなかったことから、総社駅には4番ホームがありません。

 

 

豪渓駅(ごうけいえき)

 

 豪渓駅は大正14年2月17日の伯備線開業と同時に営業を開始しています。 開業当時の駅名は宍粟(しさわ)でした。 昭和10年5月16日に豪渓に改称しています。

 昭和43年9月25日に総社~豪渓が複線化されました。 昭和57年7月1日電化されました。

 駅名の宍粟は駅のある場所の地名です。

 豪渓は古くから備中を代表する景勝地で、大正12年には国の名勝に指定され、大正15年に岡山県が発行した絵はがきにも収録され全国に名前が知られるようになりました。

 昭和初期には国立公園が制定されるなど観光に目が向けられるようになり、この観光ブームに合わせて駅名を豪渓と改称されたと思われます。

 現在の駅舎は戦後に建てられたと思われますが、駅舎に取り付けられた駅名は、戦前まで使われていた旧字体が使われています。 これは地元からの要望で旧字体を使うように要望したそうです。 しかし、ホームの駅名板は新字体となり、改札口を通して異なる表記を見ることができます。