これは皆さんに読んでもらいたいと言うよりも、息子が将来一人きりになった時に、家族との思い出として振り返えられれば、と思っての「記録」である。

 

 障害を持って生まれた息子(祐輔)にはいろいろな経験をさせてやろうと、青年期になってからは海外旅行やアウトドアに連れ出してきた。山歩きもその一つで、主に北アルプスや尾瀬、八ヶ岳を歩いてきた。手足にも少し障害があるので、安全に歩けるところを選び、北アルプス(槍・穂高連峰)では涸沢(からさわ)まで、尾瀬は山登り以外のトレッキングコース、八ヶ岳は硫黄岳までと、合計すれば20回近くは出かけて来た。

 

 この記録は、今から8年前の2018年6月30日から翌7月1日まで、八ヶ岳の硫黄岳を目指したものである(ただ息子に「意気地なさ」が出て途中「撤退」となった)、私64歳、息子29歳の時の記録である。

(家のある茨城県古河市と八ヶ岳連峰の位置、車で3時間程度で行ける)

(八ヶ岳連峰は夏沢峠を境に北八ヶ岳と南八ヶ岳に分けられる。硫黄岳は本沢温泉経由で夏沢峠のすぐ南にある。

(本沢温泉経由の硫黄岳ルート。本沢温泉までは林道歩き、そこから登山になる)

 

〈八ヶ岳連峰の硫黄岳を目指して〉

 車で3時間ほどで、家のある茨城県古河市から硫黄岳への本沢温泉経由コースの駐車スペースに着いた。硫黄岳に登るには、時間的にも歩きやすさの点でも最も最適なコースである。本沢温泉のテント場に泊まって1泊2日の山旅の計画である。

(車を降りて、出発の準備)

(駐車スペースから本沢温泉への林道に入る。ネット写真)

(林道ゲート手前。ここまでは4輪駆動車は入ってくる)

(林道ゲートに向かう)

(林道ゲート。ここから完全な林道になる。ネット写真)

(途中、左手にヒカリゴケの群生地があった、そこをを覗く)

(真ん中の薄緑色のコケがヒカリゴケ)

(岩の間にヒカリゴケが見える。暗いと発光しているのが分かる)

(途中の富士見平に到着。富士山が見える。ベンチで一休み。ネット写真)

(本沢温泉に近くなって、九輪草の群生地が見えて来る)

(九輪草。八ヶ岳では6月下旬か7月上旬のこの時期が最盛期)

(九輪草の脇を通り過ぎる)

(同上)

(ここまで2時間ほど歩いてきている。もう本沢温泉)

(本沢温泉の九輪草園が左手にある)

(九輪草園を眺めるハイキング客。数年前に息子と来た時には偶然ここでオカリナの演奏会をやっており、飛び入りの観客になった)

(九輪草園の群生)

(九輪草園から間もなく本沢温泉に上がって行く前のテント場に着く。設営は後回しにし、まず宿へ。ネット写真)

(本沢温泉に到着。この右手が温泉宿。矢印の方角の先に野天風呂。ネット写真)

(本沢温泉の掛札)

(本沢温泉宿の正面。内湯もある。受付でテント場の申し込みをする。ネット写真)

 

〈本沢温泉に到着〉

 本沢温泉に到着した。脚も少し悪い息子なので余分に時間がかかったが、2時間ほどで来れた。テント場からの坂を右に曲がって上って行くと、左手手前に「八ヶ岳」「日本の秘湯本沢温泉」「日本最高所野天風呂、標高2150米」の看板が立っている。屋外の風呂では日本最高の高さにあるというが、これがこの温泉の「看板」である。ちなみに日本で一番高い場所にある温泉は、富山県立山の「みくりが池温泉」で、標高2450mにある。受付でテント場の申し込みをした後、テントを設営し、宿で入湯券を買い、野天風呂に向かった。

(本沢温泉から少し進むと、野天風呂・夏沢峠・野天風呂への分岐。ネット写真)

(少し登ると、野天風呂への表示が出て来る。ネット写真)

(硫黄岳と野天風呂、ネット写真)

 

〈日本最高所の野天風呂に入る〉

 左側へ野天風呂への小道を進んで行くと、すぐに大きな沢の作る斜面となり、そこからは正面上に硫黄岳の見え、斜面の下の沢に小さく野天風呂が見えて来る。この日は硫黄岳の切り立った崖面の上の方は霧がかかっていた。息子が斜面から転げ落ちないように手を引きながら野天風呂まで降りて行った。その時には先客の若いご夫婦がいただけだったが、もう上がる時で風呂の奥の方で服を着ているところだった。私たちも風呂の脇で服を脱ぎ、湯船に入った。20分ほど入っていたが、最後の頃にハイカーの人たちがやってくるまでは貸し切り状態だった。

(野天風呂)

(同上、息子)

(同上、背後から)

(野天風呂から上を眺める。霧がかかっているが正面に硫黄岳が見える)

(野天風呂から下の方。降りて来た斜面の通り道)

(息子と。前に入っていたお客さんが親切に撮ってくれた)

(風呂から出た後、温泉宿まで降りて来る。背後の茶色の休憩所にテーブルがあり、そこで夕食を作ることにした)

(一旦テントに戻り、再び温泉宿に来て夕食を作る)

 

〈楽しみの夕食〉

 夕食は持参したバーナーでウインナを炒め、持参したハウスワインを呑み、山用のフライパンでトマト味のリゾットを作った。普段はテント場で作るが、この日はここを使わせてもらった。

 食事が山旅の楽しみであるが、単独行の時はいつも侘しく、複数で食べるときほど美味しいものはない。他人と交わるのが苦手で、息子と行く以外はほとんど単独行であるが、人は人を必要としていることをいつも思い知らされる。

(同上)

(ウインナを炒めて食べる。ワインも飲む)

(トマト味リゾット、蓋を取ると完成)

(同上)

 食事後、何もすることはなく、ひたすらテント内でゴロゴロし、そのまま寝てしまう。翌朝も快晴で、夜明け前から目が覚めてしまった。明るくなってから起き出して周辺を歩いてみたが、息子はいつまでも寝ている。今日は午前中に硫黄岳に登る予定である。

(翌朝。テント場の私たちのテント(緑色、2人用))

(向かい側のテント場。この日はテントが多かった)

(起き出してきた息子)

(同上)

(朝食を昨晩と同じ場所で。朝からワインを飲んでしまった)

(これで気合を入れて硫黄岳登山へ・・)

(朝食の休憩所からは背後に硫黄岳が見えていた・・)

(その2年前(今から10年前)の硫黄岳登山の写真。息子27歳、私62歳。この時には何とか硫黄岳に登っていた・・が、)

(朝からやる気なしの雰囲気)

 

〈意気地なしの息子〉

 朝から何とも緊張感のない雰囲気で、「あーこれは逃げるつもりだな」と感じていたが、案の定、その後に言った言葉は「このまま下りようよ」「小諸観光しようよ」・・ということであった。朝からのワインで酔っ払ってしまって、登山への情熱と気力が失せてしまったようだ。

(歩きながら、父「だから女にもてないんだよ」、息子「〇〇ちゃんが好きだって言ってるよ」とほざき、嬉々としてテント場から下ってくる息子)

(同上)

(同上。反省している気分もある)

(硫黄岳の方を見返す息子。父「今更もう遅いわい!」)

(駐車スペースまで下りて来てバンザイする息子。父「情けない」)

 

〈登山が小諸観光になってしまった〉

(長野県小諸市内観光の前に途中で佐久市のラーメン屋「麵や天鳳」に入る)

(名物タンタン麵を食べる)

(島崎藤村の「千曲川旅情の歌」で有名な懐古園(小諸城跡)に入る)

(城跡を歩きながら、千曲川が望める展望台まで行く)

(展望台から千曲川を眺める)

(「千曲川旅情の歌」、園内の藤村記念館にて)

 息子が将来一人になった時に、少しでも寂しくないようにと、「記録」として昔の山旅の思い出を書いてきた。

 

 息子は今37歳になり、4年前から市内のグループホームで暮らし、近くの作業所でボールペン作りの仕事をしている。毎週日曜日には様子を見に出かけ、一緒に趣味の競輪や付近の博物館や寺社などの文化財探訪をしている。

 

 いつの間にか歳をとってしまい、昔のような山歩きや海外旅行はもう出来なくなった。人生のまとめの時期に入り、息子と行ったそれらの旅の思い出をと、このブログに数多く書いてきた(ブログテーマ「家族・親族」「山旅・登山」、エジプト・中国・イタリアなどそれぞれの「旅行記」)。いずれも個人的な「記録」に過ぎないが、ご一読いただければ幸いである。