(西安の旅、その2)
西安観光の初日、まず最初の予定は秦の始皇帝の兵馬俑博物館である。
朝7時過ぎには、中国では一般的な朝がゆの朝食を済ませ、8時には、私たちのバスはホテルを出発した。兵馬俑までの時間は1時間ほどだとガイドの馬さんは言っていた。
(地図1、ホテルから兵馬俑博物館までのルート。茶色の点線)
〈兵馬俑博物館へ〉
バスはホテルの前の大通り・東大街を東へ進み、西安の城壁出口の一つである長楽門を抜け、城外へ出た。しばらくはぞの城壁に添って北へ進み、次に兵馬俑博物館方面への道を右手に折れて東へ進んで行った(地図1)。途中では、煙を上げている2基の火力発電所が右手に見えたが、次第に畑地が続く農村風景となって行った。
〈兵馬俑博物館へ到着〉
私たちのバスは9時半ごろ、兵馬俑博物館前のバス駐車場に到着した。
兵馬俑とは、秦の始皇帝の陵墓の東1・5キロの土中に埋められた、始皇帝麾下の軍団を象った陶製の俑(人形)のことで、死後の世界での皇帝を護る軍隊を意味している。中国を最初に統一した始皇帝の時期の紀元前3世紀後半に造られたが、その存在は『史記』など歴史書には記されておらず、1974年に農夫によって偶然掘り出され、以後の調査で「世紀の大発見」と世界中を驚かせた。未発掘を含め8000体はあると見られている。博物館は3つの坑(地下埋葬施設)から成り、1号坑が最も規模が大きい。
(古代中国を最初に統一した秦帝国の領土)
(皇帝陵を護る兵馬俑軍隊(イメージ 合成写真)、今中基ブログ「中国世相一面・文学篇」より転載)
私たちは駐車場でバスを降り、入り口手前の広場にある石のモニュメントの脇を過ぎて、右手の入り口ゲートから広大な博物館敷地へ入って行った。メインの1号坑の建物までは、ゲートから歩いて10分ほどの結構な距離があった(地図2)。
(地図2、兵馬俑博物館と始皇帝陵の位置関係。バス停から博物館のメインの1号坑の建物まで点線のように歩いて行った。始皇帝陵はさらに遠くに位置している)
〈1号坑へ入る〉
(兵馬俑博物館の平面図。1号坑は最大の発掘エリアで、長さ230m、幅62mあり、サッカーコート2面が入る規模で、巨大な体育館のような作りである)
まず1号坑の正面から入ったが、ここは、アーチ状の巨大な屋根で覆われた体育館のような建物で、2階のフロアーから下の遺構を見るような構造になっている。私たちはまず遺跡正面でガイドの馬さんから説明を受けることになった。
1号坑には、約6000体にものぼる等身大の兵士(主に歩兵)の陶俑(陶製の人形)があり、軍団の主力を現した場所だという。兵士はすべて土壁の通路に沿って東(前方)を向き、全体として長方形の陣形をとっている。本来は槍や矛などの青銅製の武器を持っていて、当時実際に在った秦の強大な軍団を土中に再現しているという。農夫が最初に発見したのはこの場所で、規模は3つある坑の中では最も大きく、兵馬俑では最初に発掘調査されたエリアである。
(入口正面から見た1号坑の全景。10列の土壁が兵士の隊列を分けている)
(1号坑の正面からのそれぞれの様子。左下の写真には兵士と馬の間に空間があるが元来そこには木製の馬車があった)
私たちは次に左手側に回り、それぞれの箇所の説明を聞いて行った。左手の中ほどから先は、修復した兵士の俑を展示しているエリアになっていた。
(左側側面からの様子。上の左下の写真は修復中の兵士の俑)
修復中の俑の展示では、等身大の兵士(歩兵)の姿がはっきりと見え、よく言われるように顔の造作・表情などが一体一体異なっていて、これは実にリアルであった。古代秦帝国の俑作りの技術の高さには感嘆した。
(1号坑の奥から正面を見た様子)
〈3号坑へ向かう〉
(3号坑の位置)
1号坑を見終わり、次には3号坑へ向かった(上の平面図参照)。1号坑の翌年発見された坑である。ここは比較的狭いエリアであるが、上から箱状に掘り進んで調査されており、兵士や馬の俑が復元されて置かれていた。将軍や幕僚の俑が発見されたことから、軍団全体の司令部に当たると推測されている。私たちはそれを上から見下ろす形になった。
〈2号坑へ向かう〉
(2号坑の位置)
つぎに2号坑へ向かった(上の平面図参照)。ここも1号坑の翌年発見された坑であり、3号坑より広いエリアである。ここは、1号坑の歩兵中心のエリアとは異なって、騎兵・騎馬、弩兵、立射兵、戦車兵などいくつもの兵種が混在した状態で見つかっており、より複雑な編成の部隊を配置したエリアとみられている。まだ未発掘の部分も多く、1500体以上は残っていると言う。
この2号坑では、フロアに何体かの俑がガラスケースに入れられて展示してあった。みなそれぞれ写真集などで見る有名なものであるが、まず目を引いたのが立ち膝の弩兵の俑である。
(2号坑の弩兵部隊 から出土した弩兵俑。 右足を跪き、左足を立て膝にして遠射兵器である弩(いしゆみ)を構えている姿。高さ1.2m)
この俑の両手は本来「弩」(いしゆみ)を持っていたと見られる。想定したのが上の左の絵である。「弩」とは今のボウガンのことである。なおこれは兵馬俑中、唯一完形で発見されたものだという。
上の写真の左の俑は将軍クラスの指揮官で、3号坑で発見されたものである。右のものはその下の参謀クラスの指揮官で、これはこの2号坑で発見されたものである。
上の写真の左の俑は立ったまま弓を射る立射兵の俑で、この2号坑からは多数発見されており、その一つてある。右は騎馬を率いる騎兵の俑で、同じ2号坑の戦車騎馬隊から発見されたものである。
(続く)























