(西安の旅、その3)
兵馬俑博物館には、前回のブログで紹介した1~3号坑の他に「総合陳列楼」という展示館がある。ここには銅製の馬車が2つ展示されている。これは、兵馬俑の出土品ではなく、1980年に隣の始皇帝陵の西側20mの土中から発見されたもので(地図1参照)、一般に「銅車馬」(どうしゃば)と呼ばれている。始皇帝の全国巡行に際しての御車の隊列のそれを模したものと見られているが、二つのうち片方は「立車」、もう片方は「安車」と名付けられていて、展示はどちらかというと「立車」の方がメインとなっていた。
〈銅車馬の展示・立車〉
(立車。4頭立ての二輪馬車で、実際の車馬の2分の1の比率で出来ている。上には1本の傘が立てられ、傘の下には高さ91センチの御者が手綱を引いて立っている)
(発掘時の写真。2乗の銅車、8頭の銅馬および2体の御者が、地下7.8メートルの深さから出土した)
この展示は素晴らしかった。薄暗い部屋の中にライトアップするという照明効果もあったが、銅製の車や人馬がその細部に至るまで精巧に作られて完成度が高く、当時の「御車」そのものをリアルに感じさせるものであった。始皇帝の絶大な権力を飾るためのものとはいえ、紀元前の時代にこれほどまでの工芸品が作られるとは、と秦王朝の美術・工芸技術の水準の高さにただただ驚き入るばかりであった。この旅では印象に残っている展示の一つである。
〈始皇帝陵へ〉
兵馬俑博物館の見学は1時間半程度であった。総合陳列楼の銅車馬を見終わった後、私たちはバス停まで戻り、つぎに近くの始皇帝陵まで行くため、専用の移動バスに乗った。バスは始皇帝陵入り口まで私たちを運んでくれた。
(地図1、茶色点線が兵馬俑から始皇帝陵まで移動したルート)
移動バスを降りると、入り口の広場の前では巨大な始皇帝像が私たちを迎えてくれた。
入り口を通り抜けると、道の両側には土産物売り場が続き、商っているオバサンの甲高い声が響いていた。その道をしばらく歩き、突き当りを左に曲がると、その先に低い頂上を持った錐形の小高い丘が見えてきた。緑に覆われているが、あれが始皇帝陵だとすぐに分かった。
ただ、進んだのはその先あたりまでで、ガイドの馬さんは、「私たちのツアーはここまでにしましょう」ともう先に進むことはなかった。陵墓に立ち入れないことは知っていたが、以前に行ったギザのピラミッドのイメージもあって、傍まで行くだろうと思っていた私は少し拍子抜けしてしまった。個人旅行客はもう少し近くまで行っている様だったが、多くのツアー客はこのあたりで終わりとするようである。私たちの見学は下の写真のように遠望するだけで終わりとなった。
始皇帝陵は現在まで発掘調査はされていない、。かつて周恩来が述べたように、十分な調査技術を伴わない発掘は、一定の知見は得られても遺跡破壊につながるという理由からで、現状保存の上、確実な調査は将来に委ねるべきとする考え方なのである。観光客を遺跡傍まで立ち入らせないのもそれと関係しているのかもしれない。
(『史記』の記述から復元した始皇帝陵の地下宮殿の内部(推定)、ネットより)
ただよく知られているように『史記』には内部の地下宮殿の記述がある。それは「三泉(三層の地下水脈)を貫くほどに深く掘られた場所に存在し、周囲の地下水が流れ込まないように壁には銅が使われ、百官や女官が並ぶ多くの部屋があり、宝玉などがあたり一面に安置されている。盗掘者を射殺するために自動で矢を放つ装置が仕掛けられ、水銀を満たした人口の川や海が再現され、天井には太陽や月が描かれている。部屋の明かりは人魚の脂を使った蝋燭で灯されている」というものである。上の絵はそれを推定したものである。
(始皇帝陵墓とエジプト・ギザのクフ王のピラミッド、日本の仁徳天皇陵の比較)
(続く)








