インド観光地の押し付けガイドや客引きにはほとほとうんざりさせられたこと、何度もお話ししました。でも一方、インドの人たちの親切で開けっぴろげな魅力もお話しした通りです。今回は偶然紛れ込んだ警察官の保養所でのお話を中心にしたいと思います。

(アグラ地図)

(アグラ城、ネット写真)

〈アグラ城へ〉

 私はタージマハルを見終わった後、つぎはアグラ城(アグラフォート)へ行くことにしました。ヤムナー河に沿って西に2キロほどのところで、道は大通りで舗装されており、民家も少なく、今度は快適に走れます。

 

 アグラ城の入り口のところに着き、自転車を預け、料金所の方へ歩いて行きますと、男の人が後ろから声をかけてきます。

(アグラ城、現地係員のハムシさんと偶然に再会) 

 「ハロー、ハロー」。客引きか押し付けガイドだろうと思って無視していると、「ミスターウチヤマ」「ハロー、ミスターウチヤマ」と言ってきます。なんでこんなところでオレの名前を知っている奴がいるんだ、とぎょっとして振り返ると、何処かで見た顔です。今朝ホテルまで案内してくれた現地係員のハムシさんでした。

 

 「なんでここにいるんだ」

 「見て分かるだろう、ガイドだよ。これが本職だよ。どうやってここまで来たんだ」  

 「自転車を借りて廻っているんだ」

 

 彼は観光ガイドが本職で、旅行会社の係員は仕事の一部のようです。観光ガイドと言っても、身分証明書は下げていないし、観光スポットにたむろする押し付けガイドとさほど違わないように見えます。ここの旅行会社はこのようなガイド連中を使って実務を行っているのかもしれません。今朝ハムシさんが車中でしつこくガイドすると言ってきた理由が分かりました。

 

 彼と別れ、料金所で外国人料金250ルピーを払い、城の中に入ってみました。アグラはムガール帝国の首都で、アグラ城は1565年、皇帝アクバルによって築かれた帝国の本城です。タージマハルよりも古く、ヤムナー河沿いの高台に赤砂岩で築かれた城です。

(ムサマン・ブルジュ(囚われの塔)を背景にして。背後に小さくタージマハールが見える)

 城の中で最も印象に残った場所は、ムサマン・ブルジュ(囚われの塔)です。タージマハルを築いた皇帝シャージャーハンが息子によって幽閉された場所です。

 

 高台にあるこの場所からは、ヤムナー河に沿って遠くに小さくタージマハルが見えます。この時は霞かかっていましたが、タージが白く淡く見え、先の尖ったドームが、ちょうど白薔薇のようにとても美しく見えます。タージを見るビューポイントの一つとされることが分かります。ここから  失意のシャージャーハンは毎日最愛の皇妃ムムターズを偲んでいたのだなと思うと、歴史の現場に立っている実感が高まります。

 

 アグラ城を見終わり、つぎはどうしようか、アグラで行こうとした観光箇所はこれですべて終わってしまいました。ではブラブラとサイクリングを楽しもうということで、今朝降り立ったアグラカント駅の方へ行って見ることにしました。

 

〈警察の保養所に紛れ込む〉

 その方向へ大通りをしばらく走って行くと、途中に、全く人気のない細い道が右手の方に入っています。入り口には広い校庭の小学校があり、道に迷ってもここを目印に戻ればいいだろうと思い、面白いので思い切って入って行くことにしました。その道は人も車も全く通りません。畑もなく、灌木の林が続くだけです。

 

 しばらくすると、ちょうどゴルフ場のクラブハウスのような建物が右手に見えてきました。なにか公の建物のようにも見えます。何だろうと思って目を凝らしてみると、庭先に数人の人が立っています。皆制服姿です。よく見ると軍人か警察官のようで、ライフルやピストルも見えます。

 これはまずかったかな、と一瞬思いましたが、彼らは私に気付くと、笑顔で手を挙げ、入ってこいと手を振ります。立ち入り禁止のような場所ではなかったようで、自転車を乗り入れ、挨拶をしますと、気持ちよく迎え入れてくれます。入って来た理由を述べ、ここは何かと訊きますと、警察の保養所だと言います。何人かはライフルやピストルを身に付けたままですので、純然たる保養所ではないのだろうと思います。

 

〈フレンドリーなポリスマンたち〉

 この人たちに限らず、インドの人たちは外国人に対して本当に興味を示してくれます。 「どこの国から来た」「歳はいくつだ」「仕事は何をしている」「結婚しているのか」「子供は何人いる」「何日滞在する」「インドの印象は」などありきたりな会話ですが、極めてフレンドリーです。

 私は比較的人見知りする性質ですが、このインドにいるとそのような性格を忘れてしまいます。遠慮するとか、控えめでいるとかの感情が全く無くなってしまうのです。私も積極的になんでも話しかけていました。その場では2・30分ほどたわいもない話をし、お礼を言って辞しました。

(ポリスマンたちと記念写真)

 人間の性格とはその人固有のものと思いがちですが、一面では、人間関係の中で成立する相対的なものだとも思います。このように開けっぴろげで何にでも興味を持って話しかける人たちの中にいると、同じタイプの性格になってしまっているのです。

 

 インドの社会では、人は、他人の気持ちを忖度して自分の行動をとるということはあまりないのではないか、と思います。生きるのに厳しい社会ですから、生き抜くためにはまず自己主張をしなければならない。他人のことよりまず自分のことです。はっきり言うべきことは言う。ガイドや客引きの異常なしつこさもその表れの一つでしょう。しかし一方、貧しいゆえに生き抜いていくためには助け合わなければならない。カーストはそのシステムの一つと言えます。

 

 カーストは身分の区別と言うだけではなく、同一カースト内(職業カースト)では助け合い集団と言う側面を強く持っています。その点で、インドの人たちの人間性が気さくでフレンドリーという面を持つのは至極当然なことだろうと思います(もちろん異なるカースト間(身分カースト)では別ですし、アウトカーストに対する非人間的扱いは全く別物です)。親切で人懐こいのはインドの人たちの国民性と言ってよいものですが、その背景にはカースト社会の伝統が生きているのではないか、と思います。

 

〈情緒的な日本の社会〉

 相手の気持ちを忖度するのは、日本の社会に限ったことではなく、人類すべてに共通しますが、日本は必要以上に忖度する社会かもしれません。その根底には、日本の伝統的な「情緒的」な人間関係があると思います。それを生んだ、四季の移ろう穏やかな風土では、強い自己主張は嫌われます。他人の気持ちを推し量って言動を取るのが何よりも美徳とされます。私たちが日常的に経験するところです。

 

 私はインドに来てから短歌が作れなくなりました。インドの風土には五・七・五・七・七の短形詩はあまりに合わないのです。何よりもちゃちな感じがするのです。この厳しい自然と社会では、「情緒」を背景とし「もののあわれ」を詠む日本の短歌などは創作しようとすら思えないのです。そんなものを作ってもインドの人には端であしらわれるだけだと思います。

 

 インドの人たちのフレンドリーさも、自然や社会の厳しさの裏返しだろうと思います。同じフレンドリーさでも日本の親切心、どこか母性的で情緒的なそれとは異なっています。でもフレンドリーはフレンドリーです。人間の好意的な感情で、嬉しいものであることに変わりはありません。

 

 日本はどうだろうか、もう長いことそのことを考えていました。管理が隅々まで浸透している今の日本の社会では、自然な感情、フレンドリーな心を素直に出すことが出来るのだろうか、人間的な感情を抑えることに慣れて、童心のような素直な感情を心の奥底にしまい込んでしまっているのではないか。

 

 幼いころ、親戚の家に行って遊んだことを思い出します。夏休みは泊りに行き、従弟たちと田舎の山や川で遊び回ったこと、いつも美味しいカレーを作ってくれたおばちゃん、ベー独楽などの遊び道具を一緒に作ってくれたおじちゃん、思い出が尽きません。大人も子供も大らかでした。自分の家と変わりなく、本当に幸福の中にいました。

 30年近く前、高校の教員となったころでも、教え子たちが遠慮せずによく家まで遊びに来たものでした。教員の間でも、例えば引っ越しと言えば、何を置いても手伝いに行ったものでした。

(最初の教え子たち。みんな家まで遊びに来ました。今、先生の家に遊びにいく高校生はいるのでしょうか)

 古い時代、いやちょっと前の日本でも、ここインドと同じような風景があったことも事実なのです。私は日本の現在の職場のことをふと思い出していました。

 

 

  五七五など 乾きし砂塵に 吹き遣らる 抒情はてたり 

  ヒンドゥの空

 

 

(続く)