〈石垣島に行って来て〉

(石垣島米原ビーチ)

 10日ほど前、南の果て、石垣島に行ってきました。米原ビーチの民宿花城に泊まり、シュノーケルを教えてもらい、白砂と紺碧の空の間に広がるサンゴ礁の海で、色とりどりの魚と出会うことが出来ました。深海を覗いた礁の涯てではウミガメを追いかける経験もしました。今住んでいる関東内陸の地とは別世界がそこには広がっていました。「こういう世界もあったのだ」というのが何よりもの印象です。家族の病気と介護からひと時離れ、生き返った思いでした。

(アテネ・リカヴィトスの丘からエーゲ海を眺める)

 こういう「明るい世界」を見ると、アテネのリカヴィトスの丘から見えたエーゲ海の島々を思い出します。またそこから着想を得た三島由紀夫の「潮騒」と、その後の自決に至る三島の来し方にも思いを馳せてしまいます。

 今回は、そのことを書いた以前のブログ(「アテネ・イスタンブールの旅」)の再掲です。長文ですが、よかったらお付き合いください。

 

(以下再掲です)

 

 若い時の衝撃的な事件で、今もって忘れられないのが三島由紀夫の割腹自殺である。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に「盾の会」の若者たちと押し入り、バルコニーで演説したが、聞き入れられず、切腹の作法をもって介錯された。

 その事件は高校2年のある晩秋の日の午後、教室の中で聞いた。平凡な日常の中、突然、底知れぬ大きな穴の中に落ちたような感覚になった。

(昭和45年11月25日、市ヶ谷駐屯地バルコニーで演説する三島由紀夫)

 その後の長い年月の中で、この事件と古代ギリシア彫刻は私の中では微妙につながっていった。それは三島の肉体を通してである。

 

〈アテネ国立考古学博物館へ〉

 1月2日。アゴラの見学を終えてつぎに行ったのは、地下鉄ビクトリア駅の近くにあるアテネ国立考古学博物館である。時間は午後1時になっていた。

(アテネ国立考古学博物館)

(アガメムノンの黄金のマスクの展示の前で)

(アガメムノンの黄金のマスク)

 

〈ゼウス像に見入る〉

 事前に調べていて、そこには、世界史の授業で教えたミケーネ文明の有名なアガメムノンの黄金のマスクや、ギリシアの古典時代(前5世紀)・ヘレニズム時代(前4・3世紀)の「ゼウス」像(あるいはポセイドン像とも)、「馬に乗る少年」像があることは知っていた。とくに教科書に載るゼウスの裸体像の写実性は強く記憶に残っていた。ミケランジェロなどイタリアルネサンス期の彫刻家がそれらギリシア彫刻を再発見し「人間性」の復興を志向したことで、是非とも実物を見たいと思っていたのである。

(ゼウス(ポセイドン)像の前で撮影)

(ゼウス像、ネット写真)

(ゼウス像の上半身を撮る。肉体の美しさがリアルに表現されている)

(ゼウス像の後ろから)

 ゼウス像自体は高さ2メートルほどのもので、高い台座の上に立っていた。槍(実際はゼウスの持つ雷霆(らいてい)という武器らしい)を投げるように、顔を横にして両手を伸ばし、腹部から胸、そして両腕と、若い男性の無駄のないしなやかな肉体が、まさに生きているかのように彫り上げてあった。背後に回って臀部から背中も見たが、どの部分にもリアルな肉感があり、ただただ感嘆するばかりであった。

 

 ゼウス像は20世紀に入り、アテネ北方のアルテミシオン岬の海中から発見されたもので、美術史的にはアルテミシオンのブロンズ像と呼ばれる。

 

 前5世紀にこれほどの見事なブロンズ像が作られていたとは、と、当時日本ではまだ縄文時代の最末期であったことを想えば、ギリシア文明の先進性と芸術性の高さには驚き入るばかりであった。以前にフィレンツェのアカデミア美術館でミケランジェロのダビデ像を見たことがあったが、それとさほど違うものではなく、「ルネサンス」(文芸復興)とは言っても、それは古代ギリシア芸術の単なる模倣ではなかったかとさえ思ったほどである。

 

 この博物館には同じような男性裸体像に「マラトンの少年」像があり、写実性と躍動感では先の「馬に乗る少年」像もあった。

(「マラトンの少年」像、前4世紀後半。マラトン沖で発見された。ネット写真)

(「馬に乗る少年」像、前4世紀後半、アルテミシオン岬の海中から発見)

(ビーナス象に見入る息子)

 

〈三島由紀夫の自決に想う〉

 私の中で三島事件とギリシア彫刻がつながっていったのは、三島が、その生来の貧弱な肉体をボディビルによって鍛え上げていったことにある。その訓練は30歳になったころに始めたと言うが、理由は、書斎に閉じこもる文学者を嫌悪し、自身の文学を肉体でも表現しようとしたとも言われる。

 

 三島はその少し前に世界を周遊し、とくにギリシアを訪れたことが作家活動に多きな影響を与えた。ギリシア神話のモチーフとエーゲ海の明るい海・太陽の印象から、帰国後間もなく名作「潮騒」を発表し、自身はギリシア彫刻のような肉体に鍛え、死ぬまでそれに執着した。

(三島由紀夫の裸身像、ネット写真)

 「潮騒」は、「金閣寺」「仮面の告白」のような自意識に苦しむ心理や「憂国」のようなバイオレンスを描いた作品とは異なり、唯一「平和で静穏な小説であり、この作家としては例外的に、犯罪も血の匂いも閉め出された世界なのである」と解説される(新潮社「潮騒」第5版解説/  佐伯彰一・重松清)。新治と初江の物語はギリシア神話の『ダフニスとクロエ』を下敷きにしたとされ、三島が理想としたのは神話の残り香がただよう古代ギリシアの世界であったという(同上)。

 三島にしては自身の本質(ニヒリズム)とは異なる「明るく健康な世界」であり、それはギリシアでの経験が、一時であっても自身を変えるほどの特別なものであったことを意味している。

(映画「潮騒」のポスター)

 三島が肉体を鍛えたこととギリシアの彫刻がどう関係していたのか、自身も語っていないし、それを評論したものも知らないが、間違いなくギリシアの裸体像を見た経験があってのものであろう。ギリシア彫刻はルネサンスだけではなく、三島の文学活動にも明るい光を投げかけたのである。

 

 しかし人間が、肉体の美しさを「自らの体」で表現しようとした場合、そこには表裏一体の関係で「ナルシズム」が伏在している。さらに言えば、「自意識」の生む「いやらしさ」であり、「生の肉体」ゆえに潜む「心の醜さ」である。見る側は同じ人間として無意識のうちにそれを見抜いている。正直私には三島の裸体は見るに堪えない。

 肉体の美は、アルテミシオンのゼウス像のような、血肉を持たない「像」でしかその純粋性を表現できないのではないかと、私は思っている。

(映画「憂国」)

 三島が市ヶ谷駐屯地を襲い、自衛隊の決起と天皇中心の日本の復活を訴えたのは、もちろん政治的主張などではなく、本質は自身のニヒリズムとナルシズムに発した文学者の幻想と思い上がりであり、社会を個人的自裁に巻き込んだ反社会的な行為であったと私は思う。作品的には「金閣寺」「憂国」などで描く主人公の心理に通ずるものであり、「暗い自意識」が生んだ行動と見た方が理解しやすい。「潮騒」に見る「明るい健康な世界」とは無縁であり、その点で「潮騒」は三島にとって一過性の光でしかなかったのである。

 

 アテネ考古学博物館の裸体像を見て、今改めて思うのは、三島事件が当時の日本人に(私の心にも)大きな穴の中に落ちるほどの衝撃を与えたとはいえ、自裁を行った個人的事件であり、その行動は後の社会に普遍的な価値を与えるものではなかったということである。

 仮に三島の情念の中に「潮騒」的なものが一定の位置を占めていたならば、その行動はルネサンスのように一大文化運動へ向かったはずであり、正統にはミケランジェロのように、作品の中でこそ昇華されていったのではないかと思う。そうならなかったのは「切腹」という特異な行為に象徴されるように、事件が、なによりも三島の個人的資質(日本文化主義を纏ったニヒリズム、ナルシズム)と分かちがたく結びついていたからである。

 

 若い時分に、心を混乱させられた三島の死と、それと微妙につながっていたそのゼウス像を見終わったあと、私は、博物館近くのケバブ料理の店で息子と遅い昼食を摂り、夕方には地下鉄でアテネ国際空港に向かった。つぎのイスタンブールへ移動するためである。

 (博物館近くのケバブ料理の店で息子と昼食)

 

(以上、再掲でした)

 

 

 石垣島の民宿花城には、私のようなシュノーケル遊びを楽しむ客の他に、スキューバダイビングでマンタを見に来た本格的な常連さんも何人かいました。その一人の、私と同県のNさんの撮影したマンタの写真が食堂には掲げられていました。この魚は4・5メートルの大きさにもなるそうです。「これは俺が撮ったんだ」とユンタク(夜の語らい)のとき日焼けした顔をほころばせて自慢していました。

 

 サンゴ礁の海に潜ってみると、自然と言う、なにかとてつもなく偉大な力によって営まれている世界と、「自己の結末をどうつけるか」などと右往左往する、ちっぽけで頭でっかちな人間の対比を想ってしまいます。

 三島が「潮騒」の世界を普遍化・定着化できなかったことを残念に思います。病気の家族の介護も契機となっている、私の裡にもある「虚無」、否定しきれない三島的なものを改めて考えさせられた旅でした。