(イタリアの旅、その14)
フォロロマーノを見終わり、「聖なる道」を引き返してティトスの凱旋門まで戻り、私たちはつぎにコロッセオに向かった。コロッセオはフォロロマーノのすぐ傍である(図1)。
(地図1)
緩やかな石畳の坂を下って行くとコロッセオの入り口となるゲートがあった。
入口のゲートを入り、まず右手にあったコンスタンティヌスの凱旋門の前まで行き、そこを眺めた後、コロッセオの入場口に向かった。凱旋門のコンスタンティヌス帝は313年にキリスト教を初めて公認した人物として知られ、凱旋門自体は副帝から西ローマ皇帝となった312年の戦勝を記念して建てられたものである。
コロッセオの入場口までの間には古代ローマ兵の甲冑を着た大道芸人がいたが、うっかり記念撮影をしようものなら数千円の撮影料を取られるということであり、あまり近寄らないことにした。
入場口にはチケットを買い求める観光客が長い列を作っていたが、私たちはすでに共通券を持っていたので、そのまま入ることが出来た。
コロッセオは4階建てであるが、来場者は2階まで行くことが出来る。まず1階から眺めて見たが、そこからはフィールドの下になる地下構造が見えていた。フィールドに登場する剣闘士や猛獣の待機場所や通路の跡であるが、エレベーターのようなものもあったという。写真では知っていたが、実際を見るとこれは凄いものだと感じる。息子も言葉が無いようで、ただ感動しながら見つめていた。やはりコロッセオはローマ観光の目玉なのである。
1階の通路を歩き、2階への階段を上がって行くと、さらに全体がよく見渡せた。とくに復元されたフィールドの部分がよく見えたが、、かつてはこの上に水を引き入れ模擬海戦もやったという。水は水道技術があるので問題ないとしても、圧力に耐えられる構造や十分な防水技術がなければ出来ないはずで、その技術はどのようなものであったのだろうかとも思った。
コロッセオは紀元80年に、先にフォロロマーノの凱旋門で見たティトス帝によって完成された。長径188m、短径156mの楕円形で、東京ドームよりやや小さいが、それでも紀元後間もない時期に造られたことを思えば驚異的である。収容人数も5~8万人あったという。ローマンコンクリートによる土木技術の革新がこれほどの建造物を可能としていた。
ネロ皇帝時代に起こった内戦の後、緊縮政策をとる皇帝ウェシパシアス(ティトスの父)が、不満を持つ市民たちに娯楽(見世物)を提供してそれを逸らすという目的があったというが、4階建ての観客席は、皇帝や貴族・富裕層の1階の他は、2階は一般の平民層、3階は貧しい民衆の立見席であり、ローマ市民すべてに解放されていた。ここもローマ市民社会を前提としていた。
コロッセオで行われた「見世物」は、剣闘士同士の戦いの他、猛獣と剣闘士や猛獣と罪人、また先の模擬海戦のような様々な趣向があったが、基本的にはどちらかが死ぬまで戦う「殺し合い」であり、ローマ市民はそれに熱狂した。
高度な文明を築いたローマ市民の最も好んだ娯楽が「殺し合い」であったというのがローマ文明の一面を示している。奴隷でもある剣闘士は市民の財産であり、その「死」は市民に所有されていた。剣闘士による「殺し合い」は「奴隷制度の上に立つ市民社会」の本質を如実に示している。
また「血を見る」のが好きな人間の本質=サディスティックさがそのまま容認されていた。これは生産労働から遊離した市民の価値観=快楽主義と表裏一体の関係にあるが、「悪徳」を快楽とする人間性の退廃はすでに古代から存在していた。剣闘士競技が否定されて行くのはキリスト教が国教とされた時期からである。
そのように見ると、今ドジャースタジアムでかつての剣闘士のような屈強な男たちが平和的にベースボール競技を行い、それも、昨年は乱闘を制止した大谷翔平選手の行為が賞賛されているように、現代の「見世物」には暴力の否定と高い倫理意識が前面に出て来ている。これは、古代の市民社会から現代市民社会への「歴史の進歩」と言うべきであろうか。
古代ローマ文明は「現代文明の先取り」と思ったが(前回のブログ)、まだまだ制度や技術など限定されたものであり、やはり「人間の進歩」には2千年という長い時間を必要としたのだと思った。
コロッセオの見学は午後2時ごろに終わったが、遅い昼食をコロッセオの前の大通りに面したオープンレストランで摂ることにした。ここは3年前にも娘と入ったレストランである。テラスのテーブルからは今見たばかりのコロッセオの壁が眼前の見えた。
つぎには古代神殿がそのまま残っているパンテノンに向かって行った(地図2)。
(地図2)
右手にアウグストゥスのフォルム、左手にすでに見たフォロロマーノの遺跡を見ながらのものであったが、この通りは前日にバスでトレビの泉に向かった通りであり、今度は猛暑の中それに耐えながら歩いていくものであった。
10分ほど歩いてヴェネチア広場に着き、エマニュエル2世の馬上像を眺めた後、左手の通りに入り、そこから入り込んだところに古代神殿がそのまま残るパンテオンがあった。少し手前に「GELATO」と看板が出ていたアイスクリーム屋があり、あまりの暑さに飛び込んで買い求めた。
それを食べながら行くとすぐにパンテオンの裏側に出た。
パンテオンはローマの古代神殿建築の中で、唯一完全な形で残っているものである。紀元前25年に皇帝アウグストゥスの側近アグリッパによって建造されたもので、今あるのは2世紀前半に皇帝ハドリアヌスによって再建されたものである。
パンテオンの正面にはやはりオープンカフェがあり、歩き疲れたので、そこでビールを注文しながら広場を行く人たちを眺めて一休みした。このカフェも3年前に娘と休んだカフェであった。前面の広場は凄い人混みであった。
パンテオンの傍のカフェと言えば映画『ローマの休日』のカメラマン・アルバートを迎えるシーンでも有名であるが、その「ロッカ」というカフェのあった場所は私たちの座ったパンテオンの正面ではなく、右側であり、現在は存在しない。
しばらく休んだので、パンテオンに入ってみようとしたが、入り口に行くともうクローズするのだと言う。時間は午後5時を過ぎていた。同じように入場できなくなった人たちと共に、閉めかけた扉の前で内部をちょっと覗き見ただけであった。
すでに時間も来ていたが、最後は、ホテルに戻る途中になる共和国広場に行ってみた。
途中、パンテオンを出たところでは高校生ぐらいの学生たちが近くの古代建造物のスケッチをやっており、アイスクリームを買った「GELATO」の前ではあの愛想のよかった店員のお姉さんが店じまいの掃除をしていた。
共和国広場に着いたのは6時近くになっていたが、そこのカフェでコーヒーを飲み、チルコマッシモから始まったローマの町歩きはこれで終わりにすることにした。
旅は個人で自由に歩き回るのが一番だが、この日は長い距離を歩いた上に、猛暑であったので、本当に疲れた。さらに夕食はオプションでカンツォーネを聞くことになっていた。もうひと頑張りである。
(続く)




















