(イタリアの旅、最終回)

 

〈カンツォーネを聴いて〉

  共和国広場を後にして私たちはホテルに戻り、夜はオプションでカンツォーネ付きのディナーに出かけた。こういうツアーには定番のものだが、旅の記念にと申し込んでいたものである。その場所はホテルから比較的近い「インペラトーネ」というレストランだった。

 そこは簡単なステージとピアノがあり、歌を聴かせる観光旅行者向けのレストランだった。席に着くとイタリア料理のディナーが運ばれ、そのショーは目の前のワインを手にして、男女の歌手の唄う歌曲『椿姫』の「乾杯の唄」から始まった。

 歌曲『カルメン』の「女心の歌」など有名なカンツォーネの曲が次々と歌われたが、それだけではなく、ガーシュインの曲など他国の曲も歌われた。マイクなしで歌う声量は大きく、迫力があってオプションに加わっていた他の客たちも皆聞き入っていた。曲名がすぐ浮かんでこない私に、障害を持っているが音楽好きの息子はすぐに曲名を教えてくれた。息子にとっても印象に残るものであったようである。

 唄った曲は全部で7・8曲程度であったが、観光客向けの定番のショーであったとはいえ、それは十分に堪能できるものであった。今録画の歌声を聞き直してみて、観光地巡りとは違う旅の良い思い出となっている。

 

〈最終日〉

 今日は旅も7日目、よいよ最終日となり、観光地巡りはなく、あとは帰国するだけである。

 バスは8時過ぎにホテルを出発し、フィウミチーノ空港(レオナルドダビンチ国際空港)に向かった。イスタンブール乗り換えのトルコ航空機の出発予定は11時40分であった。

 バスが空港へ向かう道すがら、高速道路に乗る前の一般道を走っていて、2か所、古代遺跡らしい建物の脇を通り抜けた。その時はここにも古代遺跡があると思った程度であったが、あとで録画の映像を調べてみて、それが古代ローマの大浴場跡と、ローマを囲む城壁跡であることが分かった。

 大浴場跡とは216年に造られたカラカラ帝の大浴場である。バスが出発して郊外に出たときに右手に見えてきた。この旅では有名なローマの大浴場跡の見学はなかったが、唯一現存しているのがこのカラカラ帝の大浴場である。バスからではあったが、幸いにもそれを見ることが出来た。

 ローマの大浴場は日本映画『テルマエ・ロマエ』(「ローマの大浴場」の意)でも知られているが、コロッセオと同じく、皇帝が市民の支持を得るために建造したもので、いくつもの大浴場が市内には造られていた。水道橋を通ってくる水は主にこの大浴場で使われていたという。湯舟やサウナ、冷水槽という温泉施設の他に、集会場や娯楽室、図書館・レストランもあったといい、現代のヘルスセンターと全く同じである。

 カラカラ大浴場の跡を通り過ぎて次に見えてきたのは、アーチ状の古い門であった。最初水道橋かと思ったが、あとで調べてみてローマ市街をぐるっと取り巻いている城壁の一部であることが分かった。これは270年に始まった異民族の北イタリア侵入に対し、時のアウレリアヌス帝が5年という短期間で完成させたものである。特にその門はアルディアティーナ門と言い、この城壁は4世紀に入ってのゲルマン民族の侵入に対しても機能した。

 バスはローマ市街を出て高速道路を走り、さほどの時間でもなくレオナルドダビンチ国際空港に着いた。出国手続きを済ませ、搭乗ゲートを通り、移動バスに乗ってトルコ航空機に搭乗した。定刻通りの離陸であった。6泊したイタリアともこれでお別れである。

 

 飛行機が離陸するとレオナルドダビンチ空港のあるフィウミチーノの町が眼下に見えてきた。ローマを流れるティベレ川がここを河口としており、その流れがよく見えた。

 飛行機は3時間ほどしてイスタンブールの旧アタチュクル国際空港に到着した。ここで乗り換えである。イスタンブールはこの旅の5年後にも息子と来ることになり、まだ移転する前であったこの国際空港にやって来た。そのときは空港の土産売り場など見覚えがあり、このトランジットのことが思い出された。

 イスタンブールから10数時間して成田に到着した。時差の関係で日は1日過ぎており、日本は翌日の昼過ぎになっていた。

 入国審査も済ませ、無事日本に帰国した。京成急行で上野まで向かい、宇都宮線に乗り換えた。

 宇都宮線で上野から1時間ほどで家のある古河に帰って来た。夏の暑い午後の3時ごろであった。駅を出て、無事帰ってこられて私は思わず万歳三唱したが、息子は恥ずかしがって苦笑するばかりであった。

 7泊8日の旅であったが、ヴェネチア、フィレンツェ、シエナ、ローマなど、廻った街がそれぞれに素晴らしく、その街だけでも十分過ぎる旅行になると思った。ツアーに乗ったお手軽な観光旅行であったが、障害のある息子と印象深い旅が出来て、人生の中でも思い出深いものとなった。

 

 これから困難の多い人生であろう息子には、親の元気なうちに多くの経験をさせてやろうと思って、このあとも数多くの二人旅をした。すでにその記録はこの私のブログでアテネ・イスタンブールの旅、エジプトの旅を書き、私の趣味の山登りでも、北アルプスや八ヶ岳・尾瀬などの記録が書いてある。覗いてもらえれば幸いである。

 

(了)