60年代から70年代にかけて、流行した
イギリスのハードロックバンドがあった。
その名もレッドツェッペリン。十代の始めに
バンドを結成したジミー ベージ。彼はその
ギターの才能が買われて、その後にスタジオミュージシャンとして、イギリスの名だたる
バンドのレコードセッションに参加する。
またあの007シリーズの中のヒット作の一つで
あるゴールドフィンガーのテーマ曲のレコーディングにも参加していたらしい。
彼のギターの腕前は、イギリスの音楽業界では
よく知られていて、かの伝説バンドであるヤードバーズへの加入を勧められる。このヤードバーズからは、イギリスの三大ギタリストであるエリック クラプトン、ジェフ ベックそしてジミー ページを生んでいるが、そのヤードバーズに加入したことが、彼の人生を左右した。バンド内の問題から、最終的には、ジミー ページを残し、その大半が辞めてしまった。おそらく彼はそのバンドの存続を、願ったのだろう。自らそのメンバーを探した結果、ボーカルのロバート・プラント、その友人であったドラムのジョン ボーナムそしてオルガニストでもあるベースのジョン ポールジョーンズが加わり、ニューヤードバーズとしての活動を開始したが、バンド名の変更を求められ、レッドツェッペリンになった。
その名の由来はおそらく気球として知られた
ツェッペリン号だろう。こうしてバンドとして
再出発をした彼等のヒット曲であり、名曲の
一つが天国への階段である。
そのタイトルからはこの世から去り、天国へと
旅立つというイメージがある。ここ数年実に
多くの親しかった人々が、天に召された。
特に親の死は、私には衝撃的で、未だに克復は
出来てはいないが、それに加えて昨年は、かつての恋人が、ある老健施設で亡くなった。
彼とはとても長い付き合いだった。彼が結婚していた時に出会い、当初は同じ喫茶店の常連
としての関わりだったが、当時の印象は、とにかく熱い人ということで、コミュニストても、
あったのでその店では、よくどうすれば人は、
幸せになるのかとか、いかにしたら、社会が、
公平になり、人々が貧しさから抜け出して、
普通に暮らせるのかを、暑く語っていたものだ。
私たちが通いつめていたその喫茶店が閉店し、
そこに集っていた人々とは、その後しばらく
会うことがなかったが、神は粋な計らいを、
して下さるもので、それから数年後に、私たちは偶然再会した。すでに彼は離婚して、子供たちと暮らしていたが、交際中は彼は何故か家族のことは語らなかった。どうもそれを避けていたように見受けられた。彼との間には、様々な
ことがあったが、彼が慢性の依存症だったことから、共に生きることを断念し、その彼の病い
故の多くの艱難にも耐えられずに、彼とは、
別れて、私は働き続けた。
離婚するまでの子供たちとのもつれとか、彼の妻が度重なる不倫により、家族を裏切り続けた末に離婚という形で、家庭が壊れてしまい、
彼流に言えば、欠損家庭になってしまい、そんな勝手な大人たちのために、父親である彼が、
引き取るまでは、彼等は母親の実家に預けられていたようだが、彼がそこに迎えに行き、ようやく共に暮らし始めたものの、家事も出来ず、
それまでは妻に一任していたであろう子育てをも担う必要が生じた彼は、不器用な性格でもあり、愛情のない家庭で育ってきた彼等が、母親がいないという複雑な環境の中で、その母親を
慕い、何とか両親と共に元の家族として、暮らしたいと願いつつも、それが叶わない現実を、
受け止められずに、非行という形で、父親である彼の愛情を求めたが、彼は仕事だけで精一杯で、一緒に暮らしていても、彼等の孤独や心の
渇きには、気づいてはいないように、感じられた。
結婚生活をしていた頃は、きっと彼の妻がいたから、彼は彼等と正面から向き合わずとも良かったが、彼と彼等の調整役だった彼女が、去って以来、彼は親として、子供たちと向き合う
必要性が生じてきたが、お互いにシャイで、
特に当時不登校だった彼の次男は、余り親の
前では、本音を語らない繊細な性格だったし、
父親である彼が、母親を不倫に至らせ、家から
出て行く原因になったとどうも思い込んでいたようで、彼が炊いたご飯には、全く口をつけず、お茶碗に盛られたそのご飯に、カビが生えている光景を見つけた時には、唖然としたものだ。彼なりに暮らしのため、彼等に好きな物を
買ってやりたいために、懸命に働いたものの、
肝心な親としての関わりを怠ったが故に、彼等が成長するにつれ、次々と彼のもとから離れて行き、ついに彼は一人暮らしになったが、生来の酒好きが災いし、酒による逃避した人生観が、彼の人生を狂わせて、仕事すら出来なくなり、老人特有の病いに侵されて、子供たちからも見捨てられ、老健施設に入ったらしい。
昨年彼の死の知らせを受けた時には、依存症という彼が陥った病い故に、最悪の場合には死に
至ることは知っていたから、余り驚きはしなかったが、時の流れと共に、彼と過ごした在りし日々のことが、脳裏に甦ってきた。彼とは、
結婚を考えて、交際していた。もし彼がそんな
病いではなくて、普通に働いていたなら、私たちはもしかして結婚して、普通に家庭を築いていたかもしれない。そうしたらどんな人生で
あっただろうかと、考えることはある。彼は、
この世を去る前に、どんな心境だったのか?
彼の罪とは言え、同じ町に子供たちもいるのに、最後まで和解出来なかったことや、そのために彼等には会えなかったことに悔いはなかったのか?
どんな形で葬儀がなされたのかは知らないが、
彼は恐れと後悔を残したまま、天国への階段を
登って行ったたろう。いつまでも離婚により、
彼等を不幸にしたという自責の念に駈られつつ
悶え苦しんで、この世の旅路を終えたことは、
想像された。ふと先ほどのレッドツェッペリンの天国への階段の哀愁に満ちたメロディが浮かんだ。歌詞の内容は死者が天国に登っていくと
いうものではないけれども、その歌詞のように、彼は潜在的に天国に向かう何かを、手に入れていたのかもしれず、家族に看取られたか
否かはわからないが、彼が入所した施設の職員にだけは、看取られて、最後の時を迎えただろうから、それもまた彼には幸いだったと思う。
それがこの世では、苦難続きだった彼の唯一の
慰めになっていたのかもしれない。どうかその
魂が平安であれと、祈るだけである、