誰でも尖っているところがある。我が張っているところかな。じぶんの好みや考えを押し通そうとする。
しかし、独りで暮らしているなら構わないが、必ず人様と始終、顔を突き合わしているのが世の中だから、お互いの尖ったところがカチン、カチンとぶつかるときがある。
だから、そうならないように、半歩か一歩、退いてみる。
「世の中というものは、どこまでも相対(あいたい)にできているわけだから、十人の客のすべてに気に入られるとなると、当然、自分というものを無くしてしまわなくてはつとまらぬ。」
(池波正太郎、『鬼平犯科帳』、16)
自分というものをなくしてみるわけだ。人様の尖ったところが通るわけだから、譲ったこちらは好かれて、よくできた人間ということになるのだろう。
まあ、人間関係をなめらかにするためには、仕方のないことなのかな。