送る物といっても人にプレゼントする物ではなく、日々を過ごし送るということなんだけど、西鶴の『日本永代蔵』にある一文、「なりわひの渡世は送る物なり」のなかにある。
だいぶ長く人生を過ごしてきたが、ずいぶん働いてきたわりにはなにも残っているものはなく、さして財産といえるものもない。それでも日々どうやらこうやら曲がりなりにも過ごしてきた。生計を立てるとは、そういう送ることなのだと思うことにしてきた。
この文章は下記の文脈の最後に置かれている。
「家質置(いへじちをく)程の身躰(しんだい)ならば、外聞かまはず売捨(うりすつ)べし。迚(とて)も請帰(うけかへ)したる例(ためし)なく、利にたゝまれて、只(ただ)とらるゝやうになる物なり。まだも時所を去(さり)て、分別かゆれば、戸棚の一つも残る。」
家質置くとは家屋敷を抵当に借金すること。それをするくらいなら売ってしまえと。どうせ利子がかさんで取られてしまうのがオチ、考え方を変えれば、戸棚の一つも残るだろうと。いま老境にさしかからんとして、戸棚の一つくらいも残ったかなと考え込むが、これまで生活を曲がりなりにもしてきたのであるから、これからもなんとかやっていけるかな、日々送っていければいいのだからと思うことにしている。