『異母兄弟』・堪えて堪えて堪えぬくのは・・・までは ・ 日本の女優 29 田中絹代さん | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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日本の女優 29 田中絹代さん  <異母兄弟>
こんばんは。昨夜からずっと降り続く雨。
雨の日はワンコのお散歩がちょっぴりいやですね。

さて、
田宮虎彦の短編に≪異母兄弟≫というのがある。

この作品を家城巳代治監督が昭和32年に映画化している。
家城監督といえば
<雲ながれる果てに>や、<裸の太陽>が浮かぶ、
確か四度目の映画化の<路傍の石>を見た記憶があります。
そして、今夜の作品  
<異母兄弟>

小学生低学年の時にこの映画を観まして、
とにかくこの作品の父親が怖くて陰気で、
後になってこの役を演だったとじたのが三國錬太郎さんと知りました。
ずーっと彼が嫌いでした。

その頃 同時に中村錦之助<萬屋錦之助>の宮本武蔵を観ていて、沢庵和尚を演じていたのが
三國連太郎さんだということもあまり認識していなかったので、
同一人物だと気づいていなかったように思います、

沢庵和尚の役者はすごく好きだったのに、
この異母兄弟の父親は大嫌いで、同じ人とはとうてい
思えませんでした・
それほど強烈な人物であったし、役になりきっていたのだと思いますね。

日本兵が第三国人をいじめぬく、あれと似ていて
人を人とも思わぬいじめ方。

腹立たしいと思ったのは 大人になって鑑賞してからで
子供のころは怖かったの一言。
映画の怖さはその裏がまだ理解できない年齢であるから
強者が弱者をいじめる怖さというものしか眼に入らなかった。
で、
三國さんの後妻に田中絹代さんが扮しているが
忍耐、忍耐の妻の役である。

少女から乙女になる過程の絹代さんはとても愛らしかったようです。
私はその頃の作品を見ていないのでなんとも言えませんが、
初めて見た絹代さんの作品は多分
日活の青春映画で脇を飾られていたものだったと思います。だから、もう
その頃は60歳近い年齢だったと思うのです。
<彼岸花>にしても50代。<香華>も50代。お若い頃はいざ知らず、
女らしい色気というものがわたしにはあまり感ぜられず、
何だか校長先生のような雰囲気の女性に見えました。

両親から、若い頃の田中絹代の人気と活躍はものすごいものだったと聞かされましたが、
《映画女優》という単語が一般に浸透するようになったのがこの方の
代名詞として使われてからであると記憶します。
映画漬けになるようになってから、アトランダムに見ている作品の中で、
絹代さんの作品にも出会うようになったのです。

((伊豆の踊り子)の薫の役はその後5本再映画化されているが
どの女優よりも可愛いく一番印象に残りました。
あまりに日本的過ぎる個性、顔立ちでスター田中絹代は行き詰まりましたが
(西鶴一代女)で甦り、<雨月物語><山椒大夫><流れる><楢山節考>
<彼岸花><おとうと><香華>、
<<サンダカン八番娼館>と続きましたが、1924年のデビューから戦後までの
120本近い作品は残念ながらまだ鑑賞していません。
ただ二本<伊豆の踊り子>と<陸軍>という
木下作品を見ているかな。

名女優の名を欲しいままにした絹代さんは戦後も、主役脇役含めて80本近い映画に出演しています。
原節子さんという女優の出現まではまさに
映画界の女王であったと思います。

映画女優が憧れた女優 が
田中絹代さんなのである。

今夜の作品<異母兄弟>は
怪物三國錬太郎さんと田中絹代さんの対決です。

ストーリー

鬼頭範太郎(三國錬太郎)は竜山というところの連隊の大尉であった.
大正10年のこと.

範太郎には病弱で死にかけている妻と
剛次郎と一郎司という二人の息子がいた。

利江(田中絹代)という娘が出入りの刀剣屋に連れてこられた。
マスという婆やがいたが、妻がそういう状態なので
手が足りないこともあってのことだ.

利江の父親は日清戦争の時に朝鮮に渡った.
そこで父を奴僕のように扱う軍人を見て育ち、
軍人を幼いころから忌み嫌う というより怖れていた。

範太郎のうちに住み込みで働くことになって
主 鬼頭にはじめてあった時に、全身の毛穴が開くのを感じた。


子供をみごもるような仕打ちをされてから、
利江はどこかへ逃げ出したかったが帰る当てもない身の上に
我慢するしかなかった。

籍を入れてもらってからも、範太郎は利江を使用人並にしか
扱わなかった。

父達軍人が朝鮮人をいじめぬくのを見て育った剛次郎と一郎司は
部下や使用人はそのように扱うのが当たり前という育ち方をし、
父もそれを咎めなかった。

父は何かあると利江や馬丁を平気で平手打ちは当たり前、
殴る、蹴る、井戸の水を頭から浴びせ掛けるといったことを
二人の子供の前で平気でした。

軍隊では部下を戦術の駒として利用して、手柄を独り占めにし、
それを家での夕餉で自慢毛に話し、そのころ成人した
二人の息子たちも当然真似た。

父は軍隊では鬼瓦と呼ばれていた.

利江は良利の下に智秀という男の子も産み、
上の二人とは10歳以上離れていて
今はもう12,3歳になっていた.
早朝の剣道の稽古ではいつも下の子二人も当然加わるのが
当たり前で、
これでもかこれでもかと叩き、挙句”妾の子”と蔑んだ。




同じけだものがこの家には三匹いるのだ。
受ける理由もない制裁を二人が受けている間、利江は目をつぶっていた。
手出しが出来ないから、目をつぶって耐えるしかなかったのだ.
直立不動に立たされて、殴られ、蹴られ、真冬の雪の夜に
井戸の水を何杯も何杯も、、しかも馬を洗うバケツで
ぶっ掛けるのだ。

良利はいつも黙って耐えた。がそれは無視にも等しかった。
何を良利は言われようとないをされようと耐えた。
耐えるというより、私の眼には無教養の三匹を無視し、
逆に蔑んでいるように映った。

弟智秀はいつも兄が抱きしめて庇ってくれたが、大きくなるに連れ
ひ弱な身体は変わらなかったが、優しくても親の目をかすめて
活動写真を見に行ったり酒場などに出入りするようになるが、
ある日、それも父の知るところとなり、
折檻を受け病院に運ばれた。そのまま家を追われ、婆やの住む
田舎へと行かされた。階段を上ることさへままならぬ身体で
列車に乗る智秀を母は駅のホームの柱の影から涙で
見送る。

良利は戦地で陸軍大学へと入学し、家にも寄り付かなくなった。
それは父にとって嫉妬の原因ともなった。
人生を達観している彼は
母があのうちをもっと早く何故出なかったのか...と
母の気持ちを確かめることも慰めの声をかけることもなく
智秀の将来だけを心配している。

そうやって戦争が終わり、上の息子二人は戦死。
老いた鬼瓦は相変わらず影膳を続け、晩酌を一緒にしている。
貰っていた多額の恩給も無くなり、今は家の金目のものを売って、
利江と二人だけで暮している。

良利や智秀の安否も分からず、利江は
お勝手の棚に影膳を続けている。

戦後2年経って勝手口にリュックを担いだ智秀が帰ってきた。
利江は嬉しさでいっぱいだ.

父に知らせるが、喜ぶどころか、罵倒するだけだ.
”かあさん、このうちを出て二人で暮らそう”
頭をふる利江。

この利江にとっての生き甲斐は
二人の子をりっぱに育てることだけであった。

何にも耐えぬいたこの母は、範太郎を愛したことなど一度も無い。
きっと、この先短い範太郎のことを思い、思いやりではなく、
もう少しの辛抱だという思いだけなのだと思う。

だから出ては行かない。
ここは利江のウ.チ.なのだから.(もう少しで私のうちになるのだから)
堪えて堪えてきたのはここに行き着くためだったのよ。
ここにも強い女性がいました。この強さというのをお若い女性に知っていただきた
いです。激しさではなく、強さ です。
改めてみて観たこの映画。

哀れな3匹の獣という感じです。
利江に歯がゆい思いをしながらも
本当の負け犬は、この三匹であろうと思った.

原作者自身が、轗軻不運というんですか、不幸な境遇の
人物に執着するのと、田宮文学の特徴である
父子の相克..異常なまでに我が子を憎む
冷酷無慙な父親を描いた作品が多いということです.

じゃあ田宮がそういう目に過去において逢ってきたのかといえば
その辺があいまいなので分からない。

フイクション化されていると思うから
ここに登場する悪逆無道な父親も
一つの人間像として、またひとつの人間的事実として
我々は受け入れることが出来るのであろう.

そして、狂暴な父親や残忍な異母兄たちの人間的悲しみといった
ものも理解できる。
なぜならこの異母兄は母の愛情を知らずに育ったのである。
だからこそ、むしろ彼らのほうが本当は負け犬だったのだと
言い切れるのである。

余談であるが本当に出来た人物が謙虚で腰が低く.
企業においても本当に仕事の出来る人物は
ひけらかさず、謙虚である.
この親子はそういう人たちと比べて赤道の向こう側に
位置する人たちである。
何が人間の偉さを決めるのかを
勘違いした可愛そうな人たちである

ともあれ、若き大尉から老人までを憎々しげに演じ、
ずーーーっと怖い人と私に思わせた
三国連太郎は小憎らしいほど素晴らしい役者である。
30代の三國さんの化けぶり、演技ともにすごいのである。
でも今は大好きな役者の一人である。
そして田中絹代さんもすごい。お腹の中に計算など微塵もないそぶりで
主の死後を見通して我慢した。
ふてぶてしさなど微塵も見せずに。
三國さんのあまりのこだわりの扮装に抗議したそうであるが、それもすごい。
BJMもパイプオルガンの哀しい響きで重くのしかかる。

制作  独立映画
監督  家城巳代治
出演  田中絹代/三国連太郎/南原伸二/中村嘉津雄
音楽  芥川也寸志
1957年度作品
キネマ旬報ベストテン第9位
今夜も読んでいただいてありがとうございました。