『ひめゆりの塔』・日本の女優24 津島恵子さん・・東映の倒産を救った作品・今井正監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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日本の女優さん 24
津島恵子さん



若い頃の津島恵子さんて
松田聖子さんを上品にした感じで 似てらっしゃいますよね。


(安城家の舞踏会)でデビュー
美空ひばりさんとの共演で
(悲しき口笛)、

時代を反映して大ヒットとなった(帰郷)。

小津監督の(お茶漬けの味)では木暮美千代さんの姪で
しっかりものの娘役。

(ひめゆりの塔)では
ひめゆり学園の女教師。
続いて
(足摺岬)、
(七人の侍)、
(浮草日記)、
(男はつらいよ 寅次郎真実一路)
テレビに活躍の場を移してから、わたしの記憶に残るのは小林桂樹さん主演の
(牟田刑事官)の妻役です。

戦後の松竹を代表するスターであった恵子さん。
大船調メロドラマに飽き足らず信念を持った意志の強さが
(ひめゆりの塔)や(七人の侍)の男装の美人に表れていますね。

今夜は(ひめゆりの塔)を
とりあげます。


日本が独立国として
占領軍から解放された
昭和27年、映画の世界も
制作の自由を得た。
それまでG.H.Qの管理下のもと 禁止されていた戦争映画も矢継ぎ早に作られた。
(ひめゆりの塔)は
昭和28年作で
太平洋戦争を真正面から取り上げた作品で、女優さんたちの体当たりの演技が印象に残っています。

(ひめゆりの塔)の主題は
沖縄戦線である。

太平洋戦争の末期、
最後の時を迎えつつあったが、上層部は虚勢を張り
強引な、しかも絶望的な戦いを続けていた。
沖縄戦線はその最たるものであった。
昭和20年春、日本の運命は
沖縄戦線に賭けられていた。

非戦闘員の老若男女が駆り出された。その中に
中学生がおり、師範学校生がおり、この映画に描かれた女学生の挺身奉仕隊があった。

うら若き乙女たちは日の丸のハチマキをキュッと締め
看護婦として野戦病院に詰め
いつ敵の猛威に襲われるかも知れないのに
身を粉にして働いたのである。




ストーリー

昭和20年3月、沖縄は
アメリカ軍上陸を目の前にして、海上からの艦砲射撃
空からの激しい爆撃に
逃げ場を失っていた。

軍は最後の抗戦を試みるべく
沖縄師範女子隊と、女学生たちまで勤労奉仕の名目で
最前線へ送り込んだのだった。白百合と桜のバッジを
胸につけた乙女たちは
ーお国のためーーと
家族たちとの別れもそこそこに南風原の丘へと行進して行った。
そこでは
疲れ果てた日本軍が、アメリカ軍の砲弾の嵐を浴びて、絶望的な戦いをしていた。

乙女たちは弾丸を運んだり
水汲みをしたり、また
負傷兵の傷の手当てと、夜を徹して働いた。

暗い壕の中での乙女たちの卒業式。
戦いは
どんどん激化してゆくも
驚いたことに、
軍は彼女らに何の指示も残さぬまま後退して行ったのである。乙女たちは辛くとも
軍の後に続くしかなかった。

狭い島である。どこに行っても安全な場所などあろうはずがない。島を脱出するには
時すでに遅し。

彼女らを待つのはー死ーしかないのだ。
敵に包囲され、右往左往する
島民たちに逆上した軍人たちは 降伏勧告放送に
我を失い駆け出した娘を無残にも射殺するという愚行が相次いだ。兵士も狂ってきているのだ。
兵士も最高幹部たちは
最期の死の作法は履行できただろうが、指揮者もなく、
戦う術も知らないまだ
幼くもある乙女たちは
ただ、ただ、散弾に撃ち抜かれて果てた朽木のように
死んでゆくもの、崖から海へ身を投げるもの、 と
(ひめゆり部隊)と呼ばれた少女たちの最後は
そんな姿であった。

教師に扮した津島恵子さん自体がまだ、清純な乙女なんです。彼女が強い意志を持って選んだ作品です。

1953年度作
東映
監督 今井正
キャスト

津島恵子
岡田英次
藤田進
香川京子
岩崎加根子

キネマ旬報ベストテン
第7位
当時倒産の危機にあった
東映を救った程の大ヒット作品となりました。
何度もリメイクされていますが、今井作品を超えるものは
ないと思います。