吐夢の懐かしの名画座



映画は私の人生の 師...デス。


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(切腹)

こんばんは。

昨日BSで放映された
小林正樹監督
滝口康彦原作
橋本忍脚本
(切腹)を見ました。
1962年の作品ですが、
見ていなかったんです。

うーむ 不覚にも
こんな至高の作品だとは思ってもいなかったのですが、
興奮冷めやらずと言ったところです。
興奮の冷めないうちに
投稿いたしますね。

偶然、先だって同監督の
(怪談)を見て、
日本の美、というものを
見せつけられ監督に関心を
持ちましたので、
ラッキー⁉️と何気なく
見始めたのですが、
これはちょっと違うぞ、
襟を正して見ようと。

途中まで見て
これは時代劇の最高峰ではないか!と思い始めました。


武家社会の虚飾と武士道の
残酷性などの要素がふんだんに取り入れられ、
嘗て、日本人が尊重していた侍精神への肯定、否定が存分にこめられた作品である。
国内では
切腹のシーンが
残酷だと賛否両論に分かれたらしいが、そういう次元の作品ではないと思います。

外国の映画評
においては
その残酷性を古典的な悲劇美として 高評価を得た。

カンヌ映画祭で審査員特別賞を獲得。日本ではあらゆる賞を総なめにしている。
(七人の侍)や(羅生門)が
時代劇の最高峰と言われ
また
わたしもそう思っていたのですが、(切腹)を見た今、
映画ファンとしましては
深い感慨にふけっています。

まず、あらすじをば。

関ヶ原の合戦後
徳川の世に不逞浪人があふれ
ていた。
ある日、井伊家江戸藩邸に
津雲半四郎(仲代達矢)なる
浪人者が訪ねてきて、

″拙者は芸州福島家、福島正則の家臣で、津雲半四郎と申す

訳あって藩は潰れ浪々の身となった。
将来の見込みもない浪人暮らし、せめて武士らしく武門の誉れ高い御当家の庭先をお借りして切腹をさせてもらえまいか″と申し出た。
井伊家家老の斎藤勘解由
(三國連太郎)はこれを承諾し、家臣に準備を命じた。

近頃、そのようなことを言って大名屋敷にあわよくば仕官、なにがしかの金銭を恵んで貰おうという魂胆の不逞浪人が横行していたので
懲らしめのため
本当に切腹させてやれ という
勘解由の決断だった。
そして、半四郎にこう言った。

″実は先に 同じ福島家家臣で千々岩求女(石浜朗)なる浪人がそこもとと同じことを述べ切腹を申し出たのだが、
ご存知か?″

″いや存ぜぬ″

″ならばそのものの始末記を話して聴かそうか?″

″承ろう″
回想シーン

千々岩は屋敷に通され、
新しい衣服を差し出された。
藩主に目どおりさせると言う。
千々岩は腹の中で
″これはお召しかかえくださるかもしれないと。″
湯殿も借り、着替えて次に会ったのは家臣 沢潟彦九郎
(丹波哲郎)で、
″お召し変え願おうか″と
千々岩に告げた。



千々岩は怪訝そうな顔で彦九郎を見た。
乱箱に入った召替えは
死装束であった。
″御主君に目どおり叶うと聞きましたが″という
千々岩に彦九郎は
″聞き違いでござろう。
近頃ゆすりたかりのごとき浪人が訪ねてくる中、
見上げたお心がけ、
心置き無く、我が藩邸の庭先ををお使いなされ″と言った。

焦った千々岩は
″一両日、の ご猶予を下され、必ず戻ってきて腹召しますゆえ″

彦九郎は″ならぬ、武士に二言は無きもの、潔く腹召されよ″と。



観念した千々岩は差し料(自分の刀)に手を伸ばした。
目は血走り、ガクガクと震えた。千々岩の差し料は竹光だったからだ。

竹光での切腹は難しいしかも
悶絶する苦しみを伴う。

十文字に腹を切らねばならないが、まず竹光では横一文字も切れない。千々岩は地面に
鞘を立て竹光の先に腹を突き刺した。
普通は腹を横に掻っ切ったところで、介錯人が首を落とすのだが、
彦九郎は″まだまだ″と首をはねない。残酷極まりない仕打ちだ。
とうとう苦しみに耐えかねて千々岩は舌を噛み切った。

と、勘解由は半四郎に話して聞かせた。

さて、
準備整い、半四郎は居並ぶ藩士に囲まれる中、
勘解由に切腹する前に身の上話を聞いてほしいと持ちかけた。

″実は千々岩求女はそれがしの
娘婿である。
求女の父親は半四郎の親友で
藩主の後を追って切腹したが
その時15歳の求女の将来を半四郎に
託した。

半四郎の娘美保(岩下志麻)は11歳。

求女22歳、美保18歳で
祝言をあげたが、
貧窮のあまり、美保は
労咳に苦しみ、二人の息子
二歳になっていた金吾は
高熱に見舞われるも
薬を買う金もない。

求女は知り合いの高利貸しに
金を借りると言って出かけたが、いくら経っても帰ってこない。帰ってきた時は
井伊家の藩士が付き添った
戸板に乗せられた亡骸であった。

半四郎の怒りと悲しみ、
放り投げられた差し料が竹光であったことに
半四郎は恥ずかしさに嘆いた。
妻の薬代に変わった刀、
なのに親の私は
これだけは と武士の魂だけはと手放せなかった!と悔しさに震えた。


勘解由はさては
仇討ちか?と頭の中は色々とよぎる。

半四郎は″そろそろ腹を切るか
介錯人は沢潟彦九郎にお願いする″

″沢潟は病に臥せって出仕しておらぬ。″

″ならば矢崎隼人(中谷一郎)殿を″

″矢崎は?″
使番は
あいにく病に臥せっております″
″では川辺右馬助
(青木義郎)殿を″

″川辺も病に臥せっております″

″それは奇妙な、関わったお三人がそろいも揃って病とは、
では切腹も取りやめるか″

やはり、最初から死ぬ気などなかったのであろう、この乱心者めが。と勘解由。

まあ、そういったやり取りの後、
腹切る前にお渡しするものがあると
懐から、ひとつ、またひとつ、そしてもうひとつと
小石の地面に放り投げられたのは
矢崎、川辺、彦九郎の
髷であった。

髷も武士の命、外には出られまい。
そして、矢崎、川辺との立会いを、どうやって髷を切ったか、彦九郎は二人に増して手こずったことを話して聞かせた。
其れから仲代さんがどういったタイミングで腹を切るか?



ーーーー
勘解由は
三人を切腹させ、病死の扱い、半四郎はつつがなく切腹したと処理、何事もなかったように......
だから井伊家はその後も隆盛を極めてゆくのである。

関ヶ原を、大坂の陣を戦ってきた半四郎の腰を低くして脇に刀を構える鎧武者の剣術
八相の構えと
彦九郎は
江戸初期、柳生兵庫助編み出した 上段、中段の構えの
立会い。つまり
戦国生き残りの仲代半四郎と
江戸時代の当時としては最先端の柳生の構えを習得している丹波の対照が鮮やかに描写されているのである。



切腹という題名だから
当然仲代さんも腹掻っ切るわけだが、29歳の仲代さんの
ラストの殺陣のシーンは
格調高くすばらしい。

錦之助の宮本武蔵の
一乗寺の決闘と並ぶ
名殺陣シーンであろう。

とても29歳とは思えぬ、後の影武者や乱の狂気迫る顔つきがすでに表れている。

さて、
仲代さん三國連太郎さん
丹波哲郎さんの三人の存在感は言うまでもないが、
そのお三方が演技を競い合っているからすごい。

そして、橋本忍さんのシナリオが素晴らしいから、
セリフひとつ一つがはっきりと分かりやすくもあり
格調高くもある。無駄なセリフなし。

そして、緊張感が全体に漂っているが、名画を見ている!という、心地よい緊張感が漂うので、最後まで一気に見ました。

そして、ギリシャ悲劇のようでもある。

仲代さんがいつぞやテレビのインタビューで話されていた
〝僕の映画俳優としてのスタートが切れたのは
小林監督のおかげだと。

いやあ、素晴らしかったです。

1962年度
キネマ旬報ベストテン
第3位

まだまだ書きたいのですが
朝までかかりそうなので
この辺で止めておきまする。

今夜も読んで頂いてありがとうございます。








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