虐げられた青春の痛み (また逢う日まで)日本の女優17久我美子さん 豊田四郎監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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懐かしい名画、最近の気になる映画、映画への思いなどを綴っています。特に好きなフランス映画のことを書いていきたいです。

 

 

 

 




元公爵家の令嬢 久我美子さん
(また逢う日まで)
日本の女優さん 17

久我美子さんが 東宝のニューフェイスに合格したのは
多分、15.6歳だったと思います。
お爺様をはじめ周りの人々の猛反対を押し切って、少女は屈することなく
強い意志を持って
女優になることを選んだ。

敗戦がなければ
彼女は映画女優になるなど
考えもしなかっただろう。
生活のため、将来の為、
選んだ道だった。
公家家族の中でも
侯爵というとりわけ格の高い家柄 貴族院議員の家に生まれたのです。
私ごとですが、
昭和40年代私は奈良に住まいしていましたが、
週末二日間は寺院、古墳巡りに明け暮れていました。
法華寺を訪ねたのもその頃。
当時のご住職が
久我高照門跡尼
 
法華寺は 中宮寺、円照寺と並ぶ 大和三門跡寺のひとつで
門跡寺院らしくあちこちに天皇家の家紋があります。

久我高照門跡尼は、美子さんの叔母様です。
門跡寺院というのは皇族や貴族の子女などが住持職を務める格式の高い寺院であり、
久我高照尼も旧・華族で、久我家の方でした。

さて、
そのお育ちからかもし出される美子さんの魅力は
知性溢れるノーブルな清純さ。

映画女優の人気投票において
1950年代から1990年代までは
高峰秀子さんと常に
1位、2位を争いキープされるという圧倒的なものでした。
なんとなく女優さんになった方々が多い中、彼女の女優としての意識はデビュー当時から、高貴なまでの美貌と強い意志があったからでしょう。

1947年
⭐️(四つの恋の物語)でデビュー。

オムニバス形式で
監督は
豊田四郎
成瀬巳喜男
山本嘉次郎
衣笠貞之助、脚本に黒澤明さんが
参加されてますね。
⭐️酔いどれ天使  監督黒澤明
毎日、毎日呑んだくれの医師のところへ通うセーラー服の女学生は17歳の美子さんは愛くるしい。
 
  同じ年に作られたのが今井正監督の(また逢う日まで)
1949年に
(にごりえ)今井正監督

1953年に
(あにいもうと)成瀬巳喜男監督
(白痴)              黒澤明監督
役柄大野綾子の
久我美子は最も彼女の持ち味が出ていたように思います。
1954年に
(女の園)に続くわけです。
後年の小津監督の(彼岸花)の三上文子も久我美子に重なる
自分の意志を貫く強い女性でした。

吐夢の日記で紹介した
(挽歌)はとにかくみずみずしく、鼻にかかった甘く掠れた声と
独特な台詞回しは
とにかく素敵でした。

で、本日は
ガラス越しのキスシーンで
観客にカルチャーショックを
与えたそして、
戦時中の愛の悲劇をみずみずしく謳いあげ、
戦後の恋愛に大きな影響を与えたであろう 今井正監督の(また逢う日まで)をとりあげます。






(また逢う日まで)簡単なストーリー

昭和18年、国民は太平洋戦争真っ只中にいた。

田島三郎(岡田英次)と
小野蛍子(久我美子)が
出会ったのは
空襲警報傘下の
地下鉄のある駅のホームであった。
二人は群衆に飲まれ、押し出されながらも、ふとした拍子に指が触れ合った。

この出だし、出会いは欧米映画でもよくありますね。

出会いって偶然が作用しているようで必然なんですよね。
(哀愁)も、そうだし、
戦勝に湧くパリの街の群衆の中で出会う(雨の朝パリに死す)もそう。わあ、どういう展開になるんだろう?ってワクワクします。

で、その出会いは、美しく純粋な青春の触れ合いとなってゆく。

三郎の家庭は厳格で暗い。
法務官の父は冷酷とも思えるほど厳しく、兄は軍服がキリッと似合うが、何の魅力もない男。母は亡くなっていた。
戦死した長男の嫁が
まるで小間使いのようにビクビクと親兄に仕えていた。

三郎に居場所はないというか
この家庭の有り様がとてもいやだった。

が、蛍子の家庭は反して、
明るい母と二人、
美校の先生のアトリエに管理人として住まわせてもらっていた。
生計を助けるため
街に立って似顔絵を描いて
少しばかりの収入を得ていたし、母は工場に勤め 笑いの絶えない明るく楽しい環境にいた。

毎日が面白くない三郎にとって蛍子と逢う時間だけが
暗い家庭と戦争を忘れさせてくれる幸せなひと時だった。

そんな中、ついに三郎にも
赤紙は来た。

蛍子は描いた三郎の似顔絵を
彼に渡した。

運命はイタズラだ。
貰った似顔絵を
たったひとつの思い出として、二人が別れなければならない、最後の逢瀬の日がーー

三郎の義姉が激しい防空訓練で流産するという騒ぎに巻き込まれ、蛍子との約束の場所へ行くことが出来なかった。
蛍子が出かけた後、
三郎から
出征の日時が早くなったとの電報が届き、
読んだ母は全てを悟り、
蛍子を探して駅へ急ぐが、

待っている蛍子は空襲に会い
一瞬の間に命を失ってしまった。

そんなことを三郎は知る由もない。
一日早まった出征の日。

三郎は蛍子の死も知らずに
軍用列車に乗り戦地へと運ばれて行った。
蛍子との美しい思い出をしっかりと胸に秘め。

そして、昭和20年の敗戦。
 
三郎の家で、三郎の似顔絵を前に
蛍子の母は渡された三郎の日記を
読む。
そこには
三郎と蛍子が出会ってからの
ことが書かれていて、初めて
目の前の絵の三郎と自分の娘蛍子の想いを知るのだった。
 
義姉は絵に花を添え、目頭を押さえた。
三人目の息子まで戦争に命を取られた
三郎の父親は呆然と立ち尽くしていた。
 
母は日記を読み終えると
肖像画に何かを語り、日記をそっとおいた。

ふたりのつかの間の美しき青春をずっとずっと伝えて行くように思いを託した母だった。

本作品が封切られた昭和25年は、敗戦から3年後、戦地から帰ってくる人々はまだまだたくさんおられただろうし、捕虜生活から復員されるかたも後を絶たなかったはず。
そんな折にこんな映画を見て
多分、感激に震え、
戦争で打ちひしがれた人々の人生に新しい息吹を吹き込んでくれたのではないでしょうか。

暗い戦時中の恋愛だからと言って、今の若者の気持ちとなんら変わりはないでしょう。異性に恋をするということは。
 
だけど、背中には暗い戦争が付いて回るのは歪めない。
(青い山脈)には共産主義といわれた今井正監督の主義主張はそれほど感じられない。

映画を見るにあたってこれは大事なことだと思いますが、
スカーッとした明るい(青い山脈)は明るい未来を示唆しているのに比べ、
(また逢う日まで)は
暗い時代の抑圧された、虐げられた若者の青春の痛みを真正面から怒りを持って訴えているように、思うんです。
今井作品の中で唯一、監督の感情が噴き出した。だから
鑑賞する者の心に共感、感動を呼び起こす名作となったのではないでしょうか!

出演
小野蛍子ー久我美子
田島三郎ー岡田英次
蛍子の母ー杉村春子
三郎の父ー滝沢修
三郎の次兄ー河野秋武

1950年 東宝
キネマ旬報ベストテン第1位