『片目のジャック』・執念と律儀さと優しさ ・1961年度作品 マーロン・ブランド監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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懐かしい名画、最近の気になる映画のことを書いています。

好きなのは戦前のフランス映画です。

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 マーロン.ブランド監督,
主演、
≪片目のジャック≫

久々にハリウッド作品。

ストーリーは・・・忘れておりました。

ある本で読んだ記憶があるのですが、
西部劇の面白さは何か・・・男のドラマではあるに
違いないのだけれど
やはり女性の絡みがどう発展していくかが
きちんと描かれていないと
つまらないとありました・

全くそのとおりで西部劇のストーリーなんて何の変哲もない
善と悪の闘いといってしまえばそれまで。

それが戦前,戦後となぜアレほどにももてはやされたのか・

それはハリウッド神話とも関係がありそうだ。

つまり現在のアクターズ志向の映画とは違って、
スターのための映画作りが
そのころのハリウッドの姿だったからですよね。

クーパーは何を演ってもクーパーでなければならないし
ファンもそれを望んだ。
ジョン.ウエインもしかり、
ジェームス.スチュアートもしかり・・

彼等専用のスタジオで、クーパーの西部劇を撮るのである。

だから、クーパーの西部劇、ジョン.ウエインの西部劇を
我々は楽しみにしていたのである。

今の作品のような屁理屈っぽい作品、演技というものを
求めてはいなかったのである。

そしてお隣のお兄さんや,
お姉さん達のような俳優が演ずる映画ではない
オーラを放つスターが演じるから西部劇も楽しいのであった・

以前紹介した≪荒野の決闘≫は
極めて叙情性に溢れた素晴らしい西部劇でした。

西部劇にもこのような名作がありますが,
その頃のB級といわれた作品でも
今観るとB級どころか結構優れた作品が多いと改めて思いました。

さて、 
≪片目のジャック≫の
ストーリーから・・・

ブランドがメガホンを取ったこの作品、
エリア・カザン監督の≪波止場≫で彼と共演した
個性派俳優、カール.マルデンとの再度の共演です。



リオ(マーロン・ブランド)とダッド(カール・マルデン)は
何をやるにも二人一緒でこそこそ悪いことをしていた。

銀行強盗をやらかして逃亡する途中で
二頭のうちの一頭の馬が追跡者の弾にあたり、
二人はどちらかが残って、ひとりが町で馬を調達して来ようと
コインで決めた。

ダッドが町へ行くことになった。
しかし、ダッドは奪った2袋の金貨を持ったままひとり逃亡した。
リオの方は捕まり
刑務所に送られ5年の服役を済ませていたが
ダッドへの復讐に燃え、脱走した・

風の噂でリオは
ダッドがある町の保安官になっていることを知った。

酒場でならず者と知り合ったリオは
ダッドの復讐をすべく、ならず者が計画している銀行強盗の
仲間となった。

リオにとっては銀行強盗などもはや興味はなかった。

ただただダッドに逢って復讐をしたかっただけだ。

メキシコ国境の海辺の町・・・

ダッドを訪ねたリオは極めて冷静に復讐する気持ちなど
微塵も見せずダッドと向き合った。

ダッドは嘘をついた。致し方なく逃げたと言った。
真実は確かめていたリオではあったが、
リオはすべて過去のことさ・・と笑って握手をした。

ダッドは子連れのメキシコ女性と結婚していた・

夫人も娘も美しく聡明な人たちだった。
娘はリオに一目ぼれした。

リオの野生の中にも温かな心があるのを見逃さなかったのだ。

町の有力者として人気者のダッドの指揮のもと,
お祭り催されていて
リオは娘ルイザを踊りに誘い、そのまま海辺へと誘った。

一夜は明け、ルイザはリオから色々と聞かされた。
リオは今まで付き合った女性を本気で愛したことはなく
いつも嘘ばかりついてもてあそんで来た。

だが純粋なルイザには次第に心を開き、
最初は嘘をついていたが
夜が明ける頃には過去のことを話した。

ルイザは驚き悲しんだが
彼を忘れることなど出来なかった。

朝帰りをした娘に父ダッドは何があったか問いただした。

気持ちよく和解したはずだったが
これはリオの自分への復讐のひとつか?と
ダッドは誤解しダッドへの憎しみ、恐れは増した。

そんな折、酒場で飲んだくれの嫌われ者が女給にしつこく
付きまとい、絡み
侮辱的な扱いをするのを見て,止めに入ったリオは
正当防衛でその男を撃ってしまった。

Xxここぞとばかりにダッドはリオを町民の面前で
鞭で何度も何度も打ち倒し、
挙句の果てに右手をライフルで叩き潰してしまった。

二度と拳銃が持てないように。

リオと仲間は近隣の漁村に見を潜め、リオは傷の治癒と
拳銃の稽古に励んだ。

ただただ憎しみの為に。
信用できない仲間達は
それでもまだリオの力を必要とする理由だけで
はや撃ちリオの復活を待った。

だが、リオに逢いに来たルイザは、真実。。つまり
義父ダッドは昔リオと銀行強盗をやって
リオを見捨てて金を持ち逃げしたと
聞いて、
そんな恨みは捨てて二人で逃げて幸せになろうと説得した。

ルイザのおなかには新しい命が芽生えていたのだ。

そのときは出来ない!!と答えたりオだったが、
時間がたつにつれルイザの気持ちに応えようと決心した。

しかし、仲間達はそんな彼を利用して強盗を決行しようと
まず、ダッドの家に向かい
  ”リオがやってくるから待っている!と言い残して
町の銀行へと向った。

実行したものの、
仲間のリーダー格は撃ち殺され、ひとりは逃げた。


死者も二人出て、町民は怒って保安官ダッドの元へと走った。

聞いたダッドはすべてリオの仕組んだことだとまたしても
何も知らないリオを捉え投獄した。

今度こそ、縛り首にしてやると・

しかし、妻も娘もダッドの本当の姿は
堅気になって真面目にやっている現在よりも
過去を嘘で塗りつぶして、
リオを陥れようとしている姿が許せなかった。

ルイザはリオが脱走できるように計らった。

そしてダッドとリオの一騎打ちが始まるはずだったが
ダッドはまたしても背中からリオを狙ったのであった・・・

  が,倒れたのはダッドであった・

リオにとって、
ダッドとの友情、そして裏切り、

過ちなら許せたが,
これは意図的な裏切り行為であった。

腸が煮え繰り返る憎しみであっただろう。

ダッドはダッドで自分に都合の良い言い訳で生き延びて、
今の地位を得、
善人と言われながらいつもびくびくとおびえて生きていた。

リオに言わせればこれこそが
  片目のジャック  的な生き様だったのだ。

この作品は西部劇というよりむしろ一人の男の
執念と律儀さと優しさ,激しさ、
そしてロマンチックな男の愛も絡めた
ブランドらしからぬ作品ですね。

西部劇の中にこそ男の純愛と
男の可愛さ,
優しさが溢れていると思う私であります。