『祇園囃子』・権力に押しつぶされる祇園の世界・・若尾文子さん・1953年度作品 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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再投稿です。
溝口作品の
≪祇園囃子≫.1953年作
この後、(近松物語)を
投稿しますので
祇園囃子を再投稿しました。

宮川カメラマンは黒澤組でも、溝口組でも常連さんでしたが、
溝口作品≪祇園囃子≫も、
吉村作品の(西陣の姉妹)もこの宮川さんが撮っているんですよね。

二本続けて鑑賞しました。

そして、
脚本家の依田義賢という人とめぐり合って
溝口は水を得た魚のように次々と名作を送り出した。

また、依田さんが離れた時には
新藤兼人ともよく組んでいる。
その新藤さんがこの西陣の姉妹にスタッフとして加わっている。
面白いですね。そのうえどちらも姉妹らしきふたりと
本当の三姉妹のお話しと共通点がありましたので
(西陣の姉妹)もまた再投稿します。

わたしは、あまり取り上げられない吉村公三郎監督は
作品が歌舞伎っぽいというかケレンミガあって好きなのだけれど、
先日紹介した、≪安城家の舞踏会≫、≪偽れる盛装≫にも
そういった共通性がある。

さて、
スタッフの持つ力をすべて絞りとるほど
精力を注ぎ込んで撮るといわれる溝口監督であるが、
画面は静かにじっくりと”間”を感じさせる撮り方である。
小津監督の固定したカメラとは又、違った固定カメラの使い方。
決してケレーンを使わない小津さんと違い、
クレーンもたっぷりと使って、
祇園の屋根から甍の波を流し撮りしている。
小津さんはこういう流し方はしない。

宮川カメラは祇園の路地を屋根から撮るのである。
西陣の姉妹でも宮川カメラは同じように屋根から、屋根へと
流れる。

手前と中間と奥の人物なりを手前から引いて、
三人の会話を入れながら撮る。ひとりが引っ込んでも
それは声だけ。カメラは動かない。

この二作を比べてみて、画面の優雅さはやはりさすが溝口だと
思わせる美しさがある。
今日は≪祇園囃子≫を紹介しましょう。

後日、(西陣の姉妹)ということで。

監督...  溝口健二
脚本 ...  依田義賢
原作 ...  川口松太郎
撮影 ......宮川一夫

配役    
美代春 ..  木暮実千代
栄子 ...  若尾文子
楠田 ...  河津清三郎
沢本 ...  進藤英太郎
佐伯 ...  菅井一郎
小川 ...  田中春男
神崎 ...  小柴幹治
お君 ...  浪花千栄子
製作年 昭和27年
製作国 日本
配給 大映

ストーリー

祇園の御茶屋のおかあはん...美代治(小暮実千代)が
倒れかけたメリヤスを扱う商売の佐伯の娘
栄子(若尾文子)を預かり、
本人の希望で舞妓になるべく育てる。
三味線、鼓、太鼓、舞、茶道、華道といずれも筋がよく、
わずか一年でお座敷に出れるようになる。

置屋といっても火の車で
お座敷にテ゛ヒ゛ューするには衣装その他で
その当時のお金で30万ほどかかる。

先輩芸者であった御茶屋の女将お君にお金を融通してもらうが、
その金は楠田という男から出ていた。

てっきりお君が融通してくれていたと思っていた
美代治の誤算であった。

その金の為に、
栄子→美代栄 はいきなり旦那を持たされそうになる。
栄子に目をつけた楠田である。

義理堅く、古い考えの美代治とちがって、美代栄は違う。
迫られた楠田の唇に噛み付いて難を逃れたが、
お座敷には出入りを差し止められた。
お君の顔がつぶれたという理由でだ。

楠田の取引先の男が美代治に気があるのを知って、
お君は今度こそ、楠田の手前、美代治を説き伏せて、
その神崎と言う男に身を任せるよう説き伏せた。

年増芸者とはいえ、まだまだ容貌も色香も失っていない
美代治であった。

美代治は美代栄にはまだ、キレイな身体でいて欲しくて
身代わりになったのだった。

朝帰りをした美代治に美代栄は怒りをぶつける。
もちろん自分の身代わりと知ってのことだ。

日本の伝統文化だの祇園は無形文化財だの奇麗事
ばかりで、
中はこんなお金のどろどろとした世界じゃないか。
汚い!もういやだ!とおかあはんの美代治に食ってかかった。

しかし、帰る宛もない美代栄はここ祇園で生きていくしかない。
やさしいおかあはんと一緒に頑張るしかなかった。

と、まあー簡単なストーリーですが。

溝口は祇園によほど思い入れも深かったようです。
戦前に祇園の姉妹を描いて、
戦後すぐのこの作品は、
ふたりの情愛もしっとりと描いているが、
舞妓が一人前になるまでを丁寧に描いている。
お茶の師匠が、

お茶もお花も日本のすばらしい芸術です。

外国人が観光にくると必ずやってくる祇園ですが、

芸者、ふじやましか知らないでしょうが、

ここへ来て初めて総合芸術を見ることが出来るのです。

その芸術を学べるということを誇りに思いなさい...という

シーンがあり、これは溝口の思いでもあるだろう。

その祇園が変り行く一抹の淋しさもあったと思う。
それが溝口の思い入れであると思う。

しかし、今も
ふじやま、芸者のイメージもさして変っていないようだし、
日本を知る外人なんて一握りだろうから。

内情は別にしても
外眼に見る祇園はさして変っていないと思うのである。

小暮実千代は身のこなしがすばらしい役者である。
襦袢姿で横座りで足袋を脱ぐところなんぞ、
今の役者では醸し出せない仕草である。
お茶を入れる仕草、間 は今の女優さんに
もっと学んで欲しいと思う。


若尾さんは主役としては実質2作目の主演であるが、
すでに大女優の未来を感じさせる
すばらしい香りを放っていました。