①では浜田省吾のピックアップが多かったですが、、





『②大人のJ-popカレンダー 11月』いきますか


今回のテーマは何でしょう?






DISC 2 /家族の歌


父母唄 / GReeeeN

こんにちは赤ちゃん / 梓みちよ

この小さな掌(詩歩子へ) / チューリップ

妹 / かぐや姫

家族をつくろう / 柿島伸次

吉田町の唄 / 吉田拓郎

息子 / 奥田民生

ANAK(息子) / 杉田二郎

野風増 / 河島英五

親父にさよなら / 森本レオ

人生が二度あれば / 井上陽水

手紙〜親愛なる子供たちへ〜 / 樋口了一

生まれ来る子供たちのために / オフコース

家族写真 / 森山良子




このシリーズ、よく出るアーティストがいますが、(株)JVCケンウッド・ビクターエンターテインメント、(株)ソニー・ミュージックエンターテインメント、日本コロムビア(株)、(株)ポニーキャニオン/ユニバーサルミュージック合同会社 
という限られた中で選曲されてる為だと思います。ご了承下さい。



さて、




「父母唄」GReeeeN

以前、「探偵ナイトスクープ」という番組で、「HUG ME」と書いたダンボールの切れ端を高く掲げて、街中でアピールする若者がいました。意外に通りすがりの老若男女が笑顔でハグし、微笑ましかった。そして最後は、テレビ局側が秘密で用意したその若者の家族と対面。この家族との抱擁がとんでもなく笑い涙を誘い、私もボロボロに泣いてしまった(笑)
ご両親は、小さな子供の時以来だといい、若者も一人暮らしを始めたのと、体がどこかで両親と抱き合う感触を覚えていて、もしかしたら欲していたのかも知れないと言った。そんな照れは親子でありますし、それを歌というかたちで表現できるのは素晴らしいなぁと思います。




「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ

作曲家中村八大の第一子誕生に際して作詞家永六輔が贈った詞だそうだ。
最後のあたりの歌詞、
♪こんにちは赤ちゃん  お願いがあるの
こんにちは赤ちゃん  ときどきはパパと
ホラ  ふたりだけの  静かな夜を
つくってほしいの  おやすみなさい
おねがい赤ちゃん♪

2番はこんなだとは知らなかった、リアル(笑)




「この小さな掌(詩歩子へ)」チューリップ

(解説抜粋)70年代の若者たちの間に「30才以上は信じるな」という言葉があった。(「ドント トラスト〜」ってやつかな?)大人になることをどこまで拒めるかという奇妙な時代でもあった。チューリップは財津和夫がビートルズのようなバンドをやりたいと福岡の他のバンドからメンバーを引き抜く形で結成。
キーボードの姫野達也は親の反対を押しきって加入した。そんな彼に娘が生まれた時に財津が贈った詞に姫野が曲をつけた。84年アルバム「I dream」収録




「妹」かぐや姫

74年シングル。「神田川」「赤ちょうちん」と並ぶ彼らの「四畳半三部作」。でも「本当の俺たちはこうじゃない」と解散のきっかけになってしまったらしい。




「家族をつくろう」柿島伸次

一瞬、福山雅治の「家族になろうよ」かと思った(失礼!)。男性からのプロポーズも「家族」は最終兵器みたいなものかもしれない、とあくまで書いてありましたぁ。




「吉田町の唄」吉田拓郎

男の子にとって父親とは、時には反面教師だったり……自分に何故この名前がついたのか、想いを語るのを待ってたことが、あったなぁ。




「息子」奥田民生

やっぱり世代的にしっくりくるなぁ。若い父親はまだ子供の頃の感情を覚えているから、「言い切れない」微妙な心理が作用する。秀逸な、歌詞ですよね。95年1月発売先行シングル。




「ANAK(息子)」杉田二郎

オリジナルはフィリピンの歌らしい。歌詞の中で、息子は完全にグレてしまってる壮絶なストーリー。ビビったけどこれ、ヒットしたんですね。昔のほうが刺激的だな。




「野風増」河島英五

自分の子供とお酒を飲む。羨ましいですね。昔、家の近くの店で会社の同僚と飲んでいた父親に私は呼ばれました。まだ小学生でした。同僚の方にとても褒められ可愛がられ、父親も何故か自慢しだし、すっかり気分よくなって帰宅して母親に言った一言。「お酒もいいんじゃない?」家族は爆笑したらしい…。




「親父にさよなら」森本レオ

選曲の田家さんは、この曲を紹介したいための「家族の歌」をテーマにしたらしい。1970年、東海ラジオの人気DJだった森本レオ作詞のあの声の語りで進む歌。傑作。思いきり親父を非難?してるのに愛情がこもってて泣けてきます。




「人生が二度あれば」井上陽水

陽水の親の希望だった歯科医を断念。音楽の道に入った懺悔であり自分の二度目の音楽人生への願いでもあるのだろう、とあります。72年。




「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」樋口了一

これ、ご存知な方いますか?スゴい歌詞ですね。原詩はポルトガル語で書かれていたそうです。以前紹介した「犬の十戒」はここから来たのでは?と思うような、まさに「年老いた親の十戒」。こんな歌の出会いがあるからやめられない。




「生まれ来る子供たちのために」オフコース

(解説抜粋)シリアスなテーマが敬遠されてた中、70年デビューのオフコースが79年に「さよなら」でブレイクした後のシングルにこの曲を選んだ時、周囲は反対した。でも、彼らにとってはこの曲こそが勝負曲だった。今、この国は、子供たちに何を残そうとしているのだろう。。




「家族写真」森山良子

(解説抜粋)東日本大震災の時、何よりも涙を誘ったのが、瓦礫の中に残された写真だった。両親や兄弟、そして友人たち。シャッターが押された時には、それがどのくらい貴重なものなのか、という意識もない屈託のない笑顔。時が経つにつれかけがえのないものになってゆく一枚の写真。


森山直太朗の母親、という認識が若い人たちに浸透していますが、その森山良子の両親は、戦後の草分けのジャズミュージシャンとシンガーだったらしい。まさに、家族の歴史が日本のポップミュージックの歴史でもあります。




家族の肖像をいろんな形で切り取った作品集でしたね。


昔、自分用のベスト盤をカセットテープに録音したり、彼女との場面ではこのテープ、とか作ってませんでしたか?曲間のこだわりや効果音なんかもいれたりして(笑)


そんな中、一番影響を受けたのは、友人が作ってくれたテープ。そこで、世界が拡がりました。とともに、ひっそりと友人を見直したりして。



紹介している曲群が、少しでもあなたの心に風をおくれていたらこんなに嬉しいことはありません。




ピックアップ

生まれ来る子供たちのために / オフコース




手紙〜親愛なる子供たちへ〜 / 樋口了一



では、12月版でまたお会いしましょう(^^)








大人のJ-popカレンダー11月。

月の終わりに紹介しても遅いですよねー、すみません(>_<)     …あ、もう12月だ!


次回の12月、早々にできるよう頑張らねば。



いつも通り、選曲は田家秀樹さん。2枚組。

含蓄ある解説とむかーしの知らない名曲を知る良い機会で、いつも有意義に聴いています。




DISC 1 テーマ・ワークソング


おつかれさまの国  / 斉藤和義

ドント節 / 植木等

ヒゲとボイン / ユニコーン

ヒーロー / FUNKY MONKEY BABYS

チューリップのアップリケ / 岡林信康

鉱夫の祈り / 高田渡

ヨイトマケの唄 / 村上"ポンタ"秀一 vo泉谷しげる

新聞少年 / 山田太郎

煙突のある街 / 真島昌利

ファクトリー / A.R.B

田園 / 玉置浩二

愛のために / 奥田民生

I am a father / 浜田省吾

パパの歌 / 忌野清志郎

労働讃歌 / ももいろクローバーZ

終電座 / 谷山浩子



11月は1年の疲れが来ますが、まさかのワークソング。頑張れということか。



「おつかれさまの国」斉藤和義

そのひとの疲れに「お」をつけて
「さま」までつけて
「おつかれさまです」と声かける
ぼくらの日々

から始まる歌詞ですが、「お疲れさま」というのは英語の表現に適訳がいまだにないそう。





「ドント節」植木等

クレイジーキャッツ一作曲「スーダラ節」かヒットした時、「日本は大丈夫なのか?」と言ったそうです(笑)
♪サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ〜♪




「ヒゲとボイン」ユニコーン

知らない方、是非聴いてください。大好きです!実は……この歌詞と似たことが、私もサラリーマン時代にあったのはここだけの話(笑)社長が部長になっただけで90%同じでは。




「ヒーロー」ファンキーモンキーベイビーズ

この手の曲調を真似するアーティストはだいたい嫌いですが、元祖は特別かな。




「チューリップのアップリケ」岡林信康

それまでのフォークソングは夢や希望を歌っていたのが、60年代後半からは"貧乏"というリアリティーになっていったそうだ。




「鉱夫の祈り」高田渡

私の故郷に軍艦島と呼ばれるところがあり、炭鉱が衰退した後、長崎本土に戻った人の中にはかなり辛い毎日を過ごしていたのを見たことがあります。なんか重なるなぁ。。




「ヨイトマケの唄」村上"ポンタ"秀一 vo泉谷しげる

私は桑田佳祐を通して知ったが、放送自粛を解禁したのは泉谷しげるだそうだ。ヨイトマケって、道路工事に従事する労働者が地固めのための大槌に滑車をつけてロープで引き上げては落とす時のかけ声だそう。歌詞が一部省略されてるのはやはりなにかの力?もちろん元々は、美輪明宏で有名になった曲。




「新聞少年」山田太郎

解説によると65年発売、つまり東京オリンピックの翌年、祭りのあと。生まれ変わった東京を支えているのが、こういう地味な仕事に従事する少年だったと気づくようになったのかも知れない、とあった。先程のヨイトマケの唄もこの頃だそうです。最近、なんかこういうサインがやたら私に来るような気がする。。




「煙突のある街」真島昌利

時は70年代になると、"公害"問題に突入。私は小山卓治のアルバム「ひまわり」で知ってたが、やはりマーシーがカバーしたらしい。子どもの頃、"公害"のニュースばかりだったけどここまで変われたから、どこかの国も変われると信じたいですね。




「ファクトリー」A.R.B

この曲、カッコいいですね。当時はディラン、レノンみたいな社会的な出来事を歌っても理解が低かったそうですが、そんな中、まっすぐ硬派なロックをやってたのがA.R.Bだそうだ。




「田園」玉置浩二

最初聴いた時、ビリー・ジョエルの「ハートにファイヤー」かと(余計なこと言っちゃった)。でもここまで堂々とやるとオリジナルになると誰か言ってたし、本当に歌詞とピッタリで大好きな曲です。




「愛のために」奥田民生

先日、福岡だけ?のローカル番組で華丸大吉の2時間特番やってて、ゲストの井上陽水がバリバリの福岡弁で語っていたのが奥田民生の歌詞。実は奥田民生を知らなかったそうで、息子の影響で知って、ビックリして、「ありがとう」で共作に発展したとか。




「I am a father」浜田省吾

選曲の田家さんによると、仕事や会社、更に戦争や環境破壊、日本のポップミュージックが避けてきたテーマを扱い、良質なエンターテイメントとして成立させてきたパイオニア的シンガーソングライターが、浜田省吾だ、とのこと。

私はさらに、気難しくならないよう、アメリカンポップなダンスやロック、ハイスクール的なごきげんさをうまく取り入れて、オールタイムで聴けるよう工夫してる感じがもう本当にスゴいと思うし、最近また歌詞が沁みるようになってきた。20代の頃はモテたいがためにお世話になってましたが(笑)




「パパの歌」忌野清志郎

先程の井上陽水がさらに言ってたのが、東京に出てきてライブハウスで見たRCサクセションがとてつもなく良かったと言ってました。作詞を糸井重里に任せたことで、自分では歌えないテーマを第三者的に可能にさせたらしい。建設会社のCMソングでしたね。




「労働讃歌」ももいろクローバーZ

作詞が筋肉少女隊の大槻ケンヂ。アイドルがワークソング?と、歴史的に歌を研究している田家さんには衝撃的革命的だったそうだ。




「終電座」谷山浩子

終電の混雑は実に日本的らしい。田舎から上京すると、朝の混雑に目を丸くし、終電の混雑に意味がわからなくなる(笑)    この歌詞、終電車が空を飛んで星の海へ向かおうとするがビルくらいの高さが限界、とか最高でした!



長々とおつきあいいただき、ありがとうございましたぁ。


ピックアップ

浜田省吾 「I am a father」

2005年アルバム「My First Love」からのシングルカット。「路地裏の少年」が「J-BOY」になり、父親になる。この歌に自分を重ね合わせている聞き手は多いはずだ。〜田家さんコメント



次回、②11月、いきます!





















このライブを、少しでも仕事を忘れて参加できるよう、必死に成績を上げて、時間も余裕をもって行くことを目標にしてましたが……





結局、仕事に追われながら、いつも通り?時間ギリギリに向かうことに。





あるあるでしょうが、今日になってお客様から


「あの件、お願いすることにするよ。今日夕方なら会えるよ!」



(ラ、ライブが…)



「お昼過ぎあたりはいかがでしょうか?夕方たまたま空いてなくて…」


「あー、わかりました。何とか時間空けてきます。」



こんなやりとりが2件。
成果が今日という日に表れるタイミングの悪さ。




……いやいや、ありがたい話なんです。ライブを選ぶほうがおかしい。
でも!時間ズラしてもらえるならライブを選ぶ!文句あるか!なんて。(誰に向かって?)







ヤフオク!ドームまで都市高を飛ばし、駐車場探しで翻弄されながら、なんとか開始30分前到着。






座席は、Bブロック7列という、わりかし桑田さんを生で観られる位置。ついてる!




ネタばらしはしませんが、相変わらず最高でした!




少しずつ少しずつ、シフトを替えていってます。本人の年齢や、観客の年齢。サザンオールスターズではなくソロとして。大騒ぎの盛り上げより、内容での盛り上げ。




よく、初めて参加したブロガーさんが、あまりの盛り上がりにビックリしたなんてこと書いてますが、




10年前までのライブ見たら、ひっくり返ると思います(笑)


最後のあおりなんて、あの3倍くらい長くやって、見てるほうが「ヤバいヤバい」(自分の中のリミッターが壊れそうな感覚)と鳥肌立たせながら、大声と手を振ってたものです。




徐々に構成を替えていって、今のかたちになってきましたが、少なくとも私の年齢層(メインはもう少し上かも)はもうバカ騒ぎまではしなくなりましたし、ちょうど良いかなと。




バラードになれば自然に座り(腰や膝を気にして笑)アップテンポに備えます。その様子はむしろ、桑田さんも気を遣わずできると思います。




もちろん、盛り上がる時は昔とった杵柄(笑)いつでもスイッチは入りますよー!




いまだ、いい大人が騒げる場でもあります。
最近は、聴かせる時はじっくり聴かせるようになったので、声は以前よりさらに出てる気がします。なによりメリハリがついて、ソウルフルなショーになってきました。




BOФWYが昔、
「ライブハウス武道館へようこそ」
と名言を言いましたが、


桑田佳祐は、
「ライブハウス、ヤフオク!ドームへようこそ」

とばかりの、アットホームさをつくり、さすがスタジアムライブ巧者だなと感じさせます。



始めの挨拶とお客さんとのやり取りでわかりますよね?行った方々(^o^)




あと、あくまでニューアルバム「がらくた 」ツアーなので、メジャーな曲ばかりではなく、渋い選曲なのは、初めてのお客さんには向いてないかもしれません。




しかし、それらは、来年サザンオールスターズ40周年に向けての大いなる仕掛けかも知れません。サザンのヒットパレードになるでしょうから。





近々、「サザンオールスターズ40周年に向けて」として、ブログ記事をシリーズで書きます。いろいろ想うところがあるからです。もっとこうしたらいいのになぁとか。




一つに、若いファンと女性ファンの獲得。
最近、昔からのファンの囲い込みはすごく充実してるのですが、新規に向けては弱いと思います。




さすがに今回のライブの観客の老齢化は自分も含め、少し目立ってきましたね。みんなで考えていければと思います。





なーんて偉そうですが、かなりかなり高い次元での悩みですよ。それを「贅沢」と人は呼びますが(笑)








さて、ラジオ「やさしい夜遊び」のパーソナリティーは、ご当地DJが常になってたので、福岡は予想通り、ナカジーでした。



福岡では圧倒的な知名度で、テレビにもよく出て来ています。まぁ、地元でも概ね納得の人選でしょう。



ただ、「やさしい夜遊び」では珍しく、前のめりなナカジーが感じられ、少しおかしかったですね(笑)




普段、朝のラジオ「モーニングジャム」は車の中でときどき聴きますが、確か毎日4時間くらいやってませんか?だから、その尺の調子で話したのか、「やさしい夜遊び」では語りが少しくどくなり、時間が足らない感じ。でも回しのうまさはさすがに落ち着いてましたね。(私は評論家か)




明日は、ラジオで報告するだろうな、聴けたらいいな。





あ、気がついたらこんな時間。
ではまた(^^)



ナカジーが、「がらくた」について桑田佳祐にインタビューしたもの。私も初めて知った事実がありました。だから昔のあの曲には方言が…とか想うところがありました。