夏の日の思い出 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

ほうー、去年(ころな禍前に)は、↓こういうこともしていたんだ……。

 

今考えると、そこには大空と自由と希望があった……。 (食い気も……。)

 

 

よーし、今までコロナ禍で、自粛してたぶん、うんと喰いまわってやろう。

 

 

 

 

『伊豆湯ヶ島温泉湯本館で「伊豆の踊子」、越後湯沢温泉で「雪国」の構想を練った川端康成氏も現代にあったならここ岩井(祝い)海岸で馬琴の南総里見八犬伝に因んだ伏姫伝説を感受性豊かな現代恋愛小説として書いたかもしれない。

 

いや来年のオリンピック期間中煩わしい都会を離れて、ここにならカン詰になっても自由にTV観戦記事も書けそうだ。

そればかりか夏休みの宿題、自由研究、研究論文の追い込みにもいい環境だ。

 おまけにマザー牧場のチケットが付いてきたので、君津から直行バスで行き、乳搾りや動物ふれあいで癒され感も満タン。インスタ映えのいい運動になった、この日13000歩。……久々に快い疲れを味わう。』

 

 

とあるようにこことは、南房総のとあるシーサイドリゾートで先憂後楽、台風後の夏休みを過ごしました。

 

 

のどかな田園風景で牧歌的でしょう。雲までのんびりと微睡んでいるよう。

 

 

まさに岩井(祝)ならではのコングレチュレーション・ウエディング。

 

 

夕食まで腹ごなしに海岸などを散策す。

 

 

そしてこれは曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」から今に伝わる伏姫伝説。

犬と同衾して身ごもった伏姫の数珠が八つに分散し、「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」の八犬士と八玉に……。

 

 

 

犬が喋るとか、犬が敵将の首を獲ってくるとか、犬が姫を嫁取りするなど、これは犬公方の「生類憐みの令」施策と何らかの因果関係があるのかもしれないが、今では荒唐無稽の聖処女懐胎説の一部と思われる。もっともチバニアンの房総地帯だから何があっても不思議ではないが……。

 

或いは、この日本には8百万(やおよろず)の神々が棲息すると言われることから、当時は生まれ変わりという信仰があったようにも思われ、生きるよすが(縁)を求めて現代科学では説明のつかない抽象的かつ感覚的な事象の多いこともまた事実である。

 

                          ❤

 

こうしてグルッと一回りしてから帰館し、ひとっ風呂浴びて、浴衣でいただく晩ご飯。

 

 

夕食は部屋で舟盛りメインの海鮮料理。(ポットは味噌汁)

 

ここはコンドミニアムホテルと言うて、長逗留に向いている食事道具一切標準装備されているリゾートなのだ。

 

きれいだね。ほんとにきれいだね。(最上階展望温泉から)

 

そして展望混浴、いや今どき混浴はないが展望温泉からの夕焼けは絶景なり。

 

 

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さて、翌日……宿で戴いた「マザー牧場」のチケットを持って

 

 

 

君津駅から直行バスでやって来ました。

 

 

競馬ならぬ競豚は今でも人気のアトラクション。

 

 

桃色吐息。歌もあったがこちらはピンクのペチュニアが2万5千株。

 

そして向かうところは、乳しぼり。

 

 

体験型乳搾りに、なぜか女性が多いのは何故?

 

 

 

この女の子も夢中になって搾乳していた。こわくないようである。

 

 

で、私もおっぱい、もとい、乳頭をしごいて、搾乳してみた。バケツにピュッ!

 

 

乳牛は体重約850kgで乳首は苺ぐらいの大きさ。

 

 

これは多分雌牛だろうと思われるが、この眼は恍惚に浸っているのか、無想解脱しているのか……もうー。

 

 

そしてここは、風そよぐまきばの風景。この構図アングルがプロの所以。

 

 

いやここにはまだまだ触れ合えるアニマルさんがいっぱい。

 

 

 

 

 

まるでぬいぐるみが歩いているような……。

 

 

そしてこれは、マザー牧場オリジナルの桃色吐息に因んだ「桃色ソフト」。

 

 

さて、そろそろ帰りのバスの時間に間に合うように土産物店に立ち寄り、帰途へと向かうのでありました。

 

 

ここで、牧場名の由来を

 マザー牧場は東京タワーや産経新聞などを創業した前田久吉がつくりました。

大阪の郊外にあった前田の生家は貧乏で、お母さんは いつも口ぐせのように

「家にも牛が一頭いたら、暮らしもずっと楽になるのに……」と言っていました。

このことが心の奥深く残っていた前田は、これからの日本にとって畜産振興が必要であることも考え合わせ、牧場づくりに心血を注ぎました。

 そして今は、亡き愛するお母さんに捧げる牧場という気持ちを込めて”マザー牧場”と名付けたのでした。

 

 

……マザーの乳をしぼって ごめんなさい。

 

 

 

 

 

さふして、無事に帰宅したのでありました。

 

 

 

本日はこれまで。  (吟)

先ずは房総からだ。

 

 

 

 

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