庚申とは ①

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 今年は南岸低気圧と冬将軍の猛威により北陸、西日本など数年に一度と言われる大雪に見舞われ付近通行の運転手は受難の年でもある。

 

 

こういう時はオートパイロット(自動運転)に任せたくなるが、チェーンやスノータイヤ交換などレバー一つで取り替えられるようになったら便利だろうな。

 

また天は乗り越えられない苦難をお与えにならない。という言葉もあるし、苦労は発明の母ともいうし、かの西郷隆盛は受難中もこんな漢詩を詠んで英気を養っていた。 

「貧居、傑士を生じ、勲業、多難に顕る。 雪に堪えて、梅花麗しく、霜を経て楓葉丹(あか)し」

 

これは、貧しい家から優れた人が育ち、輝かしい仕事は 苦労の中にこそあらわれる。

雪の寒さに堪えてこそ梅の花は美しく、霜が降りてしばれる季節も経てこそ、楓の葉も赤くなる。

梅の花や紅葉が厳しい季節を経て美しく成熟するように、人間も苦難を乗り越えてこそ初めて立派な仕事ができるようになる。

 

そうして寒さも立春を過ぎたら三寒四温で徐々に暖かくなってくる。地球がまわっている限りは。

そうすると、歩き始めたみいちゃん♪ではないがおんもへ出たいとソワソワ浮き足立ってくる。 

雪から顔を出すのは蠟梅や梅などの草花だけではない。村や町の角、都内のあちこちに立っている石碑、庚申塔や庚申塚もある。が、

 

 

えっ、それって何?といわれる今の時代でもある。

そも庚申とは何ぞや?

干支の「かのえさる」の時の戒めと供養で、もとは道教からきている。これは中国や台湾の昔からの伝統思想で、一時映画で「キョンシー」とか「ゾンビ」などオカルトが流行ったので一部が知られているが、かなり歴史が古い。

 

庚申信仰について調べてみると、

 

平安時代の陰陽師よりも前、慶雲2704)年文武天皇の頃、遣唐使が帰国して間もなく中国より持ち帰った思想、信仰が平安貴族の間で流行り始めた。

 

 

 

『人間の体内には三尸(さんし)と呼ぶものがいて庚申(かのえさる)の日の夜・・・・・・。(中略)

 

平安初期に伝わり、貴族社会にあっては「守庚申(もりこうしん)」といって詩歌や楽曲によって雅な夜を徹したが、室町時代になると一般民衆の中にも広がり、酒宴で一夜を明かすようになる。そしてこうした集まりを「庚申待供養結衆」といった。

さらに江戸時代になると、とりわけ農村部にも広がりを見せるようになって地縁関係による人びとで「講」が結成されるようになった。これを「庚申講」というが、金を出し合って像塔を造立して供養のしるしとする流行を生むようになった』(学生社発行「東京史蹟ガイド⑳」~)

 

とある。平安初期から江戸時代までだと10世紀はある。そんなに脈々と続いている信仰とは?一体どのようなものか調査してみたくなった。

 

先ずこの文言である。

人間の体内には「三尸(さんし)」という目には見えない虫がいて、それが夜中、人間が寝ると体内から出てきてふわっと天帝に呼び集められるようにして昇天し、その宿主の善悪所業を逐一天帝に報告され、やがて信賞必罰が下る。

 

三尸「天帝様、ご報告申し上げます。先ずこの者について、いい知らせと悪い知らせがありますが、どちらから先にお聴きになりたいですか」

天帝「どちらでもおんなじじゃが、いい方から先に聞いた方が心証がよかろうな」

三尸「では申し上げます。この者は吾々のこの仕事を世間に喧伝してくれております。然も好意的に」

天帝「ほう、で、悪い方はなんじゃ」

三尸「吾々の企業秘密を暴露しております」

天帝「ん?おんなじじゃないのか?温故知新につとめれば、人類も成長でき神性に近づけよう」

 

天帝は三尸の担当を美人の三尸に替えてなおもその人間を見守った。

しかし、世の中にはこんな善人ばかりではない。それだったら庚申講というものが成り立たない。そもそも庚申待ちというのは、神ではない弱い人間だから人の悪口を言って責任転嫁したり僻みや嫉み、また私利私欲の疚しい気持ちも起きるのだろう。そこを穴埋めしてくれるのが講や信仰であったり近所づきあいであったり井戸端会議であったりSNSであったりするのではないのだろうか。

 

それは、半分恫喝と自戒を伴った神経をすり減らすほどストイックな僧侶的呪縛の想念であった。今でいう受験地獄に近いのかもしれない。

それがあるとき陽転して酒宴で一夜を呑み明かす更新講になった。とは、どう考えたらいいものか……。

近代で言うと明治維新から西洋化し、鹿鳴館があって文明開化の波に乗って戦争があって、近年バブルがあって「ジュリアナ」でお立ち台ブームがあって、今では東京オリパラ・お台場景気……のようなものなのかな。

そこには抑圧されたストレス発散とか自己表現、自己実現など言いようのない人間関係社会の歪み調整のような作用が存在したのではないだろうか。

 

人間心理として自分は馬鹿だと思われたくないし、できればポイントも貯めたい、また知らず知らずに悪いことをしているかもしれない。痛くもない腹をさぐられたくはないし、天帝に罰を与えられもっと不細工な三尸を付けられてしまってはかなわない。

 

そこは一般的人間の考えそうなこと。……そうだ、三尸を天帝に報告に行かせなければいい。そのためには、寝て不覚を取らなければいいんだ。

うん、それに、もしうっかり寝てしまっても、すぐ起きれば出ている三尸を中に戻さないで済む。

こうやって次々に可愛い人間の悪だくみが連なっていった。もう引き返せない、勧善懲悪の天帝はこわいし、天罰もいやだ、なら寝ないでおこう。という発想はそういうところから来ているのではなかろうか。

 

こういう平面思考的発想は平安時代当時の百人一首かるた(「カルタ」はポルトガル語のカード、独語のカルテなどから当時の中国に伝わる)で、字を習ってないうちは絵の「坊主めくり」をして、善悪を瞬時に判断する勘に頼る習癖に由来するのではなかろうか。

つまり深くじっくり考えようとしない単なる思い付きで。たとえば0か1の二進法、或いは丁半博打とか人の人相、印象だけで善悪を決めるように、そういう平安時代の無学な盲点を突いた勘に頼る神話信仰だったのではなかろうか。

ゆえに今日は石碑に庚申とあるがその由来を知っている者は少なくなってきているという現状もある。

しかし千年も続いた信仰とはそれだけでない何かがあるはずだ……。  

 

後半へ続く4000字を超えたようなので二分割し②へ続きます)