(⑥からの続き)
アルミのような銀いろの鉄塔。
が、何を隠そう、天の木つまり、スカイツリーなのであります。
真夏の青空ほど青くない、上空のやや白い寒気まじりの概ね青に近い空に映えるXマス・ツリーのようなスカイツリーですね。
ほぼ見上げるようにそびえ立っています。
コースに沿ってすすんで行くとそのツリー、更にどんどん大きくなってきます。
吸い寄せられそうになってきましたが、こんなところで寄り道してリタイヤは避けたいところなので見なかったことにしよう。
ケースバイケースで処理し、なお左方向10時の方角に行くとおととい橋でなく言問橋。
そこでは3、4歳の坊や連れの子連れ狼でもない若いお父さんがゼッケン付けて親子旅ちうの微笑ましい後継への光景も見られました。(ここは韻をふんでいます)
その跡継ぎの坊やの瞳には何がうつっているのでしょう。
それは坊やが大人になった時に人を育てる苦労と共に想い出すものでしょう。
瞼の底のある光景と共に父親の愛情を。
そして家ではお母さんが大好きな手料理を作って待っていることでしょう。
良く帰ってきたね、よく頑張ったね。という笑顔とともに。
そうこうするうちに何だか、人、人人通りの多い人のうじゃうじゃいる温もりのする往還へと足を踏み入れてしまった。しまった。ヤバッ。
人混みは、スーパーでもファミレスでも交通機関でもいまだに馴染めない。
おしくらまんじゅうのトラウマでもあるのか・・・・・・。
そこは浅草、浅草寺東南の往還というより路地といった方がここでは合うな。
近くに見世物小屋でもあるのか、花やしきからでも抜け出してきたのか、竹馬のような50センチほどの高下駄をはいた大道芸人さんがお面をつけて、人通りを跨いでゆっくりこちらに闊歩してくる。
倒れたりしなきゃいいがと思いながらすれ違う。
そしてもっと先にいくと、今度はカッパが出てきた。
と言っても着ぐるみ。とするとここは、河童橋か?(違うだろう)。合羽橋だな。
もう随分前の事だけど、東京で電気製品を買うならアキバ(秋葉原)で、鍋・釜、厨房道具なら合羽橋と合言葉のように言い伝えられてきたのを思い出した。
ちなみにカッパドキアはトルコか。
また、これは中学の英語のN先生だったかな。
犬は?
ドッグ
猫は?
キャット
それではカッパは?
さぁ・・・・・・?
それはね。レインコートです。
と、してやったりと得意げに目をパチパチさせてたが、まさかそれがやりたくて英語の教師になったのではあるまいな。
カッパと言えば、かつて漫画「かっぱ天国」や黄桜のカッパッパーでおなじみの色っぽい雌河童を連想するが、今でも微笑ましくイメージが湧いてくる。
そうすると河童に命が吹き込まれて一挙手一投足往時の動きを伴ってくる。
時代と共に絵柄も変わってきているようだが、赤ちょうちんや、スナック、バーなど盛んなころ、ひょっとしたらあの雌河童のような色っぽい女性本能に抱かれ魅かれておっぱい呑むように酒をぐびりぐびりと。
これまた無用な期待も抱きながら・・・・・・。
私の中では、映画「草原の椅子」に出ていた吉瀬美智子さんのママさんなんかも適役だ。そのぉ、ママかっぱに。 艶っぽくなやましいだろうなぁ。
勿論素材を活かすも没にするも組み合わせ方次第だが繋がる閃きも必要。
ただ、それぞれ思惑があるけれども、代代続いてきた良い事(生活習慣病は別にして)は、たとえ壊されようが根気よく何度も何度も繰り返すこと。
正しい事は意思があきらめられない。それも人間性を磨くという事に繋がらないだろうか。
と、それがあの映画「草原の椅子」のテーマではなかったかな。
いいものは時代を越えても新しい発見と共に残る。 ということか。
合羽橋。辺りに河童が出没したかどうかは分からない。
また、当時の雨具、蓑と傘を扱っていた橋界隈からきたかどうかも限定されていないところに現実的な画像を越えたソウゾウという真実が入り込める人間の進化のルーツのツールだってことぐらい分かります。
(つづく)