#2
うららかな小春日和。まったりとおさんぽ。
地域社会では、今残したい日本の文化として”銭湯”もその一端にのぼっています。
合理化の余波で、といっても無機質な表面上の数字より、失うこころや人情は換算できないほど膨大な文化的損失だという断面。
ずうーとあとで世界文化遺産といっても内容の伴わない形骸化したオープンセットで生の空気が伝わるわけはないからイマジネーションもマンネリ。
だから情景をここに残しておく。
これはこの商店街に存在し何代も続いた「日之出湯」。
激動の大正、昭和と続いた地域のあっとほーむな裸づきあいの場、銭湯での様子。
・・・・・・カタカタ 石鹸箱をならしながら子どもたちのゴム草履が近づいてくる。
日焼けした肩から滴る汗に土埃のランニングシャツが満足気だ。
石鹸のにおいが漂ってくる煙突の下の方にくぐっていった。
桶がタイルにあたって高天井がカラーンと甲高くこだまする響きは清々しい。
広々とした湯ぶねのある洗い場、湯水のようにザーザーかけ流している。まるで禊か斎戒沐浴のように、垢だか穢れだかすっかり洗い流して。
おっ年寄りがじっと見守るなか、あつい、ちょっと熱い湯ぶねに我慢して漬かる。心頭滅却すれば火もまた涼し・・・・・・
そしておもむろに壁に目をやる。なかなか巧妙なタッチの筆遣いらしい壁絵に感心し、どのくらいの修行であの程度描けるものか考えながら時を稼ぐ。
指がシワシワになってきた。もうこの辺でよかろう。元はとった。
米俵も計れるようなでかい台に長い針が大きく揺れる体重計に載ったあとは、声がビブラートしそうな首振り扇風機でクールダウン。
足の裏がチクチクする椰子マットの上で、なぜか腰に手をやり牛乳瓶を飲み干す。快い気持ちだ。(口の周りを白くさせて)
そうやってやや上気した面持ちで番台脇を抜ける。
ガラガラガラー。(なんでこんなに重たいんだ・・・)
下駄箱に年季の入った木の札を差し込み、履物を地に着ける。
ほんわか♨のれんに腕押しで出たところは現代の練馬の商店街であった。
シャッター商店街など現代地域の課題をあらゆる角度から可能性を探ってみたいと思います。ご意見、コメントをお寄せください。
それではまた。
(つづく)