昨日はわたしが(動物たちを取り巻く現状が酷くて)とてもつらかったので、保護シカすぐるちゃん(♂6歳)に1日の報告をしてもらいました。

 

すぐるちゃん、うまく報告してくれました(笑)。

 

昨日はなるべく無理しないように過ごしたので、今日は心が少し回復したわたしです。

 

動物たちの頑張りや動物たちを擁護する人たちの頑張りから、わたしも「頑張らないと!」と毎日思っています。

 

時に無気力になることもありますが、なんとか心が折れないように精神を保つことがうまくできるようになりたいです。

 

ところで、2023年8月、わたしの住む市で子どもたちに向けた市主催の「いのちの授業」が行なわれました。

 

その授業の内容は、野生動物による「被害」があるから「捕殺」はやむを得ず、「いのち」を「無駄」にしたいためにも、捕殺した動物の死体を食べて「供養」しなくてはいけないという、おどろく内容でした。


*公的機関は宗教行為を行なってはいけないので、「供養しなくてはいけない」と子どもたちに促進するのは、政教分離の原則違反ではいでしょうか?

 

追記:2023年12月31日

*この授業で「捕殺した動物を食べて供養してあげなければいけない」と子どもたちに説明したのちに実際に市は子どもたちに捕殺したシカ肉を振舞っていました。市民は講義で教わったように死体を食べ供養を行いました。

行政分離の原則については解釈にもよると思いますが、行政機関が税金を使い市民に仏教的な宗教行為のひとつである供養を促しそれを実際に行う行為をわたしはおかしいと考えます。

「仏教では、仏に供物や読経をささげることを意味していましたが、それが日本に土着の汎神論的な信仰(物にも魂が宿る)と合体して、供養の対象が先祖や故人の他に、動物や人形、道具なども含むようになったよう」なので、供養は、日本的に変えられた仏教における宗教的意味を持た行為のひとつということだと思います

 

 

この授業を行なったのは野生動物の駆除とその死体販売業者です。

 

●8月に行なわれた「いのちの記事は授業」の記事はこちらです下矢印

 

 

わたしは市に、動物を殺す側の授業を行なうなら、動物を助ける側の授業をわたしに行なわせてほしいと要望をしましたが、担当者は露骨に「うちから岡田さんに何か頼むとかは絶対にない!」と声を荒げました。

 

野生動物を搾取する内容の授業について市の考えを聞いたわたしは呆れて脱力しました。

 

今回、子どもたちに行なった「いのちの授業」の問題点を市の担当者(企画者)は全く理解していなかったのです。この社会の野生動物への扱いや認識を見ていると、このようなおとなはこの社会にはとても多くいるのだろうと思いました。

 

子どもたちに自然環境とそこに棲む動物たちとの共存を考える場を設けず、動物を含む自然環境を搾取する授業にもかかわらずです(怒)。

 

市の担当者は猟友会の会員でハンターです。しかも、猟友会の役員まで行なっており、市の鳥獣対策課担当になり20年以上と聞きました。猟友会との癒着があるので、狩猟などによる環境改善(民家側で猟銃を使用しない、猟犬を放さないなど)は数年間続けて行なっていても改善されません。

 

動物を殺す側と守る側、違う人間なのでお互いの考えを理解できることはないと思っています。

 

市の担当者は「わたし(担当者)の考えは偏っていますか?」とわたしに一度聞いてきましたが、その意図は「わたし(岡田)の考えが偏っている」と言いたかったようで、わたしの考えを全否定してきました。

 

行政は政府の方針に忠実に従うので、それ以外の考えを聞くつもりはないのでしょう。

担当者は、今回行なった「いのちの授業」は「政府の方針に沿ったものなのですばらしいものだ」と言っていたので、本当に呆れます。

 

さまざまなところでおとなが子どもたちに行なっている「いのちの授業」を見ると、おとなは子どもたちに動物の搾取を教えているのだということがよくわかります。

 

それらを実行するおとなたちの「いのちの授業」とは、動物搾取の正当化です。

 

野生動物と人間との間に問題があるなら、その問題の根本の話を含め、最新の自然生態系についての知見を基に、これからどうすればいいかを子どもたちと共に考え、できることをやっていかなければいけませんよね。

 

スウェーデンなどでは、数十年前からそのような授業が行なわれているそうです。そのため、建築と自然環境はセットで学ぶとのこと。人間活動による自然破壊や生態系の混乱を防ぐ(最小限に留める)方法での建造物建設、護岸工事など行なわれているそうです。

 

自然環境やそこに棲む動物たちへの理解や知識が日本は他の国と大きく違い、自然生態系保護先進国に比べると日本の環境意識は非常に低いと言わざるを得ません。

 

そういえば、2024年1月に決まる直木賞の候補作に河崎秋子さんの作品が選ばれたそうですが、河崎さんは野生のシカを解体しているそうで、「人が生きるためには生きものの命を食べなければいけない」と語っています。このコメントに今どきこのようなことをいう人もいるのだと思いました。

 

国策に沿った事物は表に出やすいのだなと(シカを解体することなどが取り上げられる)今の社会を見ていて思います。

 

野生の動物たちを食べる習慣は、一部の地域の限られた人たちの間であったものだと思いますが、現在、政府はクジラと同じように、シカやイノシシを食べる「食文化」をこの社会に作ろうとしていますよね。

 

クジラ肉のように陸上の野生の動物たちを捕殺して食べるのは、さまざまな問題があります。

 

しかし、子どもたちの学校の給食にその死体の断片を出したりしていますよね。

 

自然環境の保護も子どもたちの健康も大事にする社会であってほしいと思います。

 

現在行なわれているほとんどの「いのちの授業」は、動物を守る側の立場ではないおとなたちによって行なわれているという問題があるので、動物たちを大事にする側が行なう授業を多く行なわれるようになればいいなと思っています。

 

 

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