同居人にお留守番を頼み、市が子どもたちに向けて行なう「いのちの授業」の見学に行っていました。

 

わたしがいつも野生動物に関する要望などを行なっている担当者に会場の写真撮影とSNSアップの了解を得たのでブログで書こうと思います。

 

今回の講師は猟師工房(千葉県)の方で、その方の話の後には、シカの角を利用したクラフト、シカのソーセージを食べるという構成のお話会でした。わたしは猟師工房の話を聞き、その後は参加しませんでした。

 

猟師工房の話の結論から述べると、子どもの思考を誘導する洗脳であり、野生動物搾取を前提とするものでした。

 

よって、子どもたちは野生動物を殺し、その死体を利用することは「よいこと」なのだと学習します。

 

子どもたちに殺した動物の毛皮に触れさせる↓頭蓋骨まであります。

 

猟師工房の話の構成は非常によく考えられたもので、話を聞くと子どもたちの思考は野生動物の捕殺を肯定してしまう内容でした。

 

まず、野生動物による「被害」の話をし、罠にかかった野生動物たちの画像や動画を子どもたちに見せます。

 

 

この時、数名の子どもから「かわいそう」と声がありました。

 

罠にかかり激しく逃げようともがき暴れる動物たちの動画を子どもたちに見せるのは、子どもたちにショックを与えます。子どもたちへの配慮が全く感じられない授業でした。

 

その後、鳥獣被害によって困っている農家のインタビューを子どもたちに見せて「被害」を強調しました。(ちなみに農作物を守る防除策などの鳥獣対策をしていない農家だった)。

 

話の途中で子どもたちに「殺すべきか」「殺すべきではない」と手を上げてもらい、再度「被害」などの話をして、もう一度子どもたちに同じ質問をして手を上げてもらっていました。

 

すると、最初より「殺すべき」と手を上げた子どもたちが増えていたのです!

 

まさに洗脳です(賛成・反対と書いていることにも注目)。

 

さらに子どもたちは、同調圧力により「殺すべきではない」に手を上げられない状態だったので(最初から「殺すべき」との話が進められているので、それに反する意見を子どもが言えない)、わたしは関係ないですが「殺すべきではない」に思いっきり手を上げて、子どもたちの反応を見てみました。しかし、わたしが手を上げても、子どもたちは誰も手をあげませんでした。

 

最初は「殺すべきではないかなー」と考える子どもがいましたが、おとなはその子どもに対して「なぜ、そう思うのか?」など聞き、子どもの意見に対しておとなの勝手な意見を発するのです。子どもの意見を消し去るのは子どもの権利に反するものです。

 

その後、野生動物を殺して食べることはSDGsという話になり、最悪な展開となりました。

 

殺して利用することが農家にとっても、地球環境にもよいという全くもって的外れなことを子どもたちに教えているのです。

 

おとなは「生き物を殺しているのだから、せめて食べて供養してあげる必要がある」と言っていましたが、完全に意味不明で、都合良い脳内変換であるのは明らかです。

 

子どもたちに対してこのような教育が行なわれている現状にいきり立ちました。

 

この「いのちの教育」は非常に巧みな構成で子どもたちの思考を誘導するものであるとよく理解できました。

 

狩猟者の発言でひとつ気になったことを書いておきたいです。

「『農家が捕まえてくれ』と言ってくるので、我々は野生動物の捕獲をしている」と狩猟者は言っていたのです。

 

動物の殺害に対する社会の反応はネガティブなもので、狩猟者は「農家」を言い訳に野生動物を殺していると捉えられると思ったのです=野生動物を殺すことは「農家の意思」=我々の意思ではないと。

 

 

  まとめ

 

 

この授業で語られた内容は事実が不確かなものであり、不確かなものから導き出される問題の対処法は必然的に効果ないものであるだけでなく、現状の問題をさらに悪化させている可能性があります。

 

「いのちの授業」であれば、野生動物たちが生息する自然環境についても語らなければいけません。しかし、今回の授業では、それらは全く語られず、鳥獣による「被害」だけが取り上げられていました。

子どもたちに「被害があるから殺さなければいけない」という意識の植え込みをし、殺した動物の死体の「有効利用」は持続可能であると、事実ではないことを強引に事実であるかのように語る。子どもたちに野生動物を殺して食べたり、利用したりすることは「よいことなんだよ」とおとなの考えを押しつけるもの。

 

 

動物を殺すことを正当化する授業など、今、今後を生きる者たちにとって必要ありません。

 

必要なのは、自然環境とそこに棲む動物たちとの平和共存の教育です。自然環境との共存なくしてこの地球でわたしたち人間は生きていくことは不可能です。

 

急ぎこの教育に対して、市に意見書を提出しその内容を今後の教育に反映するよう交渉しようと考えています。

 

政府や行政などが子どもたちに対しておこなう教育、狩猟者の言い分は実に巧妙であることがとてもよくわかったので、それに負けない活動が必要なのだと強く思いました。

 

 

教育とは、子どもに事実を伝え、子どもたちが自分の考えを持ち、さまざまな選択肢の中、子どもたちが自分で選択した生き方ができることだと思います。

 

動物を殺すことだけでなく、動物を「殺さない方法」やその方法を考えることも、子どもたちに伝えるべきではないでしょうか。

 

教育(学び)とは、経験や知識などから子ども自身が作り上げていくものだとわたしは思っています。その教育環境を作らないのは多くのおとなです。

 

*追記:2023年12月22日

この授業で「捕殺した動物を食べて供養してあげなければいけない」と子どもたちに説明したのちに実際に市は子どもたちに捕殺したシカ肉を振舞っていました。

 

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