台風は去ったものの、わたしは耳鳴りなどの不調が残っています。台風接近前から耳がキーンとしたり、頭痛があったりしたので完全に回復するのは数日かかるかなと思っています。

 

気圧の変化などは人間より人間以外の動物たちの方が敏感で動物たちはとてもつらいだろうと思います。

 

「台風どっかいったなぁ」と犬のひよりちゃん(♀9歳)。

 

「台風の影響はつらいな」と犬の春ちゃん(♂11歳)。

 

 

「ぼくは奥の部屋でこもってんねん」と鹿のすぐるちゃん(♂5歳)。

 

台風の通過を乗り切った犬と鹿たちに少しでも楽しみをと思い、今日はおいしいものをいつもよりたくさん作っていました。

 

これは犬たちの手作りヴィーガンご飯。

犬たちの手作りご飯は、大鍋いっぱい作り2日持ちます。

 

午後から外国語大学に通う方が行う菜食主義実践者調査のインタビューを受けました。

 

アンケート内容が興味深く、わたし自身ヴィーガンという生き方について自分はどうなのかということを知ることにもなりました。

 

たとえば「動物性しか食べるものがない場合どうしますか?」という質問に実際その状況下にいるわたしを想像すると少し笑ってしました。

 

というのも、その状況下のわたしはきっとその辺に生えている植物を食べているだろうな~と思ったからです(笑)。

 

アンケート途中、大学生の方と様々な話をしていました。途中で「岡田さんは海外に行かれて事はありますか?」と聞かれたので「ないです」と答えると、「海外に行ったことがあると思いました。日本にいながらよく気づかれたなと思いました」と。

 

日本にいると日本の「普通」(=常識)に疑問を持たず、社会が作り出す世界でわたしたちは生きています。言い換えると社会にある不平等に気づきにくいということです。

 

わたし自身、数年前は社会にある差別や抑圧などに気づかず、この社会でのことは「普通」と認識していました。

 

しかし、ひとたび力の不均衡に気づき社会の構造などを知ると、社会にある「おかしい」にどんどん気づくようになりました。

 

社会のおかしいに気づかずわたしは数年前までは作られた心地よく感じるお花畑で生きていたのです。

 

社会には生活に困窮する者たちが多くおり、その者たちの存在は見えにくいようにされていますし、今の生活の厳しさをそうでないようごまかす力も働いています。

 

そのため、クリティカルシンキングがとても大事になります。

 

様々な事物に疑問を持ち、それらを批判的に見ることで多くの気づきがあります。

 

わたしがヴィーガンを意識し始めたきっかけは、犬の「しつけ」を通して人間が犬に行う接し方からでした。

 

犬は家族と言いながら家族である犬を抑圧する「しつけ」は不平等の上に成り立ち、犬たちを苦しめるものです(そのことに気がついた)。

 

犬やその他の動物たちは、わたしたち人間と同じく個々の存在で、独自の生を生きる者です。

 

その者の自由や命を奪ったり、恐怖という力で抑圧したりすることは暴力です。

 

そのことを自覚して自分はどう行動するかがとても大事なことだと思います。

 

他者の苦しみと死の上で生きるのか、他者の幸福、生命を守り(尊重し)生きるのか。

 

菜食主義の調査を行う大学生の方は調査をまとめ論文を書かれるので、その論文を楽しみにしています。

 

わたしたちは他者を苦しめない選択ができます。

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