今日は朝から雨が降っており、犬たちは「お散歩中止だね~」と少し残念そうでした。

 

9月21日に『動物倫理の最前線』の感想をブログで書きました。

 

その感想を『動物倫理の最前線』の著者である井上太一さんがご自身のHPで紹介してくださったのです。感想を紹介しいただけたことを光栄に思います。

 

●翻訳家で著述家である井上太一さんのHPはこちらです下矢印

 

 

『動物倫理の最前線』で多くの学びがあり、わたし自身反省する点がいくつかありました。

 

終章の社会正義の動物軽視(p.334~338)では、「伝統的な人間主義に則る社会正義は、交差性の問題に向き合うそれでさえも、あらゆる『人々』の解放にとどまり、人ならぬ存在を被抑圧者として認識することにことごとく失敗してきた」(p.334)と書かれています。

 

これは、人間特権に気づかず、「人間社会で起こっている問題を解決するのが先」という人間中心的思考に向かわせ、社会正義の活動家らが種差別に加担していることになります。

 

正義を語る者は人間特権を自覚し活動することが重要であると『動物倫理の最前線』を読むと理解できると思います。

 

たとえば、わたしの場合「自然環境や野生動物を保護することはわたしたち人類のためになる」という発言。これは人間が主であり、人ならぬ存在が不在になっています。

 

わたしが上記の発言をするのは、そう伝える方が人びとの理解を得やすいと思ったからです。

 

しかし、わたしが伝えたい本質は動物たちの権利です。

 

そのため、「自然環境や野生動物保護を実践することは結果としてわたしたち人間に恩恵を与えてくれる」という風に話を(今のところ)しています(が、今後発言内容が変わるかもしれません)。

 

人間中心の社会で相手の心に響く伝え方を考えると人間中心思考になってしまうので、ここは「事実」を伝えることが大事とわたしは考えています。

 

情感ある動物たちへの扱いの改善、野生動物の生活の質の向上(自然環境回復・生息地拡大など)を主張しつつ、生態系について話しをして自然環境と野生動物への理解を深めてもらうところからだと思っています。

 

動物擁護の諸問題(p.338~342)では、動物擁護の活動の問題が書かれています。

 

わたしはブログで以前「日本は後進国だ」と何度か書いたことがありまが、このわたしの言葉の裏に隠れたものがあったのです。それは「植民地主義の暴力や人種差別を被ったことのない特権者の見方」(p.339)であり、わたしはそのことに「ハッ!」としました。

 

もし、わたしが植民地主義の暴力や人種差別を受けていたなら、おそらく使わない言葉だっただろと思いました(自分の特権への自覚)。

 

人ならぬ動物たちが直面している現状を見ると、「動物擁護の単一争点」という活動になるのは(焦りなどから)理解できますが、「人間であれ他の動物であれ、『声』は私たちが注意を向けたところに存在し、私たちが無視するところには存在しない」(p.342)ということから、本書にも書いているように、沈黙を強いられる者たちの声に気づき、抑圧に順位をつけず全ての抑圧に挑む必要があります。

 

暴力や抑圧は人間と他の動物との間に線引きできない問題であることをよく理解し、今後の活動内容の形を作っていきたいと考えています。

 

活動内容の詳細は今後じっくり考え模索しながら形作っていけるといいなと思っています。

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