日中はあたたかくすごしやすい気候ですが、朝晩がとても冷え込み、冷えて頭が痛くなるので、室内でニット帽をかぶっています。
夜の冷え込みがあってか、鹿のすぐるちゃんとのぞみちゃんは夜中に庭に出ることなく、朝方まで室内ですごしています。夏は夜中に必ず一度は庭に出ていました。犬たちも就寝前のトイレが済むと、朝まで寝ていることが多いです。
野生で暮らしている動物たちは、家族や仲間、友だちたちと寒い冬を身を寄せ超えようとしていることと思います。野生で暮らす者たちにとって、寒さや食料がほぼなくなるこの大変な季節に狩猟がはじまります・・・。寒さや食べ物がなく体力は奪われていることでしょう。今年出産した母親にとっては、まだ幼い子どもを守りまがらの冬越しになり、自分(母親)が生きながら子どもの成長に必要なことを行うことは、とても大変なことです。この秋に妊娠した者にとっては、自分の体調の変化を感じながら、お腹の中にいる子どもの成長のために食べ物を食べなければいけません。しかし、彼女たちが多くの時間をすごしている山には食べ物がないのです・・・。どれほどの苦しみか、と思います。
そして、過酷な日々にさらなる悲惨な出来事があるのです。それが狩猟です。個々が特に過酷となる冬を超えようと懸命ななか、ハンターたちは彼女たちに恐怖を与え、痛みを与え、絶望を与えます。母親と子どもが引き離されることも頻繁にあります。幼い子どもを育てている母親にとって、子どもと一緒に逃げることが出来なかった悲しみや他の感情は、わたしには想像しきれない大きなものだと思います。母親と離された子どもは、とてつもない不安と恐怖のなかにいることでしょう・・・。人間と異なる動物たちは、人間の子どもの泣き方ではないですが、人間の子どもたちが泣くように、子獣たちもその種の鳴き方で泣きます。母親について行こうと必死になります・・・。その子どもの行動、声、感情はわたしたち人間が感じることと同じなのです。
生きものは、他者を認識する能力、感覚、感情など生きるに必要な能力は種問わずそなえ持っています。わたしたちは人間という動物種というだけであり、人間だけが特別ということは全くないのです。
わたしたちは他の動物種に自分たちがされたくないことを行っています。もし、わたしたちが今の暮らしや命を脅かされることがあったら、「やめてほしい」と声をあげるのではと思います。現在、人間に暮らしや命を脅かされている動物種たちも殺されそうになったり、追い込まれたりしたときなど、彼らの表現方法で「やめて!」と声をあげています。しかし、人間が使う言語ではないので、動物たちの声は多くの人間に届きにくく、伝わりません(鳴き声や行動、動作などから動物たちの声を聞こうとする人間が非常に少ない)。「やめて」と言ってる無抵抗で小さく弱い者の声を笑い、踏みにじる行為はやめないといけないです。
そして、どこまでも他の動物種たちを悪魔化し、追いつめ生き場を失わせ苦しめ恐怖や絶望を与えることもやめるべきことです。
種が異なるということで、他の動物種たちをわたしたち人間とは別の存在と思い込んだり、決めつけたりしないで、同じ動物である連続性を意識してほしいなと思います。
わたしたちは他者に苦痛や悲しみ、孤独など与えない種に進んでいくことでこそ人間ではないのかな、と思います。人間の可能性は大きいのではと思っているので・・・。
野生で懸命に生きる者たちとわたしたちはお互い生きている者同士で、仲間です。わたしたちは視野を広く生き、さまざまな世界を知ることだと思います。それはわたしたちに生きることを正しく教えてくれることでもあり、わたしたち自身の心が軽くなることでもあると思います・・・。
にほんブログ村のクリックをよろしくお願いします。
ポチッ♪
↓